第30話 性悪同士


リクソールの王太子とその一行が滞在先は、ヒューの皇子宮がある区画にある客人用の宮殿となっている。

ヒューとジスランは将来時期皇帝と国王という互いに国を背負う立場であり、今回の建国際を切っ掛けに良い関係を築いてほしいという思惑で、現皇帝が住まう宮殿ではなく皇子宮に滞在先が決まった。


「此処から先が、ヒューバートの皇子宮がある区画になっております」

「宮殿ではいくつか噴水が見られ、草木が多い印象でしたが、こちらは違うみたいですね」

「あちらは大小合わせて百ほど噴水がありますし、部屋から出られない皇后の為に眺望に気を遣っていますから。それに比べ皇子宮では、ヒューバートが好む彫像が各所に置かれていますので、少し硬質的な印象を受けるかもしれませんね」

「ヴィオラ様の白亜の皇女宮は有名ですが、そちらはどのような感じなのでしょうか?」


私の皇女宮は確かに帝国内では有名なのかもしれないが、他国にまで知れ渡るほどのものではない。これはどちらだろうか……?と悩みながらも冷静に言葉を返す。


「白亜という名の通りですよ。大きな庭園はありますが私とシンシアのものなので、どちらかの趣味で偏ることはありませんから、至って普通の庭園です」

「それでも、一度は見てみたいものですね」


案内はしませんよ?と口には出さず、曖昧に笑って誤魔化しながら通路を進んで行く。

謁見の間を出てからずっとこの調子でジスランは話し続け、私達の背後を歩く彼の側近と護衛騎士は沈黙したまま。


「ヴィオラ様にお訊きしたいことがあるのですが」


やっと本題かと、リクソールの面々に見えないよう苦笑し「どうぞ」と促す。

政治的な話か、またはそれを踏まえた政略的な婚姻の話か。それ以外にも色々と考えられることはあるが、態々こうして私に接触してきたからには他に何か見落としていることがあるのかもしれない。

慎重に言葉を選び、言質を取られないよう気を付けなくてはと気を引き締めた矢先。


「僕の顔はいかがでしょうか?」

「……は?」


私の想像を遥かに超える内容に思考が停止する。

え、今、何て……?と唖然とする私を置き去りに、尚も続けられる謎の問い掛け。


「自国では天使に例えられることが多いのですが、ヴィオラ様は、天使はお好きですか?」

「……天使、ですか?」

「はい。容姿だけではなく、身体も鍛えていますし、背丈も高いほうです。声も悪くはないと思いますが」

「それは、どういった意図でお訊ねになっているのですか?」

「ヴィオラ様は容姿の良い男性を見慣れているでしょうから、私のような容姿の男もいかがですか?と純粋な気持ちで訊ねただけなのですが、お気を悪くされましたか?」


純粋?純粋とは何だったかと心の声が顔に出てしまっていたのか、私を見つめながら「あれ?」と首を傾げたジスランは一泊置いたあとにこやかに最後口を開いた。


「ヴィオラ様の好みが知りたかったのです。確か、婚約者はいませんよね?」

「随分と詳しいのですね……」

「それは当然ですよ。こうして自身を売り込むのであれば、事前に相手を調べておくのは基本的なことですから」


滞在先に案内している途中の通路で足を止め問答しているのだから、普通は私の侍女のように困惑した様子を見せるもの。

だというのに、リクソール側は側近すら困惑した様子がなく、まるで事前にこうなると分かっていたというような反応である。


「調べているのであれば、私の噂もご存知ですよね?それと、婚約者はいませんが恋人はいますわ」

「そうですか!」


だから余計な真似はしないようにと牽制したつもりだったのに、何故かジスランはパッと表情を明るくさせて喜んでいるように見える。

恋人がいると聞いてどうしたらそうなるのか、益々訳が分からない。


「恋人は何人ほどでしょうか?別れるときに問題となる者はいますか?」


しかも更に斜め上へと掘り進めていくジスランに呆気にとられている間に、話しはどんどん進められていく。


「立場的に恋人の代わりを提供することはできませんが、それ以外のことでしたら僕が何でも叶えますのでご心配なく。あとは、もうひとつだけお訊きしておかなくてはいけないことが」

「……」

「少女の生き血はご用意できませんから、僕の血で我慢していただけますか?」


周囲を軽く見回し私に顔を近付けてきたジスランが、真剣な顔で声を顰めそう訊ねてきた。

これはしっかり否定しておかないと駄目なものだと判断し、頭を抱えたくなる気持ちをグッと堪え、作り笑いすらできず真顔で首を左右に振る。


「私の噂は、全てでたらめです。男性を手のひらで転がすことも、真夜中に皇女宮で宴を開くこともありません。それと、少女の生き血を飲んで美貌を保つ方法などありませんよ?」

「全てが嘘ですか?」

「はい。全てです」


本人である私が否定すれば分かってもらえるだろうと思い、最後に「性悪皇女などいませんよ?」と口にすれば、途端にジスランは悲しげな顔をして肩を落としてしまった。


「そうですよね。話していても傲慢不遜な方ではありませんでしたし、値踏みするような視線もありませんでしたから」

「あの……」

「噂ほどの方であればと、そう勝手に期待した僕がいけませんでした」

「ジスラン様?」

「案内は此処までで大丈夫です。あとは侍女にお願いしますので」

「それは構いませんが」

「失礼なことを口にしてしまい申し訳ありませんでした」

「あ、はい」

「ではまた、後程晩餐でお会いしましょう……」


困惑する侍女に案内されトボトボと背を丸めて歩くジスランを見送りながら、何が起きたのかとアンナと顔を見合わせた。

どうやらジスランのお目当ては帝国の皇女ではなく、噂の性悪皇女だったらしい。





リクソールの王太子を歓迎する為に開かれる晩餐。

そこには皇后であるお母様と、いつもより早く領地から戻って来ていた側室であるローザ様の姿もあり、久しぶりに家族が揃った瞬間でもあった。


「お母様。お身体の具合は大丈夫なのですか?」

「大丈夫よ。貴方のお父様が大袈裟なだけで、少しは身体を動かさないといけないのよ?」

「大袈裟ではないだろう?熱がないとすぐに動こうとするのだから、ヴィオラからも何か言ってやってくれ」


本日も大変仲の良い両親の姿を微笑ましく眺めたあと、ローザ様に顔を向けた。


「お戻りだったのですね」

「建国際に合わせて明日の朝に戻ってくる予定でいたのよ。でも、少し問題があって早くに宮殿へ戻ってきたわ」


問題がと口にした辺りでローザ様の声が低くなり、隣に座っているシンシアの肩が分かりやすく跳ねた。大体何があったのか察し、お父様の右隣に座るヒューへ視線を向ければ、午後に会ったときよりもどことなく気力がなくなっているように見える。


「ヴィオラ。建国際が終わったら時間をもらえるかしら?」

「お忙しいのに、すみません」

「そんなことを言わないでちょうだい。こちらが謝罪する側よ」


普段から凛とした格好の良い方なのに、覇気がなく疲れているように見える。実の母のそのような姿を目にして、シンシアが心を入れ替えてくれたらと私は願うしかない。



「リクソール国、王太子殿下と側近の方がお着きです」


侍従の声を合図に用意されている席に着き、食堂の扉から入って来るジスランを窺う。

先程までは白い服装だった彼が、今は全身黒という対極的な服装で現れた。天使というよりは、人を破滅させるという悪魔のように見え、服装ひとつでこうも雰囲気を変えてくるのかと彼に目を奪われる。


「ゆっくりできただろうか?」

「はい。とても素晴らしいお部屋でした」


自分が人からどう見られ、それをどう活用すればいいのか分かっている人だと警戒しながら、彼の空気に呑まれることのないお父様を誇らしく思う。

流石皇帝だわ!と心の中で拍手を送っていれば、私の隣の席にジスランが案内されてきた。


「先程は、ありがとうございました」

「いえ」


何もなかったかのように微笑むジスランを訝しく思いながらも、晩餐が始まった。

お父様が他愛のない話で場を和ませたあと、ヒューとジスランを交え政治的なことを含めた話題へ移る。滑らかに話題を変えるお父様とジスランの話術に感心しながら、食事をする。

こうしたとき、皇后を含めた女性陣が会話に入ることはなく、話題を振られたときにだけ答えられるよう耳だけは澄ませておく。

男性陣が食事をする早さに合わせてデザートを食べ終えたところで晩餐は終わり、皇帝と皇后、側室が先に退出していく。ここからはヒューがジスランを持て成す番となるので、私は静かに席を立ち食堂を出た。


「お姉様……!」


食堂から出て少し歩いた先でシンシアに呼ばれ、仕方なく足を止めた。

ここから食堂は近く、まだ中にはヒューとジスランが居る。二人が出てこないよう時間を引き延ばす為に、食堂の扉に立つ侍女に目配せをする。


「手短にお願い」

「……女神役はどうですか?」

「どうとは?準備は思っていたよりも順調に終えたわよ」

「そうですか……」


そう口にしたまま黙って下を向くシンシアに溜息を吐き、もう良いかと声を掛けようとしたときだった。


「シンシア……!?」


まるで罪人かのようにシンシアが床に両手、両膝を突き、私を見上げる。この場には侍女や護衛騎士がいるというのに、悲痛な表情で目に涙を浮かべ、か細い声で私の名を呼んだ。


「お願いします。今年だけでいいので、どうか女神役を代わってください」

「立ちなさい」

「お姉様はこれからいつだって女神役をできるでしょう?あの方の側にだっていられるのでしょう?」

「此処は廊下よ、まだ客人だっているのよ」

「たった一度だけでいいのです。今迄お姉様の代わりを務めてきた私に慈悲をください」


手を伸ばしシンシアを立たせようとするが、逆に腕にしがみつかれ身動きが取れなくなってしまう。掠れた声で何度も懇願し涙をポロポロ流すシンシアの姿に、私達の様子を窺っていた侍女達が同情的な目を向けていることに気付き、失態だったと小さく舌打ちをした。


「女神役は皇帝が命じたことよ。私に言っても無駄だと分かっているでしょう?」

「ですが、お姉様がお父様に頼んで女神役を私から奪ったのですよ?また頼めば代えてくださる筈です」

「建国際はもう明日よ。貴方の我儘で代えられるものではないわ」

「初恋だったのです。あの方が私を見てくださらないのは分かっています。それでも、思い出だけでもほしいのです。お姉様、お願い……」


ここでシンシアを振り払い無視すれば、完全に私は悪者になってしまう。

そうなればまた悪意ある噂が此処に居る者達の間で囁かれ、そう時間も経たないうちに様々な場所で耳にするようになるだろう。

すぐ近くに居るこの子の侍女からは睨まれ、通路で足を止めている者達はシンシアを憐れんでいる。お父様達がいない隙を見計らって仕掛けてくるのだから、この子は叱られ謹慎させられるくらいでは改心しないのだろう。

さて、どう対処するべきか……と悩んでいたら。


「女神役を代わられるのですか?」


またもジスランに横から声を掛けられ顔を強張らせる。

食堂の扉付近では侍女が必死に頭を下げ、ジスランの後ろにいるヒューは気まずそうな顔をしている。どうやら一部始終を見られてしまったらしい。


「お見苦しいところをお見せしてすみません。問題はありませんので、このまま部屋へお戻りください」

「そのようには見えませんが」


さっさと行けという私の言葉を無視したジスランは、涙を流しているシンシアを見つめながら口角を上げた。


「凄く演技がお上手ですね」

「……演技では」

「非難しているわけではありません。ただ、折角帝国まで来たというのに期待が外れて残念に思っていたとこだったので」


先程までシンシアを歯牙にもかけていなかったジスランが、瞳を輝かせ艶然と笑う。特別なものでも見つけたかのように、床に座り込んでいるシンシアを見るのだから、これには流石にシンシアも驚いたのか演技を忘れ怪訝な顔をしている。


「このような性悪な皇女がいて、凄く嬉しいです」

「……は?誰が、性悪よ!」

「貴方ですよ」

「このっ……って、何……?」


ジスランは本当に嬉しそうにそう口にしながら、文句を言うシンシアの横に膝を突く。そんな彼の姿を皆が息を呑んで見守る中、唖然とするシンシアの両手をそっと掴んだジスランが。


「第二皇女殿下。どうか、僕と結婚してください」


突然プロポーズをした……。


「ぇ、は?結婚?」

「本当に良かった。ヴィオラ様が性悪皇女ではなかったので計画が破綻し、どうしようかと焦ったのですが、僕が勘違いしていただけだったのですね」

「手を離しなさいよ……!」

「第二皇女殿下が、性悪皇女だったのですね」

「私じゃないわ!」

「ですが、人目も気にせずこのような場所で涙を流し、実の姉を悪者に仕立てようとしていましたよね?」

「貴方に何が分かるのよ」

「分かりますよ。僕もそこそこ性悪なので」


手を離せと騒ぐシンシアと、離しませんと楽しそうなジスラン。

これは放っておいてもよいのでは?ヒューと顔を合わせ頷いていれば、顔を真っ赤にしたシンシアが助けの声を上げた。


「お姉様……!」


大嫌いな姉に助けを求めるくらいなのだから、余程のことなのだろう。

はぁ……と深く息を吐き、私を見上げるシンシアとジスランを交互に見たあと、二人の間に片足を突っ込んだ。


「妹に求婚される前に、皇帝に伺うべきなのではありませんか?」


だからさっさと手を離せとジスランの腕を膝で蹴ると、苦笑しながらシンシアから離れていく。


「お姉様……」

「リクソールの王太子殿下からの求婚よ。シンシアはお父様と話し合ってから返事をしなさい」


面倒ばかりかける子だが家族である。

シンシアの頭を優しく叩けば、今迄見たことがないほど驚かれ苦笑する。

あとのことはヒューに任せ、「疲れたわ」と肩を叩きながら皇女宮へ戻った。






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