第29話 リクソールの王太子



ブラッドを見送り、素早く身支度を整える。

既にある程度は終えていたので、あとは微調整したあとドレスに着替え、時間通りに宮殿へ向う。

宮殿の入り口には既に帝国の皇子であるヒューバートと皇帝補佐官であるクロイ、第二皇女であるシンシアが待機している。先ずは私達がリクソールを出迎え、皇帝と皇后、側室であるローザ様が居る謁見の間に王子をお連れするという段取りになっている。


「ヒュー」

「お姉様。そんなに急がれなくても、リクソールの馬車はまだ門を入ったばかりですよ」

「良かった、間に合ったわ。あら、シンシアの顔を見るのは久しぶりね?」

「体調を崩していましたから」


少し線が細くなったシンシアに眉を顰め、ヒューの腕をそっと叩く。


「食事は取れているの?」

「取るよう言っても、素直に従う子じゃありませんよ」

「皇女宮の者にそれとなく言っておくわ」

「お姉様はお優し過ぎです。ただの癇癪ですから放っておけばいいんです」

「あの子が倒れでもしたら、私が何を言われるか分からないでしょう?」


そう口にして肩を竦めれば、呆れた顔をするヒューが胸元で両手を上げる。そんな私達のやり取りを胡乱な目で見ていたシンシアが、小さく「あっ」と声を上げた。


宮殿の門を潜り、長い並木道を進んで来た数台の馬車と馬に乗った護衛騎士。先導していた一人の騎士が馬から降り、馬車の窓を叩いたあと扉を開ける。


隣国、リクソールの王太子であるジスラン・ハシュレ。

知識欲が旺盛なジスラン王子は、過去二度ほど他国へ遊学していたことがあるらしい。

帝国に訪れるのは今回が初めてで、彼がどのような人物なのかは実際に会って話してみてからの判断となる。


「……ぇ」


馬車から降りてきた王子を目にして驚いたのは私だけではなく、此処に居る全員が短い声を上げた。

陽の光を浴び輝く白銀の髪に、透き通るような青い瞳。小さな顔と細く長い手足。教会に飾られている天使の絵に見紛うほどの圧倒的な美貌を持つ男性が、私達の前で立ち止まる。


「帝国の皆様方には出迎えていただき感謝いたします。ジスラン・ハシュレと申します。皇子殿下、皇女殿下方は、是非ジスランとお呼びください」


天使が喋った……と呆然していた私はハッと我に返り、ふわっと柔らかく微笑むジスランの空気に呑まれているヒューの背中を抓った。


「……っ、こちらこそお越しいただき感謝いたします。私はヒューバート・ティンバーンと申します。こちらは姉のヴィオラと妹のシンシアです」


ヒューに促された私とシンシアはジスランに向かって軽く会釈する。帝国の皇女とはいえ相手は一国の王太子なので、こうした場面で直接会話を持つことはない。

これで出迎えも挨拶も済ませたので、後は王子とその側近、護衛騎士を数名選んでもらったあと謁見の間に案内するだけとなる。

ヒューがジスランの相手をしている間にと、その他のリクソール側の者達の案内、荷物、馬車、馬の管理といったことの指示を、隅に待機していた宮殿の侍女達に出していたのだが……。


「お会いできるのを楽しみにしておりました」


真横から声を掛けられたことに驚き、口から「ひっ……!?」と妙な声が出てしまい、咄嗟に口元を手で押さえた。声で相手が誰だか分かっているので文句は言えないが、何を考えて声を掛けてきたのか。


「すみません、驚かせてしまいましたか?」

「いえ」

「良かった。第一皇女殿下にはよい印象を持っていただきたかったので」


ニコッとそれはもう愛らしい顔で微笑むジスランに戸惑いながら、彼が口にした言葉に頬を引き攣らせる。


「ヴィオラ様とお呼びしても?」

「ヴィオラで構いません」

「そうですか!」


白い服の所為か、わっと喜び胸の前で両手を組む姿は天使にしか見えない。

何度かこの人は天使ではなく人間なのだと自分に言い聞かせながら目を瞬くが、やはり羽がない天使である。


「シンシア」

「はい……?」


ヒューの側に立っているシンシアを「おいで」と手招きして呼び寄せ、未来の夫婦を対面させてみた。ジスランの一目惚れが本当のことであれば、この時点でもうそれが起きてもおかしくはないと向かい合う二人をジッと見守る。


「……」

「……」


互いに数秒見つめ合うが、二人共首を傾げて私を窺うだけで恋に落ちた様子はない。


「あの、お姉様。これは?」

「私はやることがあるから、シンシアはジスラン様を謁見の間に案内してちょうだい」

「私がですか?」

「僕は待てますよ?」

「私も待ちますよ?」

「リクソールの王太子殿下をお待たせするわけにはいきませんから。ヒューバート、直ぐにお連れしなさい」

「あ、はい」


同じようなことを口にするジスランとシンシアはやはりお似合いだと微笑み、さっさとこの二人を連れて行くようヒューに圧をかける。


「さて、あれは何なのかしらね……」


不可解な顔をする二人を無事に送り出したあと、四台はある大きな荷馬車を眺め呟く。

王族なのだからそれなりに荷物があるのは当然のことなのだが、一人であれば多くても荷馬車は二つほどで事足りる。だというのにあの台数、あれではまるで……と想像しかけ首を横に振る。

リクソールでは一日に何度も着替えをするのだろうと、無理矢理そう思い込み、不安しか覚えない荷馬車からそっと目を逸らした。





その結果が、これである。


「絨毯、絹、金、茶葉、薬草、それとそちらにあるルビーと鉱山、それらを建国際のお祝いの品としてお持ちしました」


ジスランの側近が読み上げた目録の中にどうもおかしなものが混ざっている。

聞き間違いかと思いたいが、ジスランの手の中には血の宝石と称される世界最高品質のルビーと鉱山の所有権の紙が……。


「王太子が持つそれらについて、リクソールの王は存じているのだろうか?」

「はい」

「そうか……」


苦笑するお父様の気持ちも分かる。他の物はまだしも、ルビーや鉱山といった物はお祝いの品というよりは求婚するときに贈る品なのだから。

そんな物を携えて帝国へやって来た未婚の王太子。これはどう考えても皇女を狙ってきているということに、この場に居る誰もが気付いている。

天使のような容姿を持つ清廉そうな美青年は、予想していた通りの厄介な人物らしい。


「明日から建国際が始まる。その前に、今夜は晩餐を共にどうだろうか?」

「それは是非」

「では暫し部屋でゆっくり寛いでほしい。滞在する部屋への案内は私の補佐がする」

「もしよろしければ、宮殿も含め部屋までの案内を第一皇女殿下にお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ヴィオラに……?」

「はい」


下心も害もなさそうな空気を纏うジスランに、お父様は一瞬だけ眉を顰め私を窺ったあと頷いた。


「ヴィオラ。案内を頼む」

「承知いたしました」


大変断りたい案件ではあるが、表に出ると宣言したからにはこうしたことも行う必要がある。

了承したあとジスランを案内する為に謁見の間を出る際にシンシアを窺うも、どうでもよさそうな顔で私達を眺めているのだから意味が分からない。

私に露骨に接触しようとするジスランと彼に全く興味がなさそうなシンシア。

私の記憶が間違っているのだろうか?と思えるほど訳の分からない展開に内心困惑しながらも、案内を待つジスラン王子に「では、行きましょうか」と声を掛けた。


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