第27話 女神役


初代皇帝と帝国を庇護し支えてきたとされる女神。

皇族や民に愛された女神の伝承は多く、帝国ではまだ幼いうちから子供向けに創作された絵本で女神という存在を植え付けられる。

帝都の中央広場には、他国から訪れた者達が驚くほど精巧に作られた女神を模った彫像も置かれているほど。

その女神の代理として、建国際では帝国の第一皇女が女神役を務めてきた。

騎士役というのは元々なく、女神の代理となる皇女を護衛する為にと後から付け加えられた役割であったが、それがそのまま習慣化してしまい、今では元から登場していたかのように伝承や絵本にまで登場している。


だから、本来は帝国の第一皇女である私が女神役を務めなくてはならない。

それは皇女としての責務であり、女神の代理をするという誉である。だからこそ数年前までは私が女神役を務めていた。

帝国の皇女として品位を保ってきたつもりだったが、いつの間にか私のよくない噂は広まり、それが貴族だけではなく民にまで広まったことを切っ掛けに、自らお父様に女神役の辞退を願った。

女神役が嫌だとか、面倒だからからと、そういったことで辞退したわけではなく、建国際を心待ちにし、女神を敬慕している民から軽蔑の眼差しを向けられることを恐れただけ。


悪意ある噂を信じる者達からの蔑む目は、今より幼かったこともあり、とても怖くて委縮させるものだった。


けれどそこから何年も皇女としての責務を全うせず逃げ回ってきたのだ。

先日ジェマから、そろそろ噂をそのままにせず払拭するよう率先して表に出るべきだと言われたばかりで、第一皇女ヴィオラ・ティンバーンの為人を知らない者達が噂を信じるのは、それでしか判断できないのだから当然のことだと、もっと様々な者達と交流を持ち、噂が間違っていることを知らしめてきなさいと叱咤までされた。

それに、ブラッドが他の女性の騎士を務めることを容認するようでは、恋人失格である。




なので、翌日の晩餐。

皇后であるお母様と側室であるローザ様が欠席する中、皇帝であるお父様、ヒューバート、シンシアが揃った家族だけの晩餐で、私は行動に移した。


「お父様。お願いがあるのですが?」


連日の貴族会議で心身ともに疲れ果てたお父様が、家族と食事を取り癒されたいと月に一度集められる晩餐。そこで自分勝手なお願いごとを口にするのも憚られるが、事態は刻一刻と迫っているのだから仕方がない。


「願いごと……先日のあれは、ブラッド・レンフィードがいるので必要なくなったと思っていたのだが?」


首を傾げるお父様が口にした「あれ」とは、恐らく宮殿を訪ねたときにお願いした婚約者候補に関してのものだろう。


「それとは違います」

「そうか、それなら他にも何かあるのか?何でも叶えてやるから言ってみるといい」


言葉の通り、お父様は大抵のことは何でも叶えてくれる。

けれども今回のお願いはどうだろうかと苦笑しながら、視線を感じるほうへ顔を向ければ、対面の席に座っているシンシアがジッと私を見ていた。目が合い数秒見つめ合ったあと、お父様へと顔を戻した。


「今年から、女神役を私に務めさせてください」

「お姉様……!?」


悲鳴のような声を上げたシンシアを無視し、黙ったまま聞いているお父様に言葉を続ける。


「今迄は私のよからぬ噂があったので女神役など恐れ多いと身を引いていましたが、私は帝国の第一皇女です。その責務を果たさなくてはなりませんし、あのような嘘ばかりの噂にいつまでも振り回されているわけにもいきません」

「そうだな」

「それに、今年は私の恋人であるブラッドが騎士役に選ばれたと聞きました。それでしたら女神役は彼の恋人である私が務めたほうが、建国際は賑わうのではないでしょうか」

「だが、噂を払拭したわけでもなく、最近も何かよからぬことが囁かれていた。今表に出れば、衆目に晒されることになるぞ?」

「そこで私がどういう人間なのか、皆に知ってもらおうと思っています」

「……女神役だけではなく、他でも表に出るつもりはあるのか?」

「はい」


目を伏せ何かを考えているお父様を静かに待っていれば、テーブルをコツ、コツと叩いていたお父様の指が止まった。


「いいだろう。女神役はヴィオラに戻す」


そうお父様が告げた瞬間、椅子から立ち上がったシンシアが「待ってください、お父様!」と再度声を上げた。


「女神役はここ数年ずっと私が務めてきたのですよ?それなのに、隣国から王族が訪れる特別な年の建国際での女神役をお姉様に譲れと?」

「特別な年だからこそ、本来あるべき姿に戻すべきだ」

「私に何か落ち度があったというのであれば納得もできます。ですが私は、お姉様の我儘を聞き入れ女神役を務めてきました。それなのに感謝されるどころか突然元に戻すなんて、酷いと思われないのですか?」

「根拠のない嘘で名誉だけでなく心も傷つけられ、何処へ行ってもありもしない噂に苛まれてきた姉に対して、それは我儘だと言うのか?」

「噂がたつのは、その原因となるものがあるからでは?」

「シンシア!言葉が過ぎるよ」

「お兄様は黙っていてください。お父様、悪い噂しかないお姉様が女神役を務めたら、民はどう思うでしょうか?きっと建国際は台無しになりますわ」

「シンシア」

「お兄様はどうして私を咎めるの?お父様もお兄様も、私がどう思おうと構わないのね!」


両手で顔を覆ってわっと泣き出したシンシアに溜息を吐く。

取り乱す娘の姿に考えを変えるのだろうか?とお父様を窺うと、冷たく暗い目をシンシアに向けながら隅に立っていた専属侍従を側に呼び耳打ちしたあと。


「女神役はヴィオラに務めさせる。異論は認めない」


まだ泣いているシンシアに向かって、父親ではなく皇帝として告げた。





「……っ、酷い、酷いわ。私のことが嫌いだからって、こんなことまで」


カーテンも開かれていない暗い部屋。ベッドの中で泣きながら蹲る可哀想な皇女。

初恋なのだと頬を染め話していた侯爵家の子息だけではなく、第一皇女の代わりに一生懸命務めてきた女神役まで奪われた。ここ数日は皇女宮の私室から出ず、食事も最低限、笑顔は消え、悲しみに暮れる日々。


私室の外に待機している侍女に聞こえるように悲痛な声を上げれば、あとは侍女達が私の様子を大袈裟に吹聴し、お姉様を悪人に仕立て上げてくれる。ただ時間が過ぎるのを待っているだけで、お姉様は社交界から煙たがられ、民から嫌われる。

そんな状態で、果たして女神役などできるのだろうかとほくそ笑む。

現に、たった数日で妹から女神役を奪った非道な姉だと宮殿内では噂になっているのだとか。

ベッドの上に転がりながら笑いを堪えていると、私室の扉が叩かれた。


「シンシア様」

「……何?もしかして誰か来たの?」


暫く放っておいてほしいと言っておいたのにこうして声を掛けるということは、誰かが私を訪ねて来たのだろう。毎日のように開いていたお茶会を中止したので、仲の良い令嬢か令息かもしれない。

面倒だわ……と眉を顰めたあと、身形を整える余裕もないほど憔悴している皇女を演じる為に手で髪をくしゃくしゃにしてから侍女に入るよう促した。


「シンシア様、身形を整えませんと」

「……誰が来たの?もしかして、お父様?」


私の様子を聞きつけ撤回しに来たのかもしれないと期待したが、首を左右に振った侍女を見て肩を落とした。


「それなら、誰が?」

「第一皇子殿下がお越しです」

「……お兄様が?」


普段から忙しく、宮殿に行っても中々会えない兄が態々時間を作って此処に?

今更慰めにきても遅いのだと頬を膨らませながらベッドから立ち上がった。


この皇女宮の中で一番気に入っているテラスに席を用意し、そこへお兄様を案内させた。丸くて可愛らしいテーブルや深く座れるよう作らせた椅子。帝都で流行しているお菓子にお兄様が好きな紅茶。


「ごきげんよう、お兄様」


完璧に準備されているテラスに居るお兄様に、挨拶を口にした。


「顔色は、悪くなさそうだな。食事は取っているのか?」

「心配して来てくださったのですか?もう、それならどうしてあのとき援護してくれなかったのです。お兄様からも何か言ってくれたらお父様だって」

「シンシア。話があるんだ」

「それならお菓子でも食べながらお話しましょう。このお菓子はとても美味しくて」

「お姉様が女神役を奪ったと、そのような噂が宮殿内に広まっている。噂を広めたのは、お前だな?」


どこか緊張したような固い声でそう問われ、ほんのり甘いお菓子をお兄様の前に置き、微笑みながら首を傾げる。


「私が?皇女宮にこもっていた私が、どうやってそのような噂を広められるのですか?」

「いつものように、侍女を使って広めたのだろう?」


疑念ではなく確信をもって告げられた言葉。

今迄一度も尋ねられたことなどなく、咎められたことすらない。だというのに、お兄様は全て知っていたと?


「だから何だと言うのでしょうか。お兄様はいつものようにそのまま黙って傍観していてください」

「シンシア……」

「ねぇ、お兄様。知っていて黙っていることも、共犯なのだとご存知ですか?」


クスクスと笑いながら甘いお菓子を手にそう尋ねれば、お兄様は悲しそうな顔を向けてくる。何もしなかったくせに、今更一体どういった心境の変化なのだろうか。


「今年の建国際は特別なものだと知っているだろう」

「その特別な建国際での女神役を、私はお姉様に奪われたのですよ?」

「奪われたのではなく、元に戻しただけだ。お姉様がまた女神役を務められるようになったら、その役目はお返しするといった約束だっただろう?」


だから何だと言うのか。恋人ができたからと浮かれて女神役を返せと言ってきた、そんな人より私のほうが相応しいに決まっているのに。


「今朝、貴族会議でお姉様を女神役から外すよう意見が出た」

「まぁ、そんなことが?ふふっ、可哀想なお姉様。でも、日頃の行いが悪いからよね?」


あんな信憑性のない噂を信じて、身勝手な正義を振りかざし、貴族会議という場で皇帝に意見するなんて、帝国の貴族には愚か者しかいないのかしら?

でもどうせなら、このまま抗議でも何でもしてお姉様を女神役から引き摺り落としてほしい。そうなったらどれほど愉快なことか。


そんなことを想像して笑っていた私の肩を、対面に座っていたお兄様が身を乗り出し強く掴んだ。


「痛いわ、お兄様」

「お父様が対処に動く」

「……対処?」

「お姉様が表に出ることを一番喜ばれているのがお父様だ。それを邪魔するものがあれば、排除するに決まっているだろう」

「それが私にどう関係があると?私は何もしていませんよ?」

「今迄のことは、お父様も全てご存知なんだ」

「全て、とは……?」

「お前がお姉様を悪者にし、周囲の同情を煽って噂を流させていたことだよ」

「だから、それは」

「それだけではないんだ。お姉様に懸想した令息達、お姉様を疎ましく思う令嬢達を使って、噂を増長させ続けた」

「私が可哀想だからと勝手にやったことだわ」

「だが、彼等や彼女達がしてきたことを、シンシアも知っていただろう?」

「……」

「お前が言ったんだ。知っていて傍観することも罪だと……」

「だとしても、お父様が私を処罰されるとでも?せいぜいもうしないよう注意されるだけでしょう?」

「お前はどこまで愚かなんだ。お父様が動くということは、誰かにそうするよう頼まれたということだ」

「誰に……?」

「お父様が誰を一番大切になさっているか分かっているだろう?貴族会議でのことを知った皇后が、お姉様の悪意ある噂を流した者達を処罰するようお父様に頼まれた」

「嘘……」

「お前がやっていることだと知っていて、お父様が今迄動かなかったのは、いつかお前が大人になり反省することを願っていたからだ。それなのに、反省するどころか更にお姉様を追い詰めるなんて」


唖然とお兄様を見上げながら、私の肩を掴む手が震えていることに気付いた。


「お母様が領地からお戻りになる」

「どうして?私達よりも領地でお仕事をするほうが楽しいくせに」

「事態はそれだけ重いということだ」


私から離れ、椅子に深く座り項垂れたお兄様の姿に胸が苦しくなる。


「昔は、お前もお姉様を慕っていたじゃないか。それなのに、どうして」


とんでもないことをしてしまったのではないかと、不安で心苦しく思っていたというのに、お兄様の言葉で感情が突き動かされ、視界が赤く染まった。


「美しく聡明な皇女と比べられる、地味で取り柄のない皇女の気持ちが、お兄様には分かる?」

「……シンシア?」

「今はお姉様が性悪皇女と蔑まれているかもしれないけれど、私だって成人する前までは偽物の皇女だと散々罵られてきたのよ!」


幼少期から輝くばかりに美しい第一皇女。皇后に似た娘を溺愛する皇帝は、第一皇女を何処に行くにも連れて歩き、人や物といった全てを与え、宮殿内には白亜の皇女宮と名付けられるほどの建物まで建てた。帝国内で最も愛される皇女、それがヴィオラ・ティンバーンだった。

側室の子であるお兄様と私より優遇され恵まれた環境にいるお姉様。

皇子と皇女の為に開かれたお茶会での主役は常にお姉様で、次期皇帝であるお兄様の周囲にも人が集まっていたのを覚えている。

それなのに、私の周りには誰も居なかった。

皇族の親しい友人や婚約者になろうと画策する者達が子供を促せば、きまって皆お姉様の元へと向かう。顔を赤くし一生懸命に話し掛けているのに、お姉様は退屈そうにしているだけ。それなら私と一緒に居たほうが楽しいのにと、幼い頃は一人なのが悲しくて、どうにか自分も見てもらおうと無駄な努力もしてきた。


「それなのに私はずっと偽者皇女と囁かれ、同年代の令嬢達から必ずお姉様と比べられ、笑われていたわ」


皇帝に溺愛されていないほう。側室の子。第一皇女のスペア。そんな残酷な言葉にずっと耐えてきた。


「あの頃は本当に悲惨だったわ。お母様が気付いて対処してくれるまで、私がどれほど傷ついてきたか」

「だがそれは、お姉様の所為ではないだろう?」

「お姉様の所為よ!お姉様が全部悪いの!だから、当然の報いだわ!」

「違うよ、お姉様が悪いわけではない。そうではないんだ」

「私は間違っていないわ」


だって、やっとあの眩くて手が届かなかったお姉様と対等になれたのだから。


「お姉様は噂なんて気にされてないわよ。今だって、恋人と一緒にいるじゃない」


テラスから眺められる庭園のガゼボには、二人で仲良くお茶を楽しんでいるお姉様ブラッド・レンフィードが。


「大丈夫よ……」


お父様が私を処罰しても、お母様に叱られても、お兄様に見捨てられ、初恋の人が私を見てくれなくたって、私は大丈夫。

誰も私を愛さず、一番にしてくれないような場所に未練などない。

こんなところ、私から捨ててやるのだから。


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