第26話 恋人の特権
真夜中、白亜の皇女宮では性悪皇女ヴィオラが秀麗な男性や愛らしい少女が集め、宴を開く。皇族ですら眉を顰めるその宴は日夜行われ、皇女宮の中の醜悪さを隠す為に人の出入りが制限されているという。そのような醜聞だらけの皇女の毒牙にかかったのは、帝国を支える侯爵家の子息。異性に対しては冷たく無愛想な態度を貫いてきたあのブラッド・レンフィードが、ヴィオラに会う為に皇帝へ頭を下げ、毎日欠かすことなく白亜の皇女宮へ通いヴィオラへ愛を囁く。
ブラッド・レンフィードを骨抜きにした皇女は、一体どのような卑劣な手段を用いたのか?
そんな噂が、瞬く間に社交界に広まった。
前半部分は全て嘘だが、後半に関してはほぼ間違っていないので否定しづらい。
そもそも、お試しの恋人となってからブラッドの様子が大分おかしいのだ。
『貴方が見えなくなると不安になるので、私の側から離れないでください』
ここ連日、ブラッドの知人が主催する夜会に二人で出席したところ、広間へ入るなり私の腰を抱き寄せ離れず、少しでも離れる素振りを見せればあの美しい顔を使って懇願される。
グラスすら持たせてもらえず、まるで侍従のように私の世話をするブラッド。
『私は下僕と呼ばれても構わないのですが、折角ですからヴィオラ様の恋人だと名乗らせてください』
先日誘われた観劇では、噂を聞きつけ目の色を変えた令嬢達に囲まれたブラッドが、令嬢達ではなく私を見つめたまま恋人宣言をした。そのときの令嬢達の生気を失ったような目はとても恐ろしく、後からブラッドに抗議をしたのだが彼は微笑むだけで……。
ブラッド・レンフィードはまるで人が変わったようだと、そう周囲の者達を驚かせているが、それには私も同意する。恋をしようと決意した彼の行動力や言動は凄まじく、努力は窺えるがやり過ぎ感が否めない。
これでは直ぐに疲弊して恋人関係を解消してしまうのでは?と思い、それとなく無理をしないほうがよいと忠告をしてみたものの、「無理などしていませんよ?」と甘い声で囁かれ諦めた。何かこう、色々と無理だったのだ。
「もう少し初心者感を出してほしいわ」
「……何か仰られましたか?」
「いいえ、別に」
本日の夜会でも、私の腰を隙間なく抱き側を離れないブラッド。
社交シーズン中盤ということもあり宮殿では舞踏会が開かれ、今夜はその舞踏会に二人で出席している。
既にダンスを二曲踊り、まだ踊りたいと駄々を捏ねるブラッドを宥めすかし広間の隅へと誘導してきたところなのだが、周囲の者達はそんな私達に近付くことはなく遠巻きに見ているだけ。
一人でいたときに常に感じた嫌な視線も、下心がある男性や嫌味を言う女性から声を掛けられる煩わしさもなく、これはこれでよいものかもしれないと思い始めた矢先。
「お姉様」
誰もが触れないようにしている私達の元へ、数人もの取り巻きの子息を連れたシンシアが悠然と歩いて来た。
この子は空気が読めないのではなく、あえて空気を読まないので質が悪い。
「何か用かしら?」
「お姉様はご機嫌斜めなのかしら?家族なのですからそのように冷たいことを言わないでください。私はお姉様に冷たくあしらわれても誤解はしませんが、他の方達は違うのですから、ね?」
用があるのかと尋ねただけで冷たい人認定された挙句、普段からシンシアを虐げているようにも取れる言い方に呆れ、反論する気力を奪われる。
本当に、こういうことに関しては上手いのよね、この子。
「ごきげんよう、ブラッド様。今日もお姉様のパートナーを務められているのですね」
「私はヴィオラ様の恋人ですから、当然のことかと」
「恋人……?あの噂は真実だということですか?」
「どの噂のことかは存じませんが、この通り、私はヴィオラ様の虜です」
腰を抱いている手とは逆の手が私の頬へ触れ、そのままブラッドの好きなようにさせていれば、彼の唇が髪と額に触れ離れていく。
一瞬だけ眉を顰めたシンシアを眺めたあと、背後に立つ子息達を窺う。
私の側にブラッドが居なかったときは、こうした場面ではシンシアの後ろから嫌な笑みを浮かべ楽しそうにしていたが、今は不愉快そうな顔つきで私ではなくブラッドを睨んでいる。
「仲がよろしいのですね。お二人のよくない噂が広まっていたので、心配していたのです」
「心配されていたのでしたら、尋ねられる場所を配慮していただきたかったものです」
「ですが、ブラッド様は私に会ってはくださらないでしょう?」
「会う必要がありませんから。それに、何故私に尋ねられるのでしょうか?第二皇女殿下はヴィオラ様を心配されていたのでは?」
「お姉様は、その、私のことを……」
恐る恐るといった風に私を窺いながら言葉を詰まらせるシンシアに何を思ったのか、背後の取り巻き達は出番だとばかりに憤って見せる。
「ブラッド・レンフィードは噂に疎いのか、それとも現実が見えていないのか、第一皇女殿下がシンシア様に何をしているのか知らないらしい」
「容姿を使って皇族に取り入る男だ。例え知っていたとしても変わらないだろう」
「だとしても、取り入る相手を間違えていると教えてあげるべきでは?」
シンシアと関わると毎回こうして取り巻き達が騒ぐので、私は無視をすることにしている。
けれど今回は違う。彼等は私だけでなくブラッドまで侮辱したのだから、このまま黙っているわけにはいかない。恋人は守るべき対象だと、そう小説に書かれていたのだから!
令息達に向かってうっそりと笑い、たじろいだ彼等へ一歩足を踏み出した……筈だったのに、身体がふわっと浮いたかと思えば一瞬にしてブラッドの腕の中に捕獲されていた。
「……ぇ」
「私の側を離れないようにと、お願いした筈ですよ?」
これでは動けないとブラッドを見上げた私は、彼の冷たく鋭い眼差しに驚き口を咄嗟に噤む。背筋が凍るような眼差しが向けられている相手は私ではないが、それでもこれだけ怖く感じるのだから、シンシアと彼等には耐えられないだろう。
「随分と躾がされていない者達ですね」
「……躾だと?」
「たかが伯爵家が、虚勢を張って吠えすぎなのでは?」
これは彼等をシンシアの犬に例えての嫌味だろうか?
そう思ったのは私だけではなかったらしく、ブラッドの言葉に令息達が顔を真っ赤にしている。
「現実が見えていないのは貴方達では?ヴィオラ様が何をされようが、それを責める権限は皇帝と皇后しか持ちません。それに、貴方達が処罰されずにこうして無駄に吠えられるのは、ヴィオラ様のご慈悲があってのことです」
「ブラッド様、彼等は私を想って」
「またそれですか?第二皇女殿下の為に、彼等が第一皇女殿下であるヴィオラ様に意見してもよいと?」
「そうではありませんが……でも、それならブラッド様だって私に失礼だとは思いませんか?」
「どの辺りが?」
「私のお友達である彼等を悪く言って、帝国の皇女である私に対して意見しているじゃないですか」
「それが何か?」
「何かって……」
「宮殿内を自由に歩ける許可も、白亜の皇女宮に通えるのも、麗しいヴィオラ様に愛を乞い、こうして夜会や観劇のパートナーとして隣に立つことを許されているのも、私は皇帝が正式に認めたヴィオラ様の恋人だからです」
「……」
「心も身体も傷ひとつ付けず、自身の命よりも優先するよう誓いました。ですからヴィオラ様の害になると判断したものに、容赦する必要はありません」
「害、とは……?」
「このような公の場で躾もされていない者達を連れ、私的なことを尋ねたかと思えば、言いがかりのようなことを口にする者達です。害ではなく他に何と?」
「ブラッド・レンフィード……!」
愛らしく慈悲深い第二皇女だと称されるシンシアが、初めて仮面を脱いだ。
いつもの可憐な声ではなく、低く冷たい声音に令息達は息を呑み、私達を見物していた者達も驚き動きを止めている。
私もここまで激怒するシンシアを見たのは初めてで、心の中でブラッドに拍手を送ったあと、そこまでだと彼の腕を叩いた。
「シンシア。私の恋人が貴方を怒らせたみたいね、ごめんなさい」
「……っ、怒ったわけでは、ただ、悲しかっただけです。私のほうこそ、配慮が足りなくてごめんなさい」
瞬時に取り繕うシンシアに微笑み、この妙な空気を変える為に動く。
姉妹の仲が悪いという噂は本当だったと吹聴されては、政治的にも色々と困るのだから。
「そうだわ、確かもう直ぐ建国際だったわね?」
毎年行われる建国際。余程のことがない限り皇族、王族は他国を訪れることはないが、今年は節目となる特別な年なので隣国から王族が訪れることになっている。
「建国際……そうだ、お姉様はご存知ですか?彼が、建国際の騎士役に選ばれたことを」
作り笑顔ではなく、心底楽しいといった風に笑ったシンシアがブラッドを指差す。
私は勿論、ブラッドも初めて聞いたのか、互いに目を合わせて首を傾げる。
「ブラッドが騎士役?」
「はい。私は女神役なので、今日教えてもらいました」
建国際では女神役と騎士役が選出され、三日間共に行動し建国際を盛り上げる。
その建国際で最も注目される剣術大会。そこでブラッドが優勝したのは知っているが、騎士役を務める彼の姿など一度も見たことがない。
「侯爵から、何か聞いているの?」
「騎士役……?どうでしょうか、全く興味がないので聞き流している可能性もありますが」
肩を竦め微笑んだブラッドは、恐らく本当に騎士役に興味がないのだ。でも彼の性格を知らないシンシアや令息達は、騎士役という大役を軽んじていると憤るかもしれない。
「家に戻ったら一度訊いてみなさい。騎士役に選ばれたのであれば、しっかり演じてもらわないと。今年は特に」
「分かりました」
また煩く騒がれる前に、私が騎士役は重要なものだと口にしておけば、それで納得したのかシンシアが得意気に笑う。
「女神役は毎回私が務めていますから、今年はよろしくお願いしますね、ブラッド様!」
女神役は元々私が務めていたが、シンシアが成人してからは、あの噂のこともありずっと任せていた。
回帰前、隣国からお祝いに訪れた王子は、女神役を務めるシンシアの姿に一目惚れをし、求婚したのではなかっただろうか?
そんなことを思い出しながら、ブラッドの腕に手を伸ばすシンシアを眺めていた。
彼の腕の裾を掴み上目遣いに微笑むシンシアという姿が容易に想像できたが、さり気なく身を引いたブラッドがシンシアの手を躱したので、残念ながら実現はしなかった。
「私はまだ引き受けてはいません」
「もう既に決まったことですよ?皇帝であるお父様がお決めになったことなのに、ブラッド様は断るつもりですか?」
今度は逆にブラッドがシンシアに黙らされてしまい、令息達から小さな笑いが起きる。
「来週から建国際に向けて打ち合わせや衣装合わせ、あとは二人で行う催しなどを決めますから、楽しみにしていますね」
勝ち誇ったようにブラッドにではなく私に向かって言ったシンシアは、そのまま令息達を連れ離れて行く。その後ろ姿をジッと見つめるブラッドの表情は凄まじく凶悪で、普段冷静な彼がこれほど嫌悪感を出している姿を目にして、ふむと考え決意する。
「騎士役は断れなさそうね」
「どうにかしてみます」
「その必要はないわ」
「ですが、私はヴィオラ様以外に膝を折る気は……っ」
ブラッドの腕の中で向き合い、彼の唇に人差し指を押し当てる。
「ブラッドは、私だけの騎士よ」
「……」
「丁度、明日の夜に家族で食事を取ることになっているのよ」
どういうことだろうかと目を瞬くブラッドの肩をトン、トン、と優しく叩き。
「断れないのであれば、他を元に戻せばよいだけだもの」
だからそう不安がることはないのだと、シンシアが立ち去った方を見ながら口角を上げた。
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