第25話 恋人


片膝を突いて愛を乞うことは、相手に忠誠心と永久の愛を誓うという愛情が込められた行為であるということを、ブラッドは知っているのだろうか?


「冗談よね……?」


考えや感情がまとまらず、口から出たのはそんな言葉で。笑いながら立ち上がり「冗談でした」と言ってくれないかという私の希望を、ブラッドは左右に首を振り叩き落した。


「冗談でこのようなことを口にはいたしません」

「……そうよね」

「ヴィオラ様は恋がしたいと仰っておられました。その相手を探しているのだとも」


確かに恋がしたいと言ったし、その相手を探していることも、ブラッドには隠さず行動してきた。余計なことかも知れないが、ほんの少しでもいいから彼にも恋とか愛というものに興味を持ってもらえたらと。

だから、彼が恋をしようと思えたことはとても喜ぶべきことではある……のだけれど、その相手に私を選ばなくても良いのでは?

私は恋人ごっこがしたいのではなく、その先の将来のことも見据えている。

恋をしたあとは自ずと結婚し、そこから先の具体的な計画は何もないが、夫婦で仲睦まじく過ごしたいという切実な願いを叶える為に今こうして動いているのだから。


さて、ここでブラッドと恋人になってしまったらどうなるのだろうか……?

結婚適齢期は過ぎ、噂の所為で碌な男性が寄ってこないうえに、帝国内での縁談は危うい。一時期は他国に嫁ぐという手も考えはしたけれど、皇女という身分であれば相手は必然的に王族となる。そうすると今現在未婚で歳が近い王族はたった一人だけ。でもその人は、回帰前のシンシアの旦那様。

そんな詰んでいるような状況である私が、ここからあと数年ほどブラッドとの恋を楽しみ、互いにもう良いかと別れたときに結婚ができるとは思えない。

だからこそ全てを考慮した結果、やはりブラッドはなしである。

そう結論を出してコクリと喉を鳴らし、躊躇いながらも口を開いたのだが……。


「お待ちください」


私が何かを口にする前に、ブラッドが片手を上げ遮った。


「私は、ヴィオラ様が理想とする条件の全てを突破したと思っていたのですが、それでも断られるのでしょうか?あとは何が足りないのですか?教えていただければ努力し、必ずお眼鏡にかなうようにいたします」


ですからどうか……と懇願するブラッドに慄き、断る為の言葉を口にできない。

だって、どうしてこのような人がここまでするの?何が彼を突き動かしているのよ……。


「ブラッド、兎に角一度立って」

「まだお返事をいただいておりません」

「返事、を……」


そっと目を伏せ断罪を待つようなブラッドの姿に胸が痛む。

絶対に断ったほうがよいと分かってはいても、気になっているのだから付き合ってみればよいと囁く自分がいる。

先はないと知っているのだから、余計な期待などせずに恋というものだけを楽しめばよいのだと、その過程で結婚は必要ないと思うかもしれないし、逆に結婚したいと強く思えるようになるかもしれない。別れたあとは、政略結婚だとしても恋をした経験があれば案外上手くいくような気がする。


「……」


ジッと私の返事を待つブラッドを見つめながらそう新たに考え直すも、最後の悪あがきとばかりに問いかける。


「もしかして、お父様から何か言われているのでは?」

「……皇帝からは何も言われておりませんが?」


以前、婚約者にどうかとブラッドを勧められたことがあったので、もしやと思って訊いたのだが違ったらしい。


「それなら、これはレンフィード侯爵の意向であるとか」

「父に何か言われ実行に移すほど、私は子供ではありませんよ」



だとしたら、これはブラッドが望んだことであるということだ。


「恋をしようということは、恋人になるということよ?」

「はい」

「恋人がどういうものなのか、本当に分かっているの?」

「はい」

「その、お友達だったときとは違うのよ?」

「友のままでよいのなら、このような提案はしておりません」


ゆっくりと顔を上げたブラッドに微笑まれ、うっと言葉に詰まる。

恋人がどういうものかなんて私には分からないが、それは多分ブラッドも同じだと思う。だってこの人も生涯そういう相手がいなかったのだから。


「……あっ!」


そこまで考え、ハッとした。

やはりブラッドも私と行動するようになって恋というものに興味を持ったのだ。

それなら彼が私を選んだ理由も納得できる。互いに初の異性の友人であり、恋や愛に不器用な姿も隠すことなく見せている。だから恋人となってやはり駄目だと、自分には向いていないと思ったとしても、後腐れなく別れることができるのだから、お試しというには最適な相手である。


「それでだったのね……」

「ヴィオラ様、何か勘違いなどを」

「大丈夫よ」


勘違いなどせずに時期がきたら恋人関係を解消するから、そんな不安そうな顔をしなくても任せておいてほしい。


「返事だったわね。互いに初心者だからどうなるか分からないけれど、恋人になりましょう」

「……」

「私も本で調べてみるから、貴方も……ブラッド?」

「あっ、はい」

「聞いていたわよね?」

「はい、その……恋人に、恋人、よい響きですね……」

「これからよろしくね」

「こちらこそ、大切にいたします」


ブラッドが少し涙ぐんでいるように見えたが陽の光の所為だろうと、やっと立ち上がった彼の腕に手を絡めた。一瞬ビクッと彼の肩が跳ねたが、恋人というものはこういったように歩くものだと諭せば、真剣な顔で深く頷かれ、そのままぎこちなく屋敷へと向かった。





そのようなことがあった翌日。


「それで、レンフィード侯爵夫妻には、お二人が恋人になったということをお話されたのですか?」


皇女宮にある庭園にジェマを招待していた私は、昨日のことを報告しつつ、恋人について一緒に考えてもらおうと一通り話し終えたところで、彼女からそんな質問をされ頷いた。


「お試しの恋人なのだから、侯爵と夫人に伝える必要はないのでは?とは言ったのよ」

「言ったところで止まらないでしょうね。外堀を埋めにきていますから……」

「外堀?」

「囲って逃がさないようにしているんですよ。やっぱり、ヴィオラ様に執着していましたね」

「執着ではないと思うのだけれど」

「そうでしょうか?でも、私も恋をした経験はありませんから、その辺のことは曖昧で。なので、相談されてもあまりよい助言はできませんよ?」

「聞いてもらえるだけで助かっているわ。もう、余裕がなくて……」


ブラッドと恋人になったのはいいが、これから何をすればよいのかさっぱり分からない。

昨夜は宮殿に戻って来るなり蔵書館へと走り、慌ててそこにあるだけの恋愛小説を借りてきたのだが、大抵の小説は恋をするまでの過程が主で、恋人となったあとの話は最後の数ページのみ。

これでは何も分からないと頭を抱え、アンナを筆頭に恋人がいたことのある侍女を探すも、そもそも皇女宮で働く侍女は皆が貴族のご令嬢なので、恋人となったらそれはすなわち婚約からの結婚となる。


「騎士と結婚するのですから、恋人という期間がありますよね?」

「それが、大抵は結婚を前提として付き合うらしいの。告白され受け入れれば、休日に互いの家へ訪れ、両親に許可をもらい、婚約手続きとなるわ」

「だとしても、恋愛小説にあるような逢瀬が」

「騎士と侍女だから忙しいそうよ。お互い多忙なうえ、休憩時間や休日が違うの。稀に休日が同じ日になったとしても、騎士が召集され会えなくなることがほとんどだとか」

「小説には、二人で街を歩いたり、買い物をしたり、夜は宮殿の隅で会ったりしているのに、現実は違うのですね」


違い過ぎて困っているのが現状である。


「ヴィオラ様は外出の許可が取れれば外へ出られますよね?」

「ある程度の制限と護衛騎士が必須になるけれど」

「それでしたら、ブラッド・レンフィード様はまだ侯爵家の当主ではないので、貴族会議に出席はされていないでしょうし、社交だけに力を入れておけばよいのでお暇だと思うのです」

「暇ではないと思うわよ?」

「領地でなら何かしら仕事があるでしょうが、今は帝都にいらっしゃいますからお暇ですよ。あの方なら護衛騎士の代わりになりますから、連絡を取って帝都を回ってみてはいかがですか?」

「連絡……?」


帝都には美味しいものがあると瞳を輝かせたジェマに首を傾げると、またあの人には見せられないような顔をされた。


「恋人になったのですから手紙や人を使って連絡を取るような約束は……していないのですね、だと思いました」

「そうよね、連絡手段が必要だわ」

「婚約者であれば、手続きさえすれば宮殿でも皇女宮でも好きに訪れることができますが、ただの恋人ではそうはいきませんから」

「あまり深く考えていなかったわ……」

「あの方のことですから、そういったことは先回りしていそうなのですが……あっ」


紅茶のカップを持ち上げたジェマが、私の背後に視線を向けたまま動きを止めた。何かあるのかと振り返れば、庭園の入り口にブラッドが……。


「……ぇ、どうして、ブラッドが此処に?」


目を見開き立ち上がると、入り口から歩いて来たブラッドが私の目の前に立ち身を屈めた。


「宮殿のほうに用がありまして。ご機嫌麗しく、ヴィオラ様」


そっと持ち上げた私の手に顔を近付け、唇が触れるか触れないかの位置で「チュッ」とリップ音が鳴る。

他愛ない挨拶ではあるが、ブラッドがするとどうしてこう凄いことのように見えるのだろうか……。

頬が熱くなるのを感じ慌てて手を取り返すと、ブラッドは眩しそうに私を見つめたあとジェマへ顔を向けた。


「そちらは……」

「ご挨拶するのは初めてですね、ジェマ・オトクスと申します」

「ブラッド・レンフィードです。貴方がオトクス伯爵家のご令嬢でしたか。ヴィオラ様が最近貴方の話ばかりされるので、勝手に親近感を持っていました」

「私も貴方の話を聞いていましたが、親近感ではなく猜疑し」

「ジェマ……!」


今絶対に猜疑心って言おうとしていたわよね?とジェマを見ると、私と目が合ったジェマは口を閉じ、しれっと紅茶を飲み始める。思ったことを直ぐに口に出すのだから……と額を押えながら、立ったままのブラッドに空いている椅子を勧めた。


「どうして庭園に?」

「皇帝が、ヴィオラ様が親しい友人を招いてお茶会を行っていると嬉しそうに話されていましたので」

「お父様とお会いしていたの?」

「はい。昨日のことに関して話がありましたから」

「……昨日って、まさか」


さらっと告げられた内容に驚く私を余所に、ブラッドは悪びれもせずに続ける。


「私の両親には昨日伝えましたから、遅かれ早かれ皇帝に話がいくかと。後から知らされるよりも、翌日に私が伝えたほうが心証は良いかと思い、父に頼んで謁見を通してもらいました」

「心証が……?」

「はい。今はまだ恋人ですが、これから先はどうなるか分かりませんので」


それは、別れたときに責任を問われないよう心証をよくしておこうと、そういうことなのだろうか?それなら私からも説明しに行かないと。私だけが怒られるようなことになったら嫌だもの。


「お父様は何と?」

「お喜びになっていましたよ。親友の息子ですから」

「そ、そうなのね」


お父様が認めた男性にしか嫁がせないと口にしていた癖に、親友の息子だからと喜ぶなんて、お父様はどれほど侯爵がお好きなのかと呆れてしまう。

ポットからカップに注いだ紅茶をブラッドの目の前に置くと、トンとテーブルの下にあるヒールが蹴られ、ジェマへ視線を向ける。小さく口を開いたジェマが「連絡」と唇を動かし、先程の会話を思い出した。


「ブラッド、連絡手段のことなのだけれど」


帝国の代表的な紅茶とはいえ誰にでも手に入るもの茶葉を、「今迄で一番美味しいです」と絶賛しているブラッドに連絡手段の必要性を訴えた。

手紙か人か、そのどちらかだとしてもそれはいつまでに連絡する必要があるのか、観劇や夜会のパートナーとなるのであれば装いを合わせたりするので、連絡は必須となると説けば。


「それでしたら、私がこうして毎日皇女宮に顔を出します」


よく分からない答えが返ってきた。

そっとジェマを窺うも、彼女にも意味が分からなかったのか静かに首を横に振られてしまう。


「私が話していたのは、連絡手段のことなのだけれど」

「手紙や人を使って何か間違いがあるといけませんから、私が直接お伺いいたします」

「……でも、毎日と」

「毎日です。皇帝には許可をいただいております」

「お父様……」

「とはいえ、社交シーズンの間はそれができますが、領地へ戻れば手紙での遣り取りになってしまうのでしょうが」

「それが普通だと思うわ」

「ヴィオラ様が夜会に出席されるときはパートナーとして私も出席します。観劇も帝都観光も喜んで。それ以外でも、ただこうしてお顔を見られるだけで幸せですから、毎日会いに来ることをお許しいただけると嬉しいです」

「ちょっと、ブラッド……?」

「許すと」

「ゆ、許すから、少し離れて!」

「では、これからこうして毎日お会いできますね」


触れるほど近付かれ混乱する私から、確実に言質を取っていったブラッドの強かさに思わず唸る。




「外堀どころか、隙間すら許さない勢いですね」


こういったことにすらそつがないのかと慄く私と、始終笑顔を浮かべているブラッドを眺めていたジェマが、そっと呟いた。







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