第24話 まだまだ別宅訪問中


「ようこそお越しくださいました、第一皇女殿下」


宮殿で見かける硬質な雰囲気とは違い、夫人と並んで立つ侯爵の空気はとても柔らかい。お父様と一緒に居るときの少年のような侯爵も良いが、今の侯爵のほうが断然素敵に見える。


「お久しぶりですね、侯爵」

「最後にお顔を拝見したのは……」

「去年の社交シーズンのときだったかしら?私は途中から社交を止めていたから、そこからは会っていないわ」

「私は宮殿にはほぼ毎日居るのですがね」

「宮殿にも用がなければ向かわないもの」

「皇帝が寂しがっていますよ?」

「お母様が居るのに?」


驚いたといった風に口元に手を当てる私と、大袈裟に眉を上げ頷く侯爵。

愛娘も大切だが、それ以上に皇后である自身の妻を大切にしているお父様。そんなお父様をよく知る人物だからこそ、こうした冗談を言い合える。


「こちらは私の妻です」

「第一皇女殿下に初めてご挨拶いたします。ナリア・レンフィードと申します」


立ち姿も微笑みかたも、ひとつひとつの所作が美しい侯爵夫人からの挨拶を受け取り、微笑み返す。


「侯爵がよく夫人の自慢をなさるから、初めてという感じがいたしませんわ」

「よく……と仰られるほどではないかと」

「あら、お父様に張り合って夫人の素晴らしさを語っていたような」

「……」

「まぁ、そのようなことを?余計なことを口にしていなければよいのですが」


口を噤んで顔を逸らす侯爵に向かってふふっと笑う夫人の顔は、ブラッドとよく似ている。今この瞬間まで彼の美貌は父親譲りなのだと思っていたのだけれど、恐らく根本的な顔貌のつくりは夫人寄りなのだろう。

そんな考察をしていた私は、まだブラッドと繋いだままの手を彼の指の腹でトン、トンと叩かれ、隣に立つ彼を見上げた。


「まもなく訓練の時間なのですが、一度屋敷で休まれてから見学されますか?」

「いいえ、見学に来たのだからそちらを優先するわ。案内してもらっても?」

「はい」

「では、私達は後程」


私とブラッドの遣り取りを眺めていた侯爵は、夫人の肩を抱き屋敷の中へ入って行く。たったそれだけなのに、微笑み合いながら歩く仲の良さそうな姿がとても素敵で、侯爵夫婦を見つめながらほおっと息を吐くと……。


「父よりも、私のほうが良い男だと思いますよ?」


ブラッドが私の顔を覗き込み、真剣な顔で見当違いなことを口にした。

また何を言いだしたのかと苦笑しながら、私達の背後に立つアンナに執事について行くよう合図する。例え此処が皇帝に絶対の忠誠を誓う侯爵家であろうと、皇族が口を付けるものは全て専属の侍女か侍従が確認する必要があるからだ。


「それで?年齢を重ねたぶん経験を積み、侯爵としての実績や信頼を持つ貴方のお父様よりも良い男とは、どなたのことかしら?」


少し揶揄ってみようかとそんなことを口にすれば、片手で顔半分を覆ったブラッドが悲しげに首を横に振る。


「ですが父は既婚者ですので、息子である私で我慢なさってくださらないと」

「そうね、仕方がないからブラッドで我慢してあげるわ」

「それはとても光栄なことです」


まるで観劇のような遣り取りをしながら、屋敷の裏へと案内される。

裏とはいえ、二人ほど歩けるくらいの幅で舗装された散歩道があり、侯爵と夫人がこの道をよく二人で歩いているのではないだろうか。

此処も門を入ったところと同じように左右に花壇があり、色とりどりの花が咲いている。その花々を眺めながら時折ブラッドが「この花は……」と説明まで加えてくれるのだから、配慮が素晴らしい。

本当にそつのない人だわ……と感心しながら花のアーチを抜け、その先には簡易的な訓練場が。そこには体格のよい青年達が座りながら談笑していた。


「もう休憩時間か……?」


ブラッドが青年達に向かってそう声を掛けると、振り返った彼等は直ぐに立ち上がり、彼の側に立つ私に顔を向けたあと動きを止めてしまった。


「彼等には、私が見学に来るということは伝えてあるのよね?」

「えぇ、勿論です」

「そうよね、でも、それならどうして……」


本人達を前に「凄い顔だわ」と口にしてもよいものかと、咄嗟に言葉を飲み込んだ私は偉い。

口を大きく開けたままの者や、ブラッドと私を交互に見ながら複雑そうな顔をする者と様々で、その内の一人の青年が私達へ駆け寄って来たかと思えば、ブラッドの両肩を荒々しく掴んだ。


「……っ、おい?」

「ったのですか……?」

「何を、言って」

「ただの妄想ではなかったのですか!?」

「……は?」

「ですから、団長の妄想だと、皆がそう思っていた……むぐっ!」

「分かったよ、少し黙ろうか?」


肩を大きく揺さぶられていたブラッドは、何故か急に反撃に出て、青年の両頬を片手で掴み黙らせてしまった。口元を手で覆われた青年はブラッドの言葉に必死に頷いている。


「失礼いたしました。これが私の補佐をしている者です。普段はもっと落ち着きのある者なのですが、皇族を前にして気が高ぶってしまったようです」

「嫌な気分にさせたのでなければいいのよ。その、痛そうだから離してあげなさい」


きっと彼等はブラッドを敬愛していて、そのような上司の側に禄でもない噂がある皇女が居たら気分は良くないと思う。それを分かってはいても、初めて出来た親しい友を手放すことはできず、こうして屋敷にまで押しかけているのだから、多少の嫌悪の視線や嫌味くらいは覚悟をしていた。

それなのに、青年達の私を見る目が……こう、哀れみのようなものに感じるのは何故なのか。


「すみません、驚き過ぎて失態を。寛大なご配慮を感謝いたします」

「ヴィオラ様はとてもお優しい方だからな」

「それに、とてもお美しいですね」

「そうだろう?」

「領地の邸宅に飾られている絵姿はっ……ぐっふぐ!?」

「だから、黙っていようか?」


またもや口を塞がれてしまった青年に驚いているのは私だけで、他の人達は止める気配すらない。もしやこれは彼等にとって日常的なお遊びのようなものなのかもしれないと思い、唸りながら涙目で私を見る青年にコクリと頷く。大丈夫、邪魔はしないわ。




「訓練を始めますので、そこにあるベンチで見学されてください」


青年のシャツの襟を掴み、木剣らしきものを手に訓練場の中心へ移動して行くブラッドを見送りながら、ひとつしかないベンチに座る。

訓練場は簡易的とはいえこの人数であれば広さは十分で、設備だって宮殿にある訓練場に置かれている物と同じような物が揃っている。ベンチの端には水筒やタオルなどがあり、休憩は此処でしているのだろう。


「それにしても、本当に完璧な人よね……」


侯爵家の嫡男、騎士団を統率できるほどの剣の実力に、老若男女問わず好かれ、容姿も財力は帝国では敵う者は居らず、それに加えてあの可愛らしい内面。


「知れば知るほど好意が増していくのだから、困ったものだわ」


初めはただの興味本位。そこから親しくなり、内面を知り、良いところばかりが目に付くようになる。そこまでいけば、あとは坂から転がり落ちるように恋をすると、そう恋愛小説には書いてあった。

彼の笑顔を見ると心臓がギュッとなり、彼が近付くと心臓が高鳴る。一日中彼のことばかりを考えてしまう。そんな恋がしたくて頑張っているというのに、恋をするのにとても理想的な人があれでは……と肩を落とす。

回帰前の私のように、ブラッドが誰かに恋をすることも、家の為に結婚することも絶対にない。生涯独身を貫き、侯爵家は養子に渡してしまう。

だからこそ、これ以上彼に好意を持ったところで不毛なだけ。

寧ろこれから出会う男性をブラッドと比べてしまうようなことになったらどうすれば……。


「距離を置いたほうが……?でも、同士だし」

「ヴィオラ様?」

「……やっぱり、他国に」

「ヴィオラ様」

「あっ、え」


いつの間にか目の前にブラッドが。一人でずっと複数人を相手にしていたからか、彼の額から頬へと汗が流れ落ちている。そんな姿ですら美しいのかと半眼し、隅に置かれているタオルを掴んで差し出した。


「凄いわね、一人であの人数を相手にするなんて」

「よい運動にはなりました」

「そんなことを言うと、ほら、睨まれているわよ?」

「睨むくらいなら可愛いものですよ。普段なら木剣を振り回して追い掛けてきますから」


楽しそうに口角を上げるブラッドが子供のようで、またしても彼の魅力のようなものを知ってしまったと愕然とする。


「訓練は十分お見せできたと思うので、屋敷へ移動しましょうか?」

「そうね」

「少し汗臭いかもしれませんが、エスコートしても?」


汗臭い?とどこから見ても爽やかなブラッドにそんなことを言われたら気になってしまう。

ベンチから立ち上がり少しだけ彼へ顔を近付け、スン……と匂いを嗅ぐが、花の匂いしかしない。この男は一体何で出来ているのかと訝しみながら顔を上げれば、顔を真っ赤にしたブラッドと目が合った。


「……っ、あっ、何を」


顔を顰めたり、睨んだりではなく、どうしてそう乙女のように恥じらうのか……。

これでは、私は痴女である。

このままでは性悪皇女ではなく、痴女皇女という不名誉な噂が流れてしまうと慌てた私は、なかったことにしようと話題を変えることにした。


「彼等はあのまま放っておいて構わないの?」

「彼等……はい。私が居ないほうが訓練に身が入りますから」

「とても楽しそうに訓練していたようだけれど?」

「そうですか?」


上手く誤魔化せたことに安堵し、花のアーチを潜る。

風で花びらが舞い、ブラッドの髪に花びらがのるのを見て、そっと手を伸ばした。


「……花びらですか?」

「髪についていたから」

「ヴィオラ様の髪にも、ほら」


アーチの下で足を止め、私の髪に近付いてくるブラッドの指先をジッと目で追いかけた。

この人は指先まで綺麗なのだと、そんなことばかり考えてしまう自分が嫌になる。


「少し、元気がなさそうですが。何か気分を害されるようなことがありましたか?」

「何もないわよ」

「そうですか……そうだ、甘い飲み物はお好きですか?」

「甘い、飲み物?果物を絞ったものかしら?」

「果実水ではなく、ホットチョコレートなのですが」

「それなら大好きよ」

「最近母がその飲み物に夢中で、恐らくお茶にはそれが出てくるかと」

「それは楽しみだわ!」


声を弾ませる私を見つめ微笑むブラッドは、元気がなさそうだからと甘い物の話で機嫌を取ろうとしたのだろうか?


「それで、訓練はいかがでしたか?宮殿の騎士や我が家の騎士に、私は負けてはいないと思うのですが」

「そうね……っ!」


本音が零れ、慌てて口を閉じたが本人にはハッキリと聞こえていたらしい。

いつになく嬉しそうな顔で笑うブラッドを恨めしく思い、エスコートする彼の手から離れ止めていた足を動かす。


「ヴィオラ様」

「何よ、まだ褒めてほしいの?えぇ、貴方が一番よ。帝国で一番優れた人よ」


ここまで言えば満足するだろうと、真っ直ぐ前を見ながら褒めておく。どうせ直ぐに追いつき「当然です」と笑うのだと、そう思っていた。


「それでしたら、恋をする相手は私で構いませんね」


けれど、ブラッドは私の予想の斜めをいった。


「……」


聞き間違いかと自身の耳を疑い、眉を顰める。

いや、まさか……と乾いた笑いを零し、今何と言ったのかと確認する為に振り返れば、地面に片膝を突いたブラッドが私をジッと見上げていた。


「私と、恋愛してみませんか?」


驚き何も言えない私に追い打ちをかけるように、微笑みを浮かべたブラッドがそう口にした。




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