第23話 レンフィード侯爵家の別宅


「何だか、緊張するわ……」


馬車で宮殿から貴族街へ向かう道すがらそう吐露すれば、対面に座るアンナが苦笑する。


「公式行事や公務ですらそのようなことを仰られたことはありませんのに」

「あれらとこれは別だもの」

「そうですよね。同性のご令嬢方ならまだしも、異性である侯爵家のご令息から招かれたのですから」

「何もないわよ?ただ、訓練を見学しに行くだけよ?」

「お二人はそう思われていても、周囲は色々と邪推するものです」

「だから偽装しているでしょう?」


貴族街にあるレンフィード侯爵家の別宅まで向かう馬車は、皇子や皇女が使用するものではなく、お父様である皇帝が私用に使っているものを借りてきている。これなら誰が見てもお父様が侯爵に会いに来たのだと思うだろう。

更に、本日のドレスは襟元が詰まった総レースのロング丈の上品で落ち着いた色合いの物を選び、赤い髪はひとつにまとめたあとつばの広い帽子で隠した。


「馬車から降りても、誰も私だと思わないわ」

「本日は侯爵家の別宅以外に向かわれるところはありませんので、そこまでされなくても良かったのですが」

「でも別宅で雇用している者達に見られるかも知れないでしょう?ほら、私の噂は貴族だけではなく平民にも広まっているから」


皇女の公務として視察や慰問などを行っているが、正直反応は良くない。

第一皇女と聞くだけで皆の表情は曇り、私の機嫌を窺うような対応へと変わり、本来の目的から離れたものになってしまうのだ。


貴族街の奥へと馬車で進むと、一際目立つ重厚な門が見えてくる。門番に通され敷地の中に入れば、辺り一面には大輪のバラが。品種によっては春と秋の二度ほど咲き誇るバラが見られはするが、この侯爵家の別宅では一年を通じてバラが咲いていると聞いた。


「……凄いわね」


屋敷へ続く長い道の左右に並ぶバラの木。それらを馬車の窓から眺め感嘆の声を漏らせば、私と同様に窓の外に釘付けとなっていたアンナからも「素晴らしいですね」と声が聞こえた。

皇女宮にある庭園と同等かそれ以上だと話ながら、夢のような景色を堪能する。


「そろそろかしら」


門からしばらく馬車を走らせると、バラの木ではなく木々へと変わり、そこを抜け屋敷が見えたかと思えば静かに馬車が止まった。すかさずアンナは私のドレスの裾を正し、私も姿勢を直すと、馬車の扉が開かれる。


「……ぇ」


御者だと思い手を差し出した私は、開かれた扉から現れた人物に驚き目を瞬いた。


「……ブラッド」

「はい」

「どうして貴方が?御者は……?」

「折角ですから変わってもらいました」


何が折角なのだろうかと呆れつつ、もしかしたらずっと屋敷の前で待っていたのではないかと訝しむ。

大体の訪問予定時間は予め伝えてはあるが、本来なら馬車が到着したあと御者が屋敷の者に報せ、報せを受けた執事が客人を出迎える。私は皇女という身分なので侯爵家の者が出迎えてもおかしくはないが、馬車が止まってから扉が開かれるのまでの時間が早過ぎるのだ。


「御者の仕事を取らないであげ……て……っ!?」


私に睨まれながらも嬉しそうに微笑むブラッドが手を差し出す。溜息を吐き、苦言を口にしながら彼の手に向かって指先を伸ばし、そこで妙な違和感に気付き、不自然に言葉が途切れてしまった。


「ヴィオラ様……?」


慌てて視線を上げたが時すでに遅く、徐々に熱くなってきた頬を両手で隠すが何の意味もない。


「……」

「何か問題でも……?」


何か予期せぬ問題でもあるのでは?とブラッドが身体を半分馬車の中に入れてきたので、咄嗟に「ブラッド……!」と彼の名を叫んでいた。


「あの、ヴィオラ様?」

「……っ、ブラッド、その恰好は」

「恰好……?」

「だから、それよ、それ!」


動揺し過ぎて喚いている自覚はあるが、もうこうなるのは仕方がないと思う。だってブラッドの恰好が原因なのだから。


「訓練があるときは、こういった格好なのですが……」


社交場で目にするきっちりと着込んだブラッドではなく、白いシャツとズボンといった簡素な恰好。これだけなら宮殿で見た騎士団と同じなので何も問題はない。

そう、問題があるのは、白いシャツの前がはだけ鍛え抜かれた胸やお腹が見えていることである。

首を傾げているブラッドに眉を寄せ、彼の胸元へ向かって指を差す。


「訓練のときにどのような恰好をしても、それはブラッドの自由だと思うの。でも、それは、目に毒よ!」

「……それとは?」

「それよ、それ」

「……っう!?」


私の指先をたどって視線を下げたブラッドは、自身の胸元を見て数秒固まったあと、バッとシャツを引っ張って胸元を隠した。


「……ち、違うんです。これは、先程まで軽く運動をしていたので、ですから、だから」


真っ赤になった顔をふるふると左右に振りながら、自身を両手で抱き締めているブラッド。

何やら凄く慌てて言い訳を口にしているブラッドと、そのような彼に対して眉根を寄せている私の姿は、第三者から見ると下僕と皇女に見えてしまうのでは……。


「私達、二人共少し落ち着きましょう。ほら、取り敢えずシャツのボタンを閉めて」

「あっ、はい」

「ボタンを掛け違えているわ。それを先ずは外して」

「すみません。見苦しいものをお見せしました……」


身体を小さくし弱り切ったブラッドの姿はとても心が揺さぶられるような感じで、彼を狙っている令嬢達が今この場に居たら大変なことになっていただろう。

普段は完璧な男性が崩れるとこうなるのだと驚きつつ、落ち込む彼を慰める為に口を開いた。


「見苦しくはないわ。ただ……」

「ただ……?」

「そこまで鍛えられた身体だと、目の保養を通り越して艶やかだから、気を付けたほうがよいと思うのよ」

「……艶や、か?」


唖然とするブラッドに深く頷き、顔だけではなくその身体も危険だと教えておく。

シャツのボタンを一番上まで閉めたブラッドに「エスコートを」と手を伸ばせば、彼は恐る恐る私の手を掴む。壊れ物でも扱うかのようにそっと大切そうに触れるものだから、思わずふふっと笑いが零れてしまう。


完璧で男らしい男性というよりは、どちらかと言えば可愛らしい人よね?と思いながら馬車から降ろしてもらい顔を上げると、屋敷の前に並んで立って居る夫妻が……。


「侯爵と、侯爵夫人……?」


男性の方はお父様と一緒に居る姿を何度も見ているし、挨拶だって交わしたことがあるので、彼がレンフィード侯爵だということは分かっている。だとしたらその男性の隣に寄り添うように立っている女性が侯爵夫人で間違いない。


「私が出迎えると言ったら、二人もついて来てしまって」

「もしかして、ずっと此処に……?」

「ずっとではありませんよ。数時間程度かと」

「……」


だから、どうして御者を待てないのか……。

息子の暴挙を止めず侯爵まで付き合うなんて何を考えているのかと額を押えていれば、こちらへ歩いて来た夫妻は、私とブラッドを見て微笑んだあと軽く会釈した。


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