第12話 男の真実
「おかしなことは口にしていないよな……?」
かなり浮かれていた為ところどころ記憶が曖昧で、言葉を選んで話せていたかどうかも怪しい。意図せず……いや、多少は期待していたことは否めないが、まさかああして話ができるとは思ってもみなかった。
整えられている髪を手で乱暴に崩し、まだ若干混乱している頭でテラスでのことを反芻すれば、心が躍り落ち着かない気分となる。
身体を起こしクラヴァットを力任せに外したあと深く息を吐き、扉に背を凭れながら窓際に飾っている絵画を見つめた。
皇族が揃って描かれた絵画は父が皇帝から押し付けられたもので、渋々貰ってきた当初は二階へ上がる階段に設置されていたのだが、母の理想の屋敷には似つかわしくないのでは?と尤もらしい理由をつけ奪ってきた。
その絵画には以前目にしたことのある皇帝と皇后と第一皇女だけではなく、側室とその子供達も描かれてはいるが、やはり一番存在感があるのは第一皇女であるヴィオラ様だろう。
彼女が描かれている部分だけを切り取れないかと画商を呼んだこともあったが、いくら大金を積まれてもそれはできないと泣かれ仕方がなくそのままだ。
そしてその絵画の隣には額に入った新聞の切り抜きを飾っている。その切り抜きは成人を迎えたヴィオラ様の絵姿であり、成人した年に特別に新聞に載せられたと聞いた。
そのことを知らずこの別宅で新聞を見つけたとき、俺は歓喜の雄叫びを上げたらしい。
無意識だったのと、新聞を保存することに専念していたので覚えていないが、丁度この別宅を訪れていた知人が真っ青な顔をして教えてくれた。
「……可愛いな」
侯爵家の跡継ぎとはいえ想う相手は帝国の第一皇女だ。
特に目立った功績もなく、貴族会議に席もない。親しい共通の知人も居らず、接点は皆無。取り柄と言えば容姿だけの男が突然求婚書を送れば、あの方なら顔合わせすらせず断るだろう。
もう三年もの間、ずっと彼女を見てきたのだからそれくらい分かる。
「もっと気の利いたことを言えればよかったんだが」
真っ直ぐ自分へと向けられた青い瞳に見惚れ、その瞳に映れたことに歓喜した。
肩にかかった赤い髪に手を差し入れ、滑らかな白い頬に触れ、折れそうなほど細い腰を抱き、ずっと自分だけを見ていてほしいと、そう懇願したくなる衝動を抑えることに必死で会話がどうのと考えている余裕などない。
頬が緩みそうになるのは唇を噛んで回避し、理性を失わないよう耐え、気を抜くと「好きです」「愛しています」と口から出そうになるので相槌を打つことに専念する。本当に、ギリギリあの場を取り繕った。
「どう思われただろうか……?少しでも好感を持っていただけたらいいんだが」
これほど人を好きになれるものなのかと驚くほど日毎に想いが募っていく。
あの方に出会わなければ良かったと悩むほど恋焦がれ、執着が増していく。
ヴィオラ様の予定を把握し、後を追い、陰から見つめ、彼女に近付く者を排除する。
我ながらとんだ変態だ……と両手で顔を覆い申し訳なく思うが、止めるつもりはないのだから始末が悪い。
「……手は、暫く洗わないでおこう」
緊張しながらテラスへ出ると、何故かヴィオラ様は床に座り込んでいた。
辺りに視線を巡らすが人の気配はなく、理由を尋ねてもどこか曖昧で、困惑しながらも立ち上がるのを補助しようと手を差し出した。
そこまでは良かった。紳士的な対応ができたと思う。
だが、その後が悪い。
彼女が触れた手が熱を持ち、段々と顔へ熱が伝わるのを感じ、気持ちが露呈する前にと不自然に手を離してしまった。
「しかし、あれはよく耐えた」
ヴィオラ様が首に付けていたパープルサファイアのネックレス。
婚約者している者や既婚者は、ああいった場でパートナーの色を持つ宝飾品を身に付けることが多い。
だからあのネックレスが皇女の首元で揺れているのを見て、自分が皇女のパートナーだったのでは?という錯覚を起こしかけた。
違う、有り得ない、と頭の中で何度も唱え、手を伸ばさないよう後ろで組み堪えた自分はよくやったと思う。
夜空を見上げながら目を閉じる無防備な姿に胸が苦しくなり、一人になりたかったと口にした彼女の気持ちを汲み取って、静かにテラスから出た。
階段下には知人を待機させていたので彼を呼び寄せ、窓の前に配置したあと飲み物と軽食を取りに向かえば、途中第二皇女らしき人が話し掛けてきたが、いつものように「はい」と「いいえ」を多用してあしらっておく。
勿論グラスの中身はアルコールではないもので、軽食はヴィオラ様がよく口になさっていた物。長年彼女を観察してきた俺に抜かりはなく、彼女の嗜好を知り尽くしているのだが、本人に何故知っているのかと問われたときは一瞬息が止まった。
上手く誤魔化せたとは思うが、もっと気をつけなくては俺が頭のおかしい変態だと思われてしまう。
「ふぅ……」
床に倒れて仰向けになり、ギュッと目を閉じる。
『全部、好きよ』
あの言葉だけで数年は生きていける。
それに……とそのときのことを思い出せば、だらしなく頬が緩み、子供のように手足をジタバタさせた。
側を離れようとした俺を呼び止め、側に居てもいいという許可までいただいた。
これは夢ではないのだろうか?とあの場で何度思ったことか……。
「好きです、ヴィオラ様」
――回帰前ブラッド・レンフィードが独身を貫いたのは、第一皇女に恋焦がれ、色々と拗らせた恋愛初心者だったからである。
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