第10話 テラス
「色々とあるのよ……えっ?」
「どうぞ」
友達作りに失敗して拗ねていたとは言えず、ススッと横を向いて呟き立ち上がろうとすれば、いつの間に距離を詰めていたのか、目の前に立つブラッドから手を差し出された。
紳士的な対応に感心しつつそっと手を掴めば、ロンググローブ越しだというのに彼の手は異様に熱い。熱でもあるのだろうかと手をキュッと握れば、勢いよく立たされ直ぐに手を離されてしまった。
「ありがとう……」
「いえ」
私を嫌っているわけではなさそうだが……と自身の手を見つめる。
だとしたら女性が苦手なのだろうか?だから婚約も結婚も避けているのでは?
そんなことを思索しながら肩にかかる髪を後ろへ払いブラッドを見上げると、彼の視線が私の首元辺りに注がれていることに気付いた。
ジッと私の首から視線が外れないので何かあるのかと手をやるが、そこにあるのはネックレスだけ。
「……」
再び彼を窺うも、やはり視線は固定されたまま。
「あの、レンフィード卿?」
「ブラッドで構いません」
「では、ブラッド」
「……はい」
「私のネックレスに何か……?その、ずっと見ているようだから」
「失礼いたしました。とても素敵なものでしたのでつい眺めてしまったようです」
私の首元にある小振りで可愛らしいネックレスは、淡く透明感のあるパープルサファイアの宝石が使用したもの。普段とは違った色合いのドレスに合わせ厳選したもので、とても気に入っている。
「可愛らしいわよね」
「とても可愛らしいです」
強めな相槌を打たれ目を瞬かせ、また笑いが堪えきれずふはっと口から零れていた。
「こうして話すのは初めてね」
「そうですね」
「冷たくて気難しい人なのかと思っていたら全然違うのだから。やっぱり噂なんて当てにならないものだわ」
手摺に寄り掛かりブラッドを見上げてそう口にすると、彼と視線が絡み、真っ直ぐ私を見つめる紫の瞳に意識が奪われる。
「噂など信じるものではありませんよ」
誰に言われてもあまり心に響かなかった言葉なのに、同じことをブラッドが口にすると心が少し軽くなる。やはり普段から噂に苦しめられている同士なだけある。
「そうよね、ただの噂だもの」
「はい。ところで」
優しく笑みを浮かべていたブラッドの雰囲気が変わり、心なしか声が低くなった気がする。
「ところで……?」
「このような暗く人気のない場所に安易にお一人で居られるのは感心いたしません」
「ここは宮殿内よ?」
「人気のないテラスにお美しい皇女が一人。私が下卑た考えを持つ男だったらどうされるおつもりだったのですか」
「貴方はそんな男性ではなかったわ」
「……はぁ」
咎めるように深く溜息を吐くブラッドに居た堪れない気持ちになるが、それでもと自身の気持ちを吐き出した。
「一人になりたいときがあるでしょう?それが今だったのよ。まだ舞踏会は始まったばかりだし、退席するわけにもいかなくて……」
軽率だったと今なら分かるが、あのときの私にそれを説いてもテラスに逃げてきたと思う。
モゴモゴと私が言い訳を口にしていれば、深刻な顔をしていたブラッドの口元が緩んだ。
「では、私がヴィオラ様の護衛を務めさせていただきます」
「護衛……?」
「はい。先程私が此処に来る前に二階の廊下をうろついている男がいましたので、護衛は必要かと」
「……」
「私は目立つと仰いましたが、それはヴィオラ様にも当てはまることです。美しい皇女が二階に上がるのを見た者はかなりの数いましたから」
「貴方も見ていたの?」
「……」
「答えないつもりね」
私の問いに答えずニッコリと微笑んだブラッドは、私から離れ隅へと移動していく。
先程の言葉は冗談ではなく、本当に護衛に徹するつもりなのだろうか……?
「笑顔でかわすくらいには意地が悪いみたいね」
苦笑し彼に背を向け夜空を見上げる。
風に靡く髪はそのままに、今此処には自分一人だけなのだと思い込み目を閉じた。
――どれくらいそうしていたのか。
ふっと目を開き、テラスの隅へと顔を向ければそこにブラッドの姿はなく、置いて行かれてしまったのかと何故か寂しく思ってしまう。
護衛をすると言っていたくせにと愚痴を零せば、二階の通路とテラスを繋ぐ大きな窓が開き、そこからブラッドが現れた。
左手にはグラスを二つ、右手には軽食を乗せたお皿。それらで手が塞がっているからか、窓を足で押して閉めたブラッドが私に向かって微笑んだ。
「瞑想はおしまいですか?」
「瞑想って……そうよ、それなのに、護衛が居なくなっていて驚いたわ」
「それは失礼いたしました。何も口にされていなかったので、飲み物と軽食を下に取りに行っていました。その間の護衛は、そこの窓の向こう側に知人を立たせておきましたのでご心配なく」
「知人の方を?」
「近くをうろついていましたからね」
爽やかな笑顔で「使える者は使わないと」と言い放ったブラッドは、今日何度私を笑わせるつもりなのだろうか。自然と綻ぶ顔をそのままに近付いてくるブラッドを見つめていれば、彼の瞳が微かに揺れたような気がした。
こうして男性の顔を見つめることなどなかったが、彼は私の同士であり、下心のない紳士的な男性なので安心感が違う。
「どうぞ」
目の前に立ったブラッドからグラスを受け取り、お酒は苦手なのだけれど……と苦笑したあと口をつける。
「……ジュース?」
グラスの中身はお酒ではなく、成人したばかりのお酒に慣れていない若い子達にも飲めるように用意されている、ワインに似せた色の甘いジュースだった。
「お酒は苦手でしたよね?」
「どうして、それを……?」
私がお酒を苦手としていることを知っているのは、両親と私付きの侍女達だけなのに。
「私の父と皇帝が親しいことはご存知でしょうか?」
「親友だと聞いているわ」
「その、よくヴィオラ様の話題になるらしく」
「私がお酒を飲めないことを、お父様がレンフィード侯爵に話したのね……」
だとしたら彼が知っていてもおかしくはない。
弱点とまではいかないけれど、皇女に関しての情報をそう簡単に口にするなんて、明日にでもお父様の元へ行き他に何を話しているのか問い詰めなくては……。
「まさか、そのお皿の上にある軽食もレンフィード侯爵から聞いたの?」
「この中にお嫌いなものはありませんか?」
「全部好きよ」
お皿の上に綺麗に盛られた私の好物であるサーモンやハムを見て答えれば、お皿を持つブラッドの手が震え、落とさないように慌てて手でお皿を支えた。
「それは良かった」
何事もなかったようにそのままずいっとお皿を差し出されたので受け取ったのだが、一人で食べられる量ではない。ブラッドはそのまま自身のグラスだけを持って隅へ移動しようとしていたので、「ねぇ」と声を掛けた。
「離れたら一緒に食べられないわ」
「それはヴィオラ様の為にお持ちしたものですが?」
「量が多いの。それに、一人で食べても美味しくはないでしょう?」
「お一人でいたいときがあると、そう仰っていましたよね?」
「もう充分一人を堪能したわ」
だから側に来なさいと手招きすると、深く息を吐き出したブラッドが私の隣へ並ぶ。
甘いジュースと美味しい食べ物に、安心感のある人。誰の目も気にせず夜空を見ながら楽しく話す。これこそが私が求めていた親しい友人との理想の付き合い方である。
舞踏会での初めての試みは失敗したけれど、今夜はこれでよしとしようと、ハムを口に入れにんまりと微笑んだ。
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