第9話 同士


「私を、ご存知なのですか?」


目を見開いたまま瞬きもしないブラッドにそう尋ねられ、頷きながらそっと後退する。

何をそんなに驚くことがあるのか、噂では山のように求婚書や贈り物が届き、社交の場では令嬢達に取り囲まれ動けなくなり、ブラッドに冷たくされるのを好む令嬢達までいると聞く。皇女である私の耳にまで入ってくるほど、彼は顔も名前も知られている人だということを、本人が自覚していないのだろうか?


「貴方の顔と名前を知らないわけがないでしょう?」

「……」


微動だにせず、まるで人形のように無機質な顔でジッと見つめられていると凄く怖い。


「話したことはありませんが」

「そうね、でも貴方はどこにいても目立つから」

「目立つ?」

「ご令嬢達が貴方のことばかり話すから、自然と目がいくのよね」

「目が……」

「出席していた夜会が重なることが多かったから。ほら、何度か目が合ったことがあるでしょう?」

「確かに、目が合いましたね」


感情の窺えなかった表情が突然ふわっとした柔らかいものに変わり、心なしか声まで優しい。


「私は決まった夜会にしか出席していなかったのだけれど、貴方とは共通の知人でもいるみたいね……」


私が出席する夜会は、年齢層が高く若い令息や令嬢の出席が少ないものを選んでいる。私を好奇の目で見ず、噂など関係なく利害関係だけを求める者が主催するところ。だから出席者数は少なく、話す内容は政治に関してのことが多い為、若い者が好むような夜会ではない。それなのによく重なるというのなら、彼もそういったところを態と選んでいるのかもしれない。

独り身を貫いた同士だわ……とふふっと笑うと、ブラッドは微かに肩を揺らし軽く咳をした。


「そうかもしれませんね」


私から視線を逸らしふっと息を吐いたブラッドは、クラヴァットを緩め「暑いな」と口にする。たったそれだけの仕草にすら妙な色気があり、今このブラッドを令嬢達が目にしたら顔を真っ赤にして悲鳴を上げているだろう。

それにしても……と彼よりも薄着の自分の恰好を見下ろしてから暑い?と首を傾げた。

日中は暖かくなってきたが夜はまだ少し寒く、今はどちらかというと上着が必要なくらいには寒いのに。


「もしかして、お酒を?」

「え、いえ……」

「でも暑いのでしょう?」

「……そうですね、少し飲み過ぎたのかもしれません」


困ったように微笑むブラッドは、噂に聞いていたような冷たい人ではなさそうな気がする。

私が皇女だから気を遣っているのかもしれないとも思ったが、以前シンシアが彼をお茶会に誘い冷たく断っているところを目にした。自身が嫌だと思えば口にも態度にも出す人だろうから、気など遣わないと思う。

だとしたら、どうしてこの人は私と平然と会話をしているのだろうか?

普通ならシンシア以上に警戒すべき対象であるのが、性悪皇女と名高い私であるだろうに。


「……」

「……」


私は床に座り込み、彼は少し離れた位置に立ち、互いに無言のまま時間が流れていく。

よく知らない男性とテラスで二人きりだというのに、さして気まずく感じないのは、彼も私も恋人もなく婚約も結婚もしなかった同士だから?

そんなことを考えながらそっぽを向いているブラッドをジッと見つめていると、視線に気付いたのか彼の顔が私のほうへと向く。

レンフィード侯爵家だけが持つ紫の瞳は私を冷たく見据えることはなく、かといって噂を信じている者達のように軽蔑の眼差しを向けることもない。


――何を考えているのか、何も考えていないのか、それとも……。


「私が誰か知っている?」

「帝国の第一皇女であるヴィオラ・ティンバーン様です」

「……」


スッと姿勢を正し、真面目な顔で私が誰かを即答するブラッド。

やはり知っていてこのように接しているのだと驚いていれば、首を傾げたブラッドがハッとしたあと言葉を続けた。


「すみません、ご挨拶がまだでした。私はブラッド・レンフィードと申します。侯爵家の跡継ぎであり、歳は二十一です。既に領地経営には関わっており、それと並行して家の騎士団の統率も私が行っています。本日は父と母、同性の知人と共に舞踏会に出席しておりますので、パートナーはおりません」

「……そう、なの。ご丁寧な挨拶をありがとう?」


彼が口にしたのは挨拶ではなく自己開示ではないだろうかと呆気に取られ、よく分からないお礼を口にしていた。

彼の優れた容姿や言動ばかりが有名で、肝心な内面はどうなのだろうと思っていたら、少し変わり者の真面目な人とか……。


「……ふふっ、ふはっ」


何だかおかしくて思わず声に出して笑えば、ブラッドの肩がビクッと跳ねた。

大丈夫、噂のように皇女宮に持ち帰ったりしないから。

あれほど女性に人気があるのに本人にその気がないのだから、こういった舞踏会や夜会ではさぞかし苦労することだろう。何故かここから動く様子のないブラッドを見てそう考え、もしかしたら広間から逃げてきたのではと思いついた。


「テラスへは、避難しにきたの?」

「避難……してきました。それと、少し風にでもあたろうかと、どうやら少し酔っているようですから」

「中は暑いものね」

「はい」


目を細め口角を上げて笑うブラッドの笑顔の破壊力は凄く、無意識でコレなのだから本人の所為でもあるのでは?と彼に胡乱な目を向ける。


「その、第一皇女殿下」


瞳を揺らしどこか落ち着かない様子で私を呼んだブラッドに、「ん?」と促せば……。


「何故、床に座り込まれているのでしょうか?」

「……」


この上なく真っ当なことを尋ねられ言葉に詰まり、ブラッドから視線を逸らした。




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