第7話 幕開はあの子から
緩やかで甘く優しい演奏の余韻に浸る間もなく、次の演奏が始まる。
舞踏会のダンスを彩る演奏は、帝都で一番格式高い楽団が行う。
この楽団は他国からも公演を望まれるほど名が知られ、帝国の社交シーズンの始まりを告げる舞踏会には必ず呼ばれている。
それほど優秀な楽団が奏でる華やかで力強い演奏は、広間の二階にあるテラスにも届き、石の床の上にドレスのまま座り込み頭を抱えていた私は、ゆっくりと顔を上げた。
「どうして上手くいかないのかしら……」
夜空を見上げ、長く息を吐き出す。
けれど心の中にあるモヤモヤしたものはなくならず、尚も息を吐き出し続ける。
――そもそも、出だしがよくなかった気がするのよ。
舞踏会に出る準備を終えて時間よりも早く皇女宮を出れば、同じように準備を終え移動していたシンシアと宮殿内で鉢合わせてしまった。少し離れた先で立ち止まっていたシンシアと目が合ったが、距離があったので気付かなかった振りをして別の通路へと進路を変えたのだが……。
「お姉様!」
シンシアの高い声で呼ばれた私の名が通路に響き、足を止めるべきかと逡巡したのがいけなかった。靴音を鳴らして走り寄ってくるシンシアに腕を掴まれ、観念して振り返った。
「もう、お姉様はいつも私を無視されるのですから……」
そうせざるを得ない理由を分かっていてこうなのだから、始末に負えない。
「姉妹なのですから、仲良くしてほしいのです」
瞳を潤ませ小さな声で些細な願いごとを懇願するシンシアの姿は、傍から見たらとても健気な皇女に見えることだろう。かく言う回帰前の私も、シンシアのこのような姿に胸を痛め、誤解しないでほしいと何度も謝罪を口にしていた。
私の行いが悪いからあのような醜聞が立つのだと、シンシアは悪くないのに私が気にし過ぎなのではないかと、そう思っていたのだけれど……本当にそれは正しかったのかしら?
「私達が一緒に居ると、必ずよくない噂が立つと知っているわよね?」
姉を慕うシンシアの好意を踏み躙っては泣かせ、嘲笑う。そういった噂から、酷いものになるとシンシアを湖や階段から突き落として怪我をさせたという暴力的な噂まである。
一方的に私だけが悪く言われるという意味の分からない噂だ。
「ですが噂はでたらめなのですから、気になさる必要はありませんよね?」
「それを私が言うなら兎も角、貴方が言うのはどうかと思うわ」
「私はお姉様が悪く言われるたびに心が痛み、悲しくて泣いてしまいます。でも、私には気にしないでくださいと口にすることしかできなくて……それで」
肩を落とし俯くシンシアを眺めながら、私はどうしてこの子の下手な芝居に気付かなかったのだろうかと落ち込む。年の功と言えばそれまでなのだけれど、いくら疲弊して精神的に辛かったとはいえ、この言動に疑問すら抱かなかったのはどうなのだろうか。
「此処は人目があるから、歩きながら話しましょう」
「……いいのですか?」
パッと顔を上げ唖然とするシンシアの反応に内心ほくそ笑む。
いつもだったらどうすることもできず、可哀想な私を演じるシンシアを前にただ立ち尽くすだけだった私。
「構わないわよ?」
「……」
「嫌なの?」
「いえ、だ、黙って先に行かれてしまうことが多いので」
「あら、私と仲良く歩きたかったのでしょう?」
「はい……」
ふっと笑い歩くよう促せば、シンシアの作ったような笑顔が一瞬歪む。
貴方は、私は立ち尽くしたあと黙って先に行ってほしかったのよね?
そんなことをすれば悪意のある噂が増えるだけ。
それにシンシアの思惑くらい正面から粉砕できなくては、有象無象が多い貴族の中から理想の結婚相手を探すことなど不可能である。
「お姉様の今日のドレスは、いつものとは違うのですね……」
「そうね」
「そのドレスも良いのですが、社交界の女帝と称されているお姉様には、赤や黒といったドレスのほうが似合うと思います!」
「そうかしら」
「私は顔が幼いので、お姉様がよく着るドレスは似合いません。ですから、いつも羨ましく思っていたのです。ほら、私のドレスはお姉様のドレスと比べると子供染みているでしょう?」
ふわっと裾を手で揺らし上目遣いに私を見上げるシンシア。
社交界の華という言葉は賛辞であるが、社交界の女帝というのは性悪皇女を嘲る名称。それを知っていて無邪気を装って口にするのだから、本当にこの子は人を煽るのが上手だわ。
「そうねぇ……」
周囲へ目を走らせ、遠巻きに私達を窺っている者達がいることを確認し、ゆっくりとシンシアの頭から爪先へ視線を動かす。
「シンシアには、ソレがよく似合っているわ」
お子様だから……とシンシアにだけ聞こえるように囁いたあと失笑する。
「お、姉様?」
「褒めたつもりなのに気に入らなかった?でも、貴方の体型では私と同じドレスは着られないから」
少しだけ意趣返しをすれば、私を見上げるシンシアの顔から表情が消えた。
太陽のように朗らかな笑顔を浮かべるシンシアではなく、無価値なものを目にしたときのような顔。これがこの子の素の表情なのだと思うと、普段どれだけ愛らしいシンシアを演じているのかと恐ろしくなる。
「酷い顔よ」
「……っ」
シンシアの頬に掛かっていたピンクグレージュの髪を後ろへ払ってあげながら、耳元へ口を近付け囁けば、両手で口元を覆ったシンシアが私から距離を取った。
「どうしたの?」
演技ではなく肩を震わせるシンシアに首を傾げれば、第二皇女付きの侍女の一人がシンシアの肩を支え「もうおやめください」と口を挟む。
でも、私はシンシアの侍女にやめろと注意されるようなことは何もしていない。
「私が何をしたと?ただシンシアと話していただけでしょう?」
「シンシア様が震えていらっしゃいます……」
「寒いのかしら?」
「ヴィオラ様が……!」
私の斜め横に立つアンナが前へ出ようとするのを軽く手を上げ止め、身分が違うというのに私に反発してくる侍女を冷たく見据える。
「私が何かした?」
私はシンシアに何もしていないということを、私達の他にこの通路に居る者達が皆見ているのだから。
「お姉様、お許しください!この侍女は、私のことを想って……」
「皇女である私の前に立ち、姉妹の会話を中断することが、どうして貴方を想ってのことなの?」
「それは……私が、寒くて震えていたから心配したのかと」
「そこの侍女はそう思っていないみたいよ?」
「お姉様。私を嫌いなのは分かっていますが、侍女にまで冷たくあたらないでください」
ただ疑問を投げかけているだけの私を悪者にするのだから、本当に感心してしまう。
でも、もう疲れてきたのでそろそろこのお芝居を終わらせたい。
「シンシア。私は仲良くしたいという貴方の要望を聞いてこうして今一緒にいるし、貴方のドレスも似合っていると褒めたわ。それなのに、どうして私が貴方を嫌っていると言うの?」
「それは……」
「私はそんな誤解を受けてとても悲しいわ」
少し、いや、かなり声量を上げ、大袈裟に悲しんでみた。
シンシアよりは演技が下手ではあるが、悲しむ性悪皇女など誰も見たことがないので効果は抜群のはず。顔を横に反らしふっと溜息を吐けば、それだけで通路の奥から騒めきが聞こえてくるのだから。
「……私が、誤解していたみたいです」
「そうよね、分かってくれて嬉しいわ」
「……」
そっとシンシアの手を取り、大切なものを扱うかのように握り締めれば、目に光がなく魂が抜けたような顔でシンシアが頷いた。
――上手くいったわ!
そう喜び、今日の私は違うと自信をつけたのも束の間。
「一人でテラスにいるなんて、前より悲惨だわ……」
そう夜空を見上げたまま呟き、ガクリと首を下ろした。
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