第3話 婚約者について


目を通していた書類から顔を上げ屈託なく笑ったお父様。

式典や使者との謁見、貴族会議で見せる姿とは違い、鎖骨にかかるほど長い赤い髪は整えられることなくそのままで、無表情なことが多く口数が少ないと思われているが気を許している者の前ではこうして屈託なく笑う。

そんなお父様の隣に寄り添うように座っているお母様。

この帝国の象徴と称されるほど美しく儚げな容姿は、娘である私ですら見惚れるほど。時折寝込むこともあるが、こうして起き上がっている姿を見ると安心する。


「このような時間帯に来るとは珍しいな」


長椅子に背を凭れかかったお父様に手招きされ、対面に座れば二人からじっくりと観察されたので肩を竦めて見せる。

今迄ならこの時間はまだベッドの中にいるのでお父様に反論できる筈もなく、曖昧に微笑んで誤魔化しながら皇后付きの侍女が用意した紅茶へと手を伸ばした。


「お願いがあってこうして会いにきました」

「これはまた、珍しいな……ヴィオラが何かを強請ることなどなかっただろう?」

「何か強請る前にお父様が全て用意してくださったからです」

「大切な娘の為だから当然だな」


公然の事実として私を溺愛するお父様だが、だからといって側室やその子供達を可愛がっていないわけではない。側室であるローザ様はお母様とは仲の良い従姉妹で、病弱なお母様と領地を発展させる資金の為に側室となった人。お父様とお母様のよき理解者でもあり、そのような人との子供なのだから弟や妹のことも家族として大切にしている。


「ヴィオラに甘いのだから……困った人だわ」

「俺が一番甘やかしているのは、愛する妻だと思うが?」

「まぁ、もっと甘やかしてくださっても良いのですよ?」


顔を近付け微笑み合う両親を眺めながら、やはり私はこれが欲しいのだと再認識する。

互いを想い合い、大切にし、二人で歳を重ねていく。それは難しいことではなく、皆がそうして生きているというのに、私にはとても難しく最後まで手に入れられないものだった。


「それで、お願いとは?」

「婚約者候補を探してください」

「……」

「あら……」


紅茶の入ったカップをソーサーに戻し真剣な顔でそう告げれば、お父様の顔からは表情が抜け落ち、お母様は片手を口元に当て目を見開いている。


「婚約者です、お父様」


もう一度ゆっくり此処へ来た目的を告げ、にっこりと微笑む。

婚約者など必要ないと逃げていた娘が真逆のことを口にするのだからこの反応は仕方がなく、こうなるであろうことは事前に覚悟をしていた。


「何か、あったのか……?」


お父様が発した低く冷たい声に慌てて首を横に振って否定するが、納得いかないのか「ん?」と促されてしまう。噂の絶えない娘だからこそ、こうして心配をかけてしまうのだろう。


「特別何かがあったわけではありません。ただ、私も十九ですから、婚約者を探すべきだと思っただけです」

「……それはそうだが」

「誰かよい方がいないか、お父様に探していただけないかと」

「待て、言いたいことは分かったが……」


言葉を濁し私から顔を背けたお父様の真意が分からず、そのまま黙って言葉の続きを待っていたら「まだ早いのではないか?」とボソボソとお父様が呟いた。


「お父様、私はもう十九です。子供ではありませんよ?」

「だがまだそう焦るような歳ではないだろう?」

「……親しくしている令嬢は皆婚約しています」

「皆が……いや、シンシアにも婚約者はまだいないのだから」

「アンドルム」


シンシアは私より三つも歳が下なのだから、婚約者探しはこれからなので比べてはいけない。この年齢では婚約者候補を探すことすら難しいことなのだろうかと半ば諦めかけたとき、お母様が叱るようにお父様の名を呼んだ。


「ヴィオラが婚約を望んでいるのですから、よいお相手を探してあげるべきなのではありませんか?」

「婚約者だぞ?」

「貴方が寂しいからといって、ずっと手元に置いて守ってあげることはできませんよ?」

「……」


苦笑するお母様に窘められ天を仰いだお父様だったが、何か思いついたのかバッと顔を戻し口角を上げニッと笑った。


「父親が選ぶ婚約者候補は国や家にとって有益となる者だ。俺は愛娘にそんな結婚を強いる気はない。だから、ヴィオラが結婚したいと思う相手ができるまで皇女宮にずっと住めばいい」


さも名案かのようにお父様は語ってはいるが、娘はそれを実践した結果こうして焦って頼みにきているのです。


「そんなことを言ったら、ヴィオラは結婚をしないかもしれませんよ?」

「構わない。ヒューバートには俺から頼んでおく。あいつが皇帝となったあとも好きに暮らせるようにしてやるからな」


シンシアとは違い、ひとつ下の弟との仲は悪くない。一度目のときも皇女宮から一歩も出ない私に何か言うわけでもなく、帝都の外にある離宮へ追いやられることもなかった。

でもそれはもしかしたらお父様が今口にしたようにヒューバートに頼んでおいたのかもしれない。


「嫁ぐことなく、政務にも関われないのですから、ヴィオラは肩身の狭い思いをすることになりますよ?」

「それなら宮殿内ではなく帝都の中に新しい宮殿を建てておくか……」


帝都内のどの辺に建てるかと侍従と思案しているお父様には悪いが、場所を変えてまたこもる予定はない。


「お父様。私のお願いは聞いていただけないということですか?」

「……」

「今の皇女宮で生涯を過ごすことも、帝都内に建てられた宮殿で暮らすこともありません」

「婚約者か……」

「婚約者です」


やっと分かってくれたと頷くと、トン、トン……とお父様が片手に持ったままの書類を指で叩く音が室内に響く。

考え事をしているときの癖なので、そのまま待っていれば、意を決したようにお父様が口を開いた。

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