第2話 回帰
帝国の第一皇女であり、不本意ながらも社交界の女帝と称されているというのに、私の悪い噂は後を絶たない。
傲慢、我儘、恥知らず、他にも色々と言われているが、多少傲慢で我儘なのは本人としても自覚があるので問題はない。
ただ、恥知らずとは?
男性を思いのままに操り翻弄するとか、毎夜見目の良い男性達を集め趣味に耽っているとか、お酒を浴びるほど飲み暴れるといった噂もあった。流石に年若い少女の生き血を吸って美貌を保っていると耳にしたときは唖然としたものだ。
本当に馬鹿馬鹿しくてくだらない噂。
男性を操って翻弄するにしても、性悪だと噂されている私に近付くまともな男性などいない。近付いてくるのは鼻息荒く下品な言葉を口にする者しか居らず、そういった人達は夜会の出入りを禁止して二度と私の目に触れないようにしている。
因みにお酒は弱いので嗜む程度だ。
誇張された悪意ある噂でしかない。
「でも、二度目ともなると鼻で笑い飛ばせるのね」
何せ、私は回帰者なのだから。
教会にある書物には、一度生を終えたはずの者が再び同じ生を歩むことを『回帰』と書かれている。それを可能とするには一度目の生で善行を積み神に認められし者とあったが、私はただ生きていただけで善行などした覚えはないのに、こうしてつい先程回帰していた。
「とても気分が良いから、部屋で朝食にするわ」
庭園を出て自身の皇女宮の敷地へ入るとふっと肩の力が抜け、心配げに私の様子を窺っている侍女頭であるアンナにそう告げ微笑んだ。
耳にしたばかりの悪意ある言葉に傷つくことなく聞き流せたことに自然と口角が上がる。
一度目のときは全てでたらめなのにと胸が潰れ、親しい令嬢達がその噂は本当なのだと周囲に広めていたことに慟哭し、心の病にかかり人を遠ざけた。
結果、親しい友もなく、愛した男性もいない。人が信じられなかった私は社交界から遠ざかり結婚も拒否し、この皇女宮に閉じこもった。
第一皇子である弟は皇帝に、第二皇女である妹は隣国の王妃に。私だけが一人寂しく虚しい毎日を送り、寿命を全うしたはずだったのに。
「不思議なこともあるものだわ」
息苦しさに目を覚ませば弱っていた身体は軽く、あれほど苦しんでいた咳もでない。首を傾げながらベルへと伸ばした手を見て数秒固まったあと、姿見の前まで走っていた。
「歳をとっていたのに、十代に戻るなんて……」
喜ぶべきなのか、恐ろしいと怖がるべきか。
その両方を行ったあと私は決意した。
もう二度とあのような惨めで寂しい人生など送りたくない。折角与えられたやり直す機会なのだから、生涯を共にしてくれる男性を見つけてみせると。
「だから、先ずは健康管理から」
私室に戻り色々と考えている間に用意されていた朝食を前にして深く頷く。
第一皇女の取り柄は容姿だけだという言葉に傷つき、この外見だけは維持しようと食事を抜いていたが、それが疲れや倦怠感だけでなく判断力すら鈍らせると知ったのは歳をとってからだった。
朝早く起きて庭園を散策したあとの朝食はとても美味しいものだと、温かい野菜を咀嚼したあと隅に控えているアンナを呼ぶ。
「お父様にお会いしたいから、侍従にそう伝えてちょうだい」
幸いなことに今の私はまだ社交界から遠ざかっておらず、どちらかといえば精力的に動いているので出会いの場は沢山ある。でも噂の所為で碌な男性が見つからない可能性のほうが高いので、お父様にも婚約者候補を探してもらおうと思っている。
今迄はその気がなかったので何かと理由をつけて引き延ばしていたが、もうそんなことを言っている余裕も猶予もない。
「ヴィオラ様。宮殿へ侍女を向かわせましたので、お仕度を」
「この時間ならお父様はお母様のところよね?」
「はい」
本来であれば皇子や皇女であっても皇帝であるお父様に会うのに謁見許可が必要で、許可を申し出たその日に会えることはなく、早くて一日、遅くて三日後くらいにやっと許可が下りる。
けれどそれは弟や妹の話であって、私は違う。
どんなに忙しくしていても、愛する妻の娘である私の謁見は二つ返事で直ぐに許可が下りてしまう。
「お父様は、本当にお母様がお好きよね」
「お二方は幼馴染でしたので幼い頃からご一緒でしたから。皇后様に恋をしていた皇帝陛下が、毎日欠かさず愛の言葉を口にされていたというのは有名な話ですよ」
「恋をするとそうなるのかしら?」
「ご興味がおありですか?いつもはそういった話を避けておいでですのに」
「いつまでも避けているわけにはいかないもの。それに、恋をしてみたくなったの」
「そのようなお相手が?」
「いないから困っているのよね」
恋をしてみたいと思ったのはいつ頃だったか……。
一度目のとき、宮殿内を皇后と子と歩く弟を見かけたときだっただろうか?
それか、隣国に嫁いだ妹に招待された先で仲睦まじい夫婦を見せつけられたときだったのかもしれない。
「お母様はお幸せね……」
宮殿内を歩きながらそんなことを口にすれば、背後を歩くアンナからふふっと笑う声が聞こえた。その優しい声に釣られるように私も笑いながら皇后であるお母様が住む区画へと進んで行く。
日当たりがよく風通しのよい、細部にまでこだわって造らせた居住区。そこにあるお母様の私室の隣にはお父様の執務室が置かれているが、お父様は余程のことがない限りはお母様の私室に仕事を持ち込み、そこで執務を行っている。
病弱な妻が心配で側を離れられないのだと真顔で口にするのを見て呆れたこともあったのに、今ではそんなお父様が理想の旦那様なのではないかと思うのだから回帰とは凄いものだ。
長い通路の左右にはお母様のお好きな花が植えられ、私室の扉前には大きな花瓶にこの季節にしか咲かない花が入っている。
これも毎朝お父様が摘んでくるというのだから愛が重い……。
「お父様、お母様。ご機嫌いかがでしょうか」
部屋の奥にはある長椅子には書類を片手に侍従に指示をだしているお父様と、隣でお茶を飲んでいるお母様が。
二人が私に気付き微笑んだのを見て、軽くドレスを掴み挨拶を口にした。
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