性悪皇女は恋がしてみたい

第1話 噂は噂でしかない


王族や貴族の子息が初めて世界史を勉強するとき、教育係は机の上に大きな地図を広げ、自国とその周辺国家から国の名と共に文化や因果関係などを語る。先ずは地図を眺め地形を覚えるところからなのだが、大抵は地図の大半を占めるサイラス帝国に目と興味を奪われてしまうものだ。

強大な軍事力で支配地域を拡大し、多様な民族を纏め、皇帝の元で統治される帝国。先代の皇帝のときに最盛期を迎え、彼の統治下で領土を一気に広げたと聞く。

そのサイラス帝国には皇子が一人、皇女が二人いる。

策略や保身といった様々な思惑を持つ貴族達は皇子へ媚び諂い、皇女達には見目の良い息子達を送り込む。そういった者達を利用しながら利益を得つつ、信用ならない者達を監視してきた皇帝だが、侍従から報告された近頃社交界を賑わしているという噂話に眉を顰めた。


『帝国の第一皇女ヴィオラ・ティンバーンは、性悪皇女である』


皇帝が愛する皇后の唯一の子であるヴィオラ。

病弱な皇后が自身の命を顧みず産んだ子であった為に、皇帝はヴィオラを溺愛し、物も人も手に入るものは全て与えてきた。だからこそ愛する妻との大切な娘が侮辱されたことに憤った皇帝は、すぐさまその噂を流した者達を見つけ処罰をくだした。

だがこれが悪手となり、この皇帝の一連の行動によって第一皇女が『性悪王女』だというのは嘘ではなく真実なのだと、人々に認知されることになってしまう。



「本人に確認くらいしてほしかったわ」


姿見に映る自身の姿を上から下までじっくり眺めたあと、閉められていたカーテンを開け窓から外を見つめる。

晴れた空、暖かな日差し。テラスから庭園に出たら咲き始めたばかりの花から良い匂いがするのだろうが、部屋から出たくない。

窓の外から柔らかいベッドへと視線を移すが、それでは駄目だと首を横に振る。

まだ眠いし面倒だけれど仕方がない。

眉を顰めたヴィオラは机に置かれたベルを手にしたあと、勢いよく振った。


――リン、リリリリリリリン……。


皇帝が住む宮殿の一画に建てられた白亜の皇女宮。

外装も内装も壮麗なその皇女宮の全てが第一皇女であるヴィオラのものであり、寝室のある私室、ドレスルームにティールーム、絵画や彫刻の間など、皇帝がヴィオラの為に作らせた特別な部屋が数多くある。この白亜の皇女宮には例え同じ皇族であってもヴィオラの許可なく立ち入ることは許されず、この皇女宮ではヴィオラが絶対君主である。


その皇女宮内に激震が走った。


午前という早い時間帯に絶対に起きてこない第一皇女がベルを鳴らしたのだ。

第一皇女付きの専属侍女達は急いで皇女の身支度をする為に寝室へと入り、その場でピタッと足を止めてしまった。普段はベッドから手だけを出し気だるげにベルを鳴らしている皇女が、起き上がって自らカーテンを開き窓の外を眺めているのだから。

何度も瞬きする侍女達だったが、目の前の光景が変わることはない。


「……夢じゃない」


ヴィオラが小さく呟いた言葉は侍女達の耳には届かず、深く息を吐き出したヴィオラはベッドへと向かい座った。

ギュッと眉間に皺を寄せながら首を傾げる自身の主を見て、唖然としていた侍女達が動き出す。


「ヴィオラ様。お仕度が整いましたが、このあとはいかがいたしましょうか?」


完璧に身支度を終わらせた侍女達は、どこかまだ困惑しながらヴィオラに尋ねる。

遅い軽めの昼食をとったあとは、皇女の取り巻きのご令嬢を招いたお茶会か、商人と服飾師を呼んで宝飾品やドレスを選んで一日を過ごしているのが日常ではあるが、出だしかたこうも違うのでは確認する必要があるのだ。

そんな機転を利かせた侍女の行いは正しく、この日の皇女はまたしても予想外の行動に出た。


「庭園に向かうわ」


皇帝が溺愛する第一皇女付きは皆特別な教育を受けた侍女達である。だからこそ此処に居る侍女達が驚きを顔に出すようなことはなかったが、内心では悲鳴を上げ心臓が妙な音を立てるほど驚愕していた。


「では、直ぐにご用意いたします」


そう微笑んで口にした侍女は隣に立つ侍女に目配せし、それに対して頷いた侍女が優雅な足取りで皇女の私室を出たあと、人目を気にする余裕もなく全力で走った。通りすがる者達が二度見するほどだったが気にしている余裕などない。


第一皇女が住む白亜の皇女宮の隣には第二皇女が住む皇女宮があり、二つの皇女宮の間には広大な庭園がある。二人の皇女の為に造られた庭園なので、皇女達は好きなときに庭園へ向かうことはできるのだが、今日のこの時間だけは都合が悪い。

数日前に咲き始めた庭園の花を見て喜んだ第二皇女が、親しい者達を集め庭園でお茶会を開いているからだ。

専属とはいえまだまだ下っ端の侍女には判断できず、急遽朝食の準備に追われている侍女頭に判断を仰ぐ為に髪を振り乱しながら走った。





「庭園ではシンシア様がお茶会を開いております」


絶世の美女と名高い皇后を母に持つサイラス帝国の第一皇女ヴィオラ。

社交界では追随を許さない圧倒的な女帝と呼ばれ、華やかで魅惑的な容姿と気だるげな空気が人を惹き付けるが、素気無く自身の側に人を置かない冷酷な美女。

第一皇女とは対照的に、側室の母と帝国唯一の皇子である兄を持つサイラス帝国の第二皇女シンシア。

身分を問わず誰とでも直ぐに打ち解け、朗らかな笑顔を向ける太陽のような皇女は、素朴な容姿でありながらも好意を持たれることが多い。


そんな帝国の皇女達だが、この姉妹の仲は頗る悪い。その理由の一端はヴィオラが一方的にシンシアを嫌い、理不尽に虐げているという噂にある。宮殿だけでなく貴族や平民にまで広まったこの噂は沈静化することなく尾ひれをつけて広まり、既に収拾がつかなくなってしまった。

第一皇女付きの侍女達はとんでもない風評だと憤り、第二皇女付きの侍女達は真実だと抗議する。皇女宮で働く侍女達が互いにいがみ合っているのだから、噂がただの噂ではないと思われるのも当然のことだろう。

どちらにしろ、真実など誰も興味はなく、否定したところで噂がなくなることもない。

姉妹が揃えば更に妙なことになるからと、顔を合わせることすら嫌がっていた第一皇女だからこそ、庭園で第二皇女がお茶会を開いていると知れば予定を取りやめるだろうと、侍女頭はそう予想していたのだが……。


「庭園に向かうわ」


皇女が何を言ったのか理解できず侍女頭は思わず自身の耳を疑ったが、どうやら聞き間違えではないようだ。

だからどうしたのだとでも言うような表情で冷たく侍女頭を見据えた第一皇女は、さっさと皆に背を向け寝室を出て行ってしまったのだから。

この場に居る誰もが訳が分からず困惑する中、侍女頭は全ての仕事を中断し、急いで第一皇女の後を追うこととなった。





季節の花が咲き乱れる美しい庭園。

第一皇女はそこに立って居るだけで絵画のようだと、侍女達は感嘆の吐息を漏らす。

赤い長い髪が風に靡き、透き通るような青い瞳を細めて肩にかかった髪を払う。その仕草ですら優雅な第一皇女は足を止め、熱心にとある一角を見つめている。

視線の先には庭園の中央に置かれたガゼボ。

そこから聞こえる楽しげな声に暫く耳を傾けていたヴィオラが口を開いた。


「アンガス・エイミス」


鈴の音のような美しい声で名を呼ばれた男は伯爵家の次男で、去年身分も弁えずにヴィオラにしつこく求婚してきた男だ。


「クリフ・セルウィン」


次いで口にした名の男は代々騎士の家系である伯爵家の長男で、舞踏会でヴィオラに近付き歯の浮くような言葉をひたすら口にした男。


「ブラント、ラッカム、ドーチェ……」


あれもそれもどの男性も、皆一度はヴィオラに懸想し冷たくあしらわれた経験を持つ貴族の令息達。彼等はお茶会の主催者である第二皇女を取り囲み、自身をアピールすることに夢中でヴィオラの存在に気付いていない。

だからか、彼等の口からはシンシアとヴィオラを比べるような言葉が頻繁に出てくる。

性悪な姉とは違う高潔なシンシア。姉よりも清廉な皇女。毒婦のような姉を持つ聖女など。その悪意がこもった言葉を否定するシンシアの姿は誰から見ても姉を慕う優しい妹で、慈悲深く愛らしいシンシアを苦しめるヴィオラを許さない!と、彼等の言葉は聞くに堪えないほど酷いものとなっていく。


「ヴィオラ様、あちらの薔薇が見頃ですよ」


侍女頭がヴィオラの肩をそっと叩き、場所を移動しようと促したときだった。


「……お姉様!?」


ガゼボへ続く入口付近に立っていたヴィオラにシンシアが気付き声を上げた。


「すみません、お姉様!直ぐに此処から退きますので……」


身体を震わせ今にも泣きそうな顔でそう告げたシンシアに何を思ったのか、まるでヴィオラから守るかのように令息達が席を立ちシンシアを背に隠す。

皇女であるヴィオラを睨みつける令息達に「無礼ですよ!」と声を上げた侍女頭と、彼女の横に立ち臨戦態勢な侍女達。互いに一触即発な空気を醸し出すが、その空気をぶち壊したのは、黙ったままシンシア達に冷たい目を向けていたヴィオラだった。


「羨ましいわ」

「……ぇ、お姉様?」


恐る恐る令息達の背後から顔を出したシンシアがどういうことかと尋ねるが、返ってきた返事は「貴方が羨ましいわ、シンシア」だった。


「羨ましい……とは……?」

「お邪魔してごめんなさい」

「お姉様!?」


散々罵り馬鹿にしていたのだから、激怒するか嫌味のひとつくらいは言われると思っていた面々は、愁いを帯びた表情でそっと溜息を零したヴィオラに目を奪われ、ただただ唖然と踵を返したヴィオラの背を眺めるだけだった。






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