第27話

「……どうしましょうか」


 現在、客間のソファで気を失っている水戸さんを俺達囲いながら、見下ろしていた。


「だからあれほど忠告したじゃありませんか! 貧乏学生に最高級の料理でもてなしたら失神するって!」

「白波家のもてなしがショボいなんて思われたら嫌じゃない!」

「お嬢様に賛同してるわけじゃないけど、この子にはいいものを食べさせてあげたいな〜と思って」


 と、舞華さんは言う。

 たしかに、この人は辛いことがあったから、美味しいものを食べて元気を出してほしい。

 俺もその気持ちは充分理解している。

 だけど……


「質素な暮らしをしていた人は、いきなり百グラム一万円の肉にトリュフとキャビアが添えられたものを出されたら、動揺しますからね。しかもご丁寧にお嬢様が値段まで公表して」

「い、いいもの使ってるって言いたかったから、わかりやすく金額で教えてあげただけよ!」


 いいや違うね。

 ただマウントとりたかっただけだ。


「あと、御影さん。お皿を落として割らないでください」

「す、すいません」

「御影さんを擁護するわけではありませんが、人による失敗ですから、怪我をしなかっただけでも幸いと思った方がいいのでは?」


 ああ、そうか。月夜さんも元はお嬢様だから、俺達庶民の感性はないのか。


「少し質問を変えましょう。御影さんが割った皿っていくらですか?」

「五万円ですけど?」


 そうですね、さっき白波が水戸さんに割れた皿の説明をしてたのを聞いて、俺も初めて知りました。

 おかげで、手の震えが止まりませんもん。

 もうこの皿を気軽に使えないんですけど。


「えー、皆さん。大体質素な生活をする人の家賃て、五、六万円ぐらいなんです。それで、食品は二万五千円程度。つまり、水戸さんからしてみれば、一食で一ヶ月の食費が使われ、目の前だ家賃が消し飛んだんです。気を失うに決まってるでしょうが」

「結局他人のお金じゃない」

「自分のだろうが他人のだろうが関係ないんですよ。それだけのお金が使われたことに頭がパンクするんです」

「庶民って大変ねー」


 人一人失神させておいて、なんて呑気なんだ。

 とりあえず、水戸さんを起こしてあげよう。


「水戸さん、しっかりしてください」

「……ん? あれ、ここは」


 目を覚ました水戸さんは、むくりと起き上がり、ソファに座る。


「客間です。急に倒れたんでびっくりしました」

「自分が思っていた以上に、疲れてたからかもしれませんね。そのせいか、目の前で食費と家賃が一気に消える夢も見ちゃったし」


 すいません、それ多分現実です。


「はぁ……こんなことになるなら、大学辞めて、就職した方が良かったのかな」


 思い詰めた水戸さんの瞳は、再び濁り始める。


「水戸さん、一体何があったか教えていただけませんか?」

「そんな、皆さんにお話しするようなことじゃ。それに私が悪いんです。私がしっかりしていれば、何も問題なかったはずですから」


 何も話してはくれない。

 どうにかして力になりたいと思っていると、舞華さんが水戸さんの隣に座り、そっと抱きしめた。


「水戸さん、貴方は偉いわね。辛いことにず〜っと耐えて。頑張ったわね。そんな頑張ったんだから、少しぐらい、ここで弱音を吐いても誰も責めないわ」


 子供をあやすように、何度も頭を撫でる。

 すると、水戸さんの瞳から大粒の涙がいくつもこぼれ落ちる。

 涙から枯れるまで、水戸さんは舞華さんの胸で泣き続けた。


「……すいません。服、汚しちゃって」

「いいのよ。それよりも、話してくれる? 何があったの?」

「……私、今年から大学に入学して、一人暮らししているんです。それで、生活のためにアルバイを始めたんです。アルバイト先を見つけるのに苦労して、やっと見つけたのが、あそこだったんです」

「そっか、偉いわね。自立しようと努力したのね」

「はい……ですが、あそこで働き始めてから、店長が私に迫ってきて。指導とかマッサージをしてあげるとか言って、私の体を触ってきたんです。思わず店長を突き飛ばしたんです。そのせいなのか、出勤した日数を変えられて、残業した日もなかったことにされて、まともに給料をもらうことができませんでした。店長を問い詰めましたが、『ちゃんと管理してるから間違いない』と言われて。しかも、『お金が欲しいなら、俺が君を買う』って……」


 耐えきれず、顔を手で押さえて涙を隠す。


「ちょっと、失礼します。すぐに戻ります」


 沸々と湧き上がる怒りを精一杯抑え、誰にも聞こえないように遠くまで歩き、スマホで田中さんへ電話をかける。


『もしもし高垣君?』

「すいません、お仕事中に」

『いいよ。ちょうど休憩中だから。水戸さんの様子はどうだった? ちゃんと帰宅できたかい?』

「いえ、訳あってまだ俺達と一緒にいるんです。それよりも、水戸さんから、店長に酷い仕打ちを受けていることを聞きました。店長がお金で彼女を買おうとしたことは知っていましたか?」

『なんだって!? そんな、まさか』


 田中さんも知らなかったようだ。


「田中さん、ここまでしてるのに店長が辞めさせることはできないんですか?」

『……無理だ。どうやらあの店長、親戚がここの親会社の重役らしくて、そのコネで入社したみたいなんだ。行く先々で問題行動を起こしてるけど、お咎めは一切なし。被害者は泣き寝入りするしかないみたいなんだ』


 つまり、上層部も腐ってるってのかよ!

 こんなことがまかり通っていいのかよ!


『高垣君、バカな真似はしちゃダメだよ。君はまだ高校生だ。これ以上あの人に関わったら──』

「田中さん、ありがとうございました」


 意図的にスマホの通知を切り、部屋に戻った。

 しかし、部屋には水戸さん、それに舞華さんと御影さんの姿がなかった。


「水戸さん達はどうしたんですか?」

「元気づけるために舞華さんの部屋でお茶会をするとのことです」


 と、美鈴さんが答えた。


「……ねぇ、春太。教えてほしいの」


 白波が珍しく、俺に教えをこう。


「敬語じゃなくてもいいわ。オブラートに包まなくても構わないわ。私が庶民の生活に無知っていうことも認める。その上で答えてちょうだい。自分の生活のために一生懸命働いている人に正当な対価を払わないのは、庶民にとっては普通なの?」


 俺は迷いなく、そして力強く答えた。


「そんな普通があってたまるかよ!」

「そう……よかったわ。私の感性がズレているわけではないようね」


 今まで、騒がしく怒っていた場面は何度もあった。

 だが、ここまで静かに怒りの炎を燃やしている白波は初めてだ。


「美鈴、すぐにこの店と店長について調べてちょうだい」

「かしこまりました」

「どうするつもりだ」

「簡単なことよ。正当な評価を下すだけよ」

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