第22話
白波の部屋の前に来たが、中の様子なんてわかるはずもないのに、扉から不機嫌そうなオーラが漂ってくる。
意を決して、扉をノックする。
すると、奥から「入りなさい」といつもよりもワントーン低い白波の声が聞こえる。
「失礼します」
扉を開けて入室すると、椅子に座り、膝掛けに頬づえをつきながら俺を睨む白波の姿があった。
舞華さんから不機嫌だとは聞いていたけど、これは予想以上だ。
「あのー……私に何かご用でしょうか」
「正確には貴方と月夜に用があるのだけれど、まだ来ていないようだから、待ってちょうだい」
月夜さんがくるまで、本題には入らないそうだが、その間俺と白波は会話せずに、黙ったまま月夜さんを待つことに。
重い空気に心が折れそうになったところで、ようやく月夜さんが入室してきた。
「申し訳ございませんお嬢様。少々業務が長引いてしまいました」
「いいのよ、私が急に呼んだのだから。ところで最近、春太と月夜が一緒に仕事をする機会が多い気がするのだけれど」
「それはメイド長からの指示です」
「そうなの? てっきり春太が月夜に付き纏っているのかと思ったわ」
睨みつけられ、体がビクッとする。
俺のお願いで月夜さんと仕事ができるようにしてもらっていることはバレていないようだが、白波のあの鋭い目、バレたら何か起きそうだ。
「冗談でも面白くありませんよお嬢様」
「たしかにね。でも、一緒に仕事してるなら、少しは親睦を深めたのかしら」
なんで俺を睨むんだよ。
親睦を深めることはいいことだろうが。
「いえ、できればこの人と仕事したくありません。以前もこの人、下着を広げて発情してましたから」
「ちょっ! それは誤解って説明したじゃないですか!」
「ふーん、下着を……まぁ、仕方ないんじゃないかしら。春太も男の子だもの」
何故か俺を擁護する。
それに、少しだけ機嫌が良くなっている気が。
「いけません! いくらお嬢様が寛大とはいえ、そんな破廉恥なことを見逃すなんて」
「まぁ、私のような美少女の下着に興味を示すのも無理ないわよ。それぐらい許すわよ」
……ん?
「お嬢様、ご安心ください。お嬢様の下着ではございませんので」
「…………は?」
何故か最初よりもさらに不機嫌になっている。
「じゃあ、誰のを?」
「御影さんです」
「だから! それは事故だって、御影さんから説明してもらいましたよね!」
「ですが、以前にも御影さんの下着を見たんですよねる」
「その時も事故ですって!」
「ふーん、私のじゃなくて、御影のをね」
まずい、かなりご立腹だ。
たしかに雇ってるメイド達を邪な目で見てるいるだなんて分かれば、怒るだろうけど。
「しかも、私のスカートをめくってまで私の下着を見てきたんです」
「それも事故なんです! 信じてくださいよ」
「へー……そんなことが」
眉を寄せ、今にも爆発しそう。
「失礼します」
緊張感のある空気の中、美鈴さんがワゴンを引いてやってくる。
「お嬢様、紅茶をお持ちしましたが……これはどういった状況なのでしょう」
「ちょっと春太と月夜に最近のことを聞いていただけよ。どうやら、春太が下着泥棒と覗きをしていたみたいだけど」
美鈴さんは事情を察して、俺を擁護してくれる。
「失礼ですが、春太さんは無実です。御影さんの下着の件でしたら、元々は御影さんのミスで起きたことです。月夜さんの件は、月夜さんが落とした本を拾った結果起きてしまった不運な事故です。月夜さんと春太さんの両者から話を聞いた上で私は不問ということにいたしました。お嬢様がこの件で春太さんに罰をお与えられるのでしたら、不問と判断した私にも同等以上の罰をお与えください」
俺のために深々と頭を下げる美鈴さん。
白波もここまで言われてしまうと、何もいえないようで、一つ息を吐く。
「……いいわ。今回は許してあげる。でも、今回だけよ。いいわね春太!」
「は、はい。寛大なご対応ありがとうございます」
「はぁ、喉が渇いたわ。美鈴、紅茶を淹れてちょうだい。春太も月夜も同席して構わないわ。もう休憩時間でしょ」
「では、お言葉に甘えて──」
「休憩時間なんだから、いつもの口調でいいわよ」
「わかったよ。美鈴さん、俺もいただけますか?」
「かしこまりました」
「月夜も一緒に飲まない?」
「いえ、私は結構です。私などがお嬢様と一緒に紅茶を飲むなど」
「最近は一緒に食事をしているじゃない」
「それは特殊な例です。本来私などがお嬢様と同じ席に着くこと自体がおこがましいのですから。では、失礼いたします」
月夜さんは素っ気なく部屋を出ていった。
やはり、月夜さんは白波と対等になることを意図的に避けている。
「……仕方ないわね。美鈴、二人分用意して」
そう指示する白波の横顔は悲しそうだった。
「どうぞ」
目の前に置かれた紅茶をいただく。
「はぁ……てっきり春太が月夜にちょっかいかけてると思ったんだけど」
「だから違うって! そういうことじゃ」
「はいはい、わかってるわよ。御影の件ももう疑ってないわ。御影のドジっぷりならやっててもおかしくないし。月夜のスカートの中を覗いたのも、事故だったんでしょ。じゃなきゃ、美少女の私のスカートを狙わないなんてありえないし」
「それならいいけど、なんだかその言い方だと、白波のは狙ってほしいみたいな言い方になってんぞ」
と指摘すると、紅茶を飲んでいた白波が盛大に吹く。
「ばば、バカ言ってんじゃないわよ! 誰が春太に見られたいなんて思ってるわけ!?」
「そんなことわかってんだよ。言い方に気をつけろよってことだよ」
「そ、そういうことね」
何焦ってんだこいつ?
「……はぁ、なんだか疲れたわ。それに少し寒いし。もう紅茶を──」
立ちあがろうとした白波は膝から崩れ落ちる。
間一髪のところで俺が受け止めるが、白波の息遣いが荒い。
それに顔も真っ赤だ。
「お嬢様! どうされましたか!?」
「白波、ちょっと触るぞ」
額に手を当てる、異常に熱い。
「かなり熱が高いです。美鈴さん! 氷枕の準備をお願いします。解熱剤があれば持ってきてください」
「わ、わかりました」
準備は美鈴さんに任せ、俺は白波を抱きかかえる。
「はは、とうとう本性見せたわね。私を、襲うつもり?」
「いいから喋るな。すぐに美鈴さんが氷枕と薬持ってきてくれるから、安静にしてろ」
ガラス細工を扱うように、細心の注意を払い、ベッドに寝かせる。
「熱で倒れるなんて、小学生以来かしら。久しぶりだからか、こんなにも辛かったっけ」
「大丈夫か? 喉乾いてないか? 今水を──しまった、美鈴さんに水を持ってきてもらうの忘れてた。ちょっと待ってろ、すぐに持ってくるから」
水を取りに行こうとしたが、俺の手を美鈴が弱々しく掴んだ。
「白波?」
「はは、おかしいわね。水を取りに行くのなんて、ほんの数分のことなのに、でもそんな数分でも一人になるって思うと、どうしようもなく寂しいの。ごめん、もう少しそこにいて」
潤んだ瞳に俺の姿が映る。
「バカ野郎。病人がそんな気を使うな。気の済むまでいてやるよ」
ベッドの横に椅子を置き、そこに座る。
「……ありがとう」
病気のせいで素直になっている白波。
調子は狂うが、病気の時に一人ってのは寂しいものだ。
一人暮らしをしていた俺にはそれが痛いほどわかる。
「春太さん、薬と氷枕を持ってきました」
氷枕を受け取り、白波の枕と入れ替える。
薬と一緒にコップ一杯の水を持ってきてくれたので、それらを白波に飲ませた。
「ありがとう美鈴。貴方はもう下がっていいわ」
「ですが」
「メイド長の貴方がいなくなったら、誰がメイド達に指示を出すのよ。ほら、早く」
「かしこまりました。春太さん、後はよろしくお願いします。飲み物と食事は後で持ってきますので」
俺だけを残し、美鈴さんは業務に戻っていった。
「……美鈴さんじゃなくていいのか? 美鈴さんがいなくても他の人達ならなんとでもなると思うんだが」
「いいのよ。弱い自分を見せられないから」
「俺には見せられるのかよ」
「貴方とは本音で話してたから、取り繕う必要がないと思ってるのかもね」
「……いないのかよ、他には」
俺の質問に白波は言葉を詰まらせる。
「……いた、わね。何年も前のことだけど。とても笑顔が素敵な子だった。小さい頃から仲良しで、よく遊んでいたわ。そういえば、私が熱で寝込んだ時は、心配してくれて、元気が出るようにって、レモン味の飴をくれたっけ」
「いい友達だな」
「うん……また昔みたいに話したいわね」
「話せるじゃないか、いつか」
「……ねぇ、こんなこと頼むのは恥ずかしいのだけれど、手を握ってもいいかしら」
「はいはい、お好きにどうぞ」
布団からそっと手を出し、俺の手を握る。
「春太のことだから、バカにしてくると思ったわ」
「病気の時には誰だって寂しくなるんだよ。俺だって一人暮らししてた頃は病気になった時は、寂しかったよ。このまま死んじまうんじゃないかって。そういう時に誰かに手を握って安心したいと思うのは恥ずかしいことじゃない」
「そっか……これはおかしな感情じゃないのね」
「ああ、だから安心して寝ろ」
「そうするわ」
そうして白波は静かに寝息を立てる。
手を離しても気づかれないのだが、俺は律儀に白波の手を握り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます