第10話

 ここに来てから一ヶ月程が経った。

 ようやく少しずつではあるが、メイド達(月夜さんを除く)と打ち解け始めていた。


「春太君、ちょっといいかしら〜」


 庭の掃除をしている最中に呼ばれ、屋敷に顔を向ける。

 調理場の窓からは舞華さんが手を振っていた。


「どうかしましたか?」

「御影ちゃんが転んだ拍子にティーポットを外に放り投げちゃって、その辺に落ちていないかしら〜」


 またか。

 見た目は美鈴の次にしっかりしてそうだったんだけど、御影さんがドジっ子属性を持っているとは思わなかった。

 昨日もこけて洗濯ものをやり直しにしたんだよな。

 俺以上に仕事できるはずなのに、詰めが甘いというか。


「わかりました。落ちた場所はわかりますか?」

「勢いよく飛んでったから、その木の辺りだと思うんだけど」


 と、一本だけ生えた木に向かって指をさす。

 木の周辺を探してみるが、ティーポットの蓋だけは見つかったが、本体が見つからない。

 いくら探しても芝生の上にはタンポポが咲いているだけで、ティーポットの破片すらなかった。

 もしやと思い、見上げると、木の枝にティーポットがぶら下がっている。


「春太君、あった〜?」

「ありました! 今から取るんで、ちょっと待っててください」


 手頃な踏み台はないかと探すが、見つからない。

 背伸びすればギリギリ届くだろうか。

 ティーポットに手を伸ばすが、わずかに届かない。

 反動をつかって手を伸ばしてみるも、触れられはするが、枝から下ろすことまではいかなかった。

 諦めずに再チャレンジしようとすると、俺を覆い被さるように人影が現れ、ニュッと伸びた手がヒョイっとティーポットを掻っ攫っていく。


 背後を振り向くと、髪の長い女性が髪の隙間から大きな瞳で見下ろしていた。

 恐怖のあまり声を出しそうになるも、グッと堪え、悲鳴を飲み込む。

 輝夜さんはティーポットを俺に差し出す。


「あ、ありがとうございます、輝夜さん」


 お礼を言うと、ジッと俺を見つめた後、ニタリと笑った。

 敵意はないんだろうけど、怖い。


「ありがとうね輝夜ちゃん。それと、もうすぐお昼だから戻ってきてね〜」

「お嬢様はもう昼食を済ませたのですか?」

「うん、だから春太君も輝夜ちゃんも、食堂に来てね〜。あっ! ちゃんと手は洗うようにね!」


 ちょうど腹も減ってきたところだったこともあり、すぐに食堂に向かう。

 もちろん、手を洗ってから。


「二人共、手はちゃんと洗った〜?」

「はい、もちろんです!」


 食堂に入ると、配膳をしていた舞華さんに尋ねられたので、返事をしながら洗った手を小さく前に出す。

 輝夜さんも、無言で肘を伸ばしながら手を前に出す。


「いい子達ね。準備は済んでるから、座ってちょうだい」


 配膳が終わっている席に座ると、俺の隣に輝夜さんが即座に座る。

 目を白黒させていると、輝夜さんは俺の顔を覗き込むように近づけ、そしてまたニタリと笑う。

 俺は視界に入れないように視線をそらす。

 そらした先には、今にも頭上から雨が降りそうなほどにどんよりとした表情の御影さんが、肩を落として座っていた。


「すいません春太さん。私がドジしたばかりに手を煩わせてしまいまして」

「いえいえ! 気にしないでください」

「でも、私春太さんよりも年上で勤続期間も長いのにこんな失敗ばかりで」

「たしかに失敗はあったと思いますけど、それを挽回するぐらいに御影さんは手際がいいじゃないですか! 今度仕事のコツを色々と教えてください!」

「本当に……そう思ってます?」

「もちろん!」


 俺の答えにご満悦の御影さん。


「そういえば、美鈴さんと月夜さんはまだ来てないんですね」

「キリのいいところで終わらせてから来るって言ってたわよ」


 と、舞華さんが答えてくれたタイミングで、食堂の扉が開いた。


「遅れて申し訳ありません」


 噂の二人が入ってくると、月夜さんが謝罪と共に一礼する。


「月夜ちゃん、謝らなくていいから、早く席に着いて」

「はい、ありがとうございます」

「舞華さん、料理を任せてしまい、すいません」

「いいのよ。今日は私の当番なんだから」


 全員が席に着いたところで、美鈴さんは全員に向けて声をかける。


「では皆さん、いただきましょう」


 その一言で食事が始まり、目の前の料理に視線を向ける。

 緑色のソースがかかった白身魚のソテーに、澄んだ黄金色のコンソメスープ。

 スライスしたトマトとモッツァレラチーズが交互に重なり、その上にオリーブオイルが輝いていた。

 何度も思ってしまうが、昼食にこんなものをタダで食べていいのだろうか。

 そんなことを思いつつも、白身魚を一口。

 ……うん、美味い。ただただ美味い。

 俺は無心になって食べる。


「あらあら、そんなに気に入ってくれるなんて」

「す、すいません! つい」

「……品の欠片もない」


 月夜さんの言葉がグサリと刺さる。


「こら、月夜ちゃん。そんな意地悪言わないの」


 舞華さんが『メッ!』と言ってしかるが、俺への謝罪はなく、静かにスープを飲む。

 どうも月夜さんは俺と仲良くなろうとは思っていないようだ。

 気を取り直して、食事に戻ろうとすると、横から付け合わせのキノコが俺の皿に置かれる。

 振り向くと、輝夜さんが俺をジッと見つめていた。

 なぜキノコが俺の皿に? というかなぜキノコ?? なんで輝夜さんが???

 疑問符が浮かぶばかり。

 一方の輝夜さんはずーっと俺を見続けている。

 もしかして、今すぐ食べろと?

 理由はわからないが、とりあえずもらったキノコを食べる。

 咀嚼してチラッと輝夜さんを見ると、不気味な笑みを浮かべてから食事に戻る。

 何がしたかったのだろうか。


「美鈴ちゃん。もしよければ、明日も作ろうか?」

「いえ、明日は私が当番ですので」

「そういえば、料理ってお二人しかされてないんですか?」


 今まで、白波の昼食も含めて、美鈴さんと舞華さん以外が調理場に立っているところを見たことがない。


「そうよ〜」

「他の方はされないんですか?」

「ちょっとした理由があって、私達しかしないのよ」

「理由?」

「御影ちゃんに料理をさせると、色々起きちゃうし」

「流石の私も包丁が飛んできた時は、死を覚悟しました」


 美鈴さんの口から死を覚悟なんて。

 たしかに、御影さんを台所に立たせるわけにはいかないな。


「輝夜ちゃんは、作れるんだけど……」

「作れるなら問題ないんじゃないですか」


 俺がそう言うと、舞華さんはスマホを取り出して、一枚の画像を見せた。

 そこには焦げ茶色のドロドロしてそうな何かが、皿に盛られてあった。


「これはなんですか?」

「輝夜ちゃん作のホワイトシチュー」

「ホワイト成分皆無ですけど」

「でもホワイトシチューの味はしたのよ。でも流石に、いくらおいしくても、これじゃあ……ね」


 白波にこれを出したら、間違いなくキレ散らかす。

 かと言って、これが昼食に出ると考えると……うっぷ。


「最後に月夜ちゃんなんだけど……」

「どうかしましたか?」

「春太君は、ここに来る前は一人暮らしだったのよね?」


 突然の質問に「はい」と答える。


「なら自炊はしてたかしら」

「してましたけど」

「ゆで卵を作ろうとして電子レンジで生卵を温めたことある?」

「ありませんよ! そんなことしたら爆発するじゃないですか」

「じゃあ、低温で調理するところを高温で調理すれば短時間で出来上がると思う?」

「そんなわけないじゃないですか。中まで火が通らないですよ」

「栄養が偏ってたら、サプリメントを混ぜちゃう?」

「せめて食材でなんとかしましょうよ。そんな変なことしませんよ」

「その変なことを全部やったのが月夜ちゃんです」


 …………え?

 月夜さんに顔を向けると、顔を真っ赤にしながらぷるぷる震えている。


「……ぶっ!」


 あ、やべっ、笑ちゃった。

 当然、殺意のこもった視線が月夜さんから注がれる。


「というわけで、私達しか料理出来ないのよ」

「でも大変じゃないですか?」

「仕事でもありますから。それにそこまで大変でもありません」

「私も美鈴ちゃんと同意見かな。それに、みんなに美味しいって言われるのも悪くないからね」


 にっこり笑っている舞華さん。


「それで、春太君は何が作れるの? 自分でしてたなら、得意な料理とかあるはずよね」

「いや、俺は言う程は」


 俺も一般的な家庭料理であれば、作ることは出来るのだけど、こんな料理を出されてしまうと、俺の料理を口にしてもらうのもおこがましい。


「いいから、お姉さんに言ってみなさい」

「そ、その……」


 俺が言い淀んでいると、食堂の扉が突然開く。

 すでにメイド達はここにいるのだから、入ってきた人物はすぐに想像出来た。


「お嬢様」


 美鈴さんが即座に立ち上がると、メイド達も一糸乱れずに立ち上がると、一礼した。

 先程まで、和気藹々と話していたはずなの舞華さんも、仕事スイッチをオンにし、穏やかな表情ながらも毅然とした立ち振る舞いで対応していた。

 俺も遅れてではあるが、席を立ち、頭を下げる。


「食事中に邪魔して悪いわね」

「いえ、とんでもございません。いかがされましたか?」

「いえ、特に用事があったわけじゃないんだけど」


 美鈴さんの質問に素っ気なく答えると、横まで俺をギロリと睨む。

 白波を怒らせるようなことしてないはずだけどな。

 それとも、単に不機嫌なのか?


「あら、下僕も一緒に食べてたのね。気がつかなかったわ」


 いや、絶対俺のこと気が付いてただろ。


「てっきり一人で食べているものだと思っていたのに、メイド達と一緒に食事なんて、良いご身分ね」


 別にそれは何にも問題ないはずなのに、なんでこいつはこんなに不機嫌なんだ?

 まさか……生──いや、辞めておこう。

 流石にこのセリフはドン引きだ。


「お嬢様、仕事をしていく上で他の方達と親睦を深めるのは、今後の業務を円滑に行うには必要なことかと」


 美鈴さんが俺の代わりに反論してくれるが、白波は口をへの字に曲げたままだ。


「前はメイド達と食事するのが辛いとか言って、私の部屋で無・理・矢・理! 食事を始めたくせにね!」


 酷い言い方に反論しようかと思ったが、それよりも白波が思いっきり扉を閉めて出ていってしまった。


「お嬢様、ずいぶん怒っていたわね〜」

「春太さんがお嬢様の部屋で無理矢理食事をどうのこうのと」

「この人、お嬢様の部屋で一緒に食事をしていたんですよ」


 月夜さんの言葉で、美鈴さん以外のメイド達が俺を見る。


「本当なんですか春太さん」


 御影さんが前のめり気味に尋ねてきたので、素直に答える。


「まぁ……はい」

「無理矢理だなんて、最低です」

「いや、それはそうかもしれなかったですが、お嬢様もそれなりに楽しでいたと」

「だとしても、私達はここで働かせてもらってる身よ。軽々しくお嬢様と食事をすることは良くないわ」


 舞華さんも、俺の行動には批判的な意見を述べる。

 また品位やら身分やらまどろっこしい話か。

 しかも、それは俺以外の共通認識らしく、皆が頷いている。


「気にしすぎだと思うんですけど」

「まだ一ヶ月そこらの貴方に一体何がわかるの? 白波家で生まれたお嬢様は、小さい頃から白波家に恥じないように、どれほど努力されていたか知らないでしょ。知らないからそんな軽々しいことが言えるのよ」


 捲し立てる月夜さんに、俺はカチンときた。


「じゃあなんですか? 一人で食事をさせることがお嬢様のためになると思ってるんですか?」

「当然よ。私達の浅はかな行動は周りのお嬢様への評価と直結するのよ。ましてや、貴方みたいに大雑把な人がいるだけでもマイナスだと言うのに」

「なんだと!?」

「そこまでです」


 美鈴さんに制され、苛立ちを必死に抑え込む。


「春太さん、乱暴な口調は控えてください」

「……すいません」

「月夜さん、いくらなんでも、その言い方は適切ではありません。すぐに春太さんに謝罪を」

「なぜ私が謝罪を!? こんなお嬢様のことを何も知らない男が、お嬢様の足を引っ張ろうとしているのですよ!?」

「月夜さん!」


 美鈴さんが大声を発したことに動揺した月夜さんは口を閉ざすと、俺を睨んでから逃げるようにその場から去った。


「美鈴ちゃん、月夜ちゃんも言いすぎではあると思うけど、あの子はお嬢様の足枷にはなりたくないのよ。もちろん、それは美鈴ちゃんも含めて、私達全員が思っていることでしょ?」


 舞華さんの言葉で、今度は美鈴さんが黙ってしまう。


「春太君。月夜ちゃんがごめんなさいね」

「いえ、舞華さんが謝ることじゃ」

「ありがとう。でもね、春太君はここに来るまで、お嬢様が白波家としてどれほど努力していたか知らなかったでしょ?」


 舞香さんの言う通り、俺はここで働くまで、白波は高飛車なお嬢様ぐらいにしか思っていなかった。

 だがここに来てからは白波に対する見る目が変わった。

 成績の良さは決して天才だからと言うわけではなく、努力の上で得たものであり、高校生でありながら、礼儀作法にうるさいのは、白波家の令嬢として恥じないためにマナーを覚えたからだ。

 その証拠に、白波の部屋には、勉強に関するものの他にマナーに関しての本もズラリと並んでいる。


「はい、何も知りませんでした」

「でしょ? なのに、軽々しくあんなこと言っちゃダメよ。これからは注意してね」


 そう注意すると、皆食事を再開する。

 結局その後、誰も一言も喋らず、重たい空気のまま食事が進むのだった。

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