第9話
目的に到着したが、十分程経った今も中に入ることができていない。
入店するば、間違いなく声をかけられる。
心配させないためにも、ある程度の質問を想定し、それに対する応答を準備する。
イメージはバッチリ。
一呼吸し、覚悟を決めて入店する。
当たり前だが、中は前と変わっていない。
そして、ここで働く人達も俺を除けば変わっていなさそうだ。
まだ俺の存在は気づいていないようだし、このままさっさと買い物を済ませて、セルフレジで会計を済ませれば──
「あら! 高垣君じゃないの!」
早速元同僚のおばさんが俺の存在に気づいてしまい、こちらにやってくる。
俺は引きつった笑みを浮かべた。
「ど、どうも、新島さん」
「急に辞めちゃったからびっくりしたわよ! 肉じゃがも渡せなかったし」
「すいません」
「店長は高垣君に暴力を振るわれたからクビになったって、説明は受けたんだけど、高垣君みたいないい子がそんなことするなんて、よっぽどの理由があったと思ってるんだけど」
やはり、あの店長は詳しい話はせず、殴った事実だけを伝えていたようだ。
「殴ったのは事実ですし、店長からクビだと言われたらそこまでです」
「でも」
「新島さん!」
小走りで走ってくる背の高い男性。
「すぐにレジの対応をお願いします。新人の子がレジ打ちに苦戦してるので、横からサポートしてください」
「わかったわ! またね高垣君」
急いでレジに向かう新島さんを見送った。
そして、田中さんは気まずそうにしながらも口を開く。
「や、やぁ、高垣君」
「お疲れ様です。田中さん」
「元気にしてた?」
「えぇ……まぁ……」
「……あの時は本当にすまない。君を守ってやることができなくて」
「田中さんのせいじゃありませんよ! それに、今は別のところで住み込みで働いていますし」
「本当かい!? よかったー。あの後どうなったか、心配で心配で」
心の底から俺を心配してくれていることは見てわかった。
元気なように振る舞っているが、以前よりも疲れているように見える。
それなのに、俺のことを心配してくれるなんて。
人の良い田中さんが隠せないほど疲れている原因は聞くまでもない。
あの店長のせいだ。
「……田中さん、俺が辞めた理由ってどういうふうに伝わっていますか?」
俺との会話で笑顔を見せていた田中さんだったが、表情は一瞬にして曇る。
「店長は君が一方的に殴ってきたからクビにしたことにしてる。あの現場にいた僕にも何か喋ったらクビと言われてしまって。本当にすまない」
「顔をあげてください。悪いのは全部あの店長ですよ。ただ、雇った人はどうですか? あの店長が雇ったんで、業務能力とか無視して雇ってる可能性も」
「たしかに僕もそれは心配してたけど、やる気のある子ではあったよ。まぁ、まだ失敗ばかりするけど、まだ一ヶ月も経ってないからね。少しずつ教育はしていくよ。ただ、その子が出勤すると、店長が日々の面談と銘打って事務所に二人っきりになろうとするから、そこが心配で」
まさか……あのクソ狸。
心奥から怒りが湧き上がる。
「大丈夫。僕や新島さん達で、そうならないようにしてるから」
「なら安心です。はぁー、なんであんな人が店長なんですかね? 絶対田中さんがやった方がいいですって」
「それは無茶だよ。ただのアルバイトだし。それに、君には話しただろ? 僕がどんな奴かは」
以前にちょっとした雑談程度に、田中さんのことを聞いたことがあった。
田中さんは高校を卒業後、大学受験に失敗し、学歴を重んじる家庭だったこともあり、手切金として数十万円程渡され、家を追い出されたらしい。
それからは家から遠い土地に移り、このスーパーで働き始めたのだと。
田中さんも家族の影響を受けたからか、高卒である自分は大した人物ではないと口癖のように言っていたが、トラブルが発生した際には率先して問題解決に協力し、田中さんの提案で職場環境が改善された話は他の社員からよく聞いていた。
ここで働く人は全員、田中さんに対しては良い印象を持っており、能力を高く評価していた。
前の店長も田中さんには信頼を置いており、いつか田中さんをここの店長にしてやりたいと冗談めかしていたが、おそらく本心だったのだろう。
「そんなことありませんよ! 俺、田中さんのことは尊敬してますから!」
「ありがとう」
「あ、あの……」
メガネをかけたショートヘアの女性がおずおずしてやってくる。
ここの制服を着てはいるが、この人を見たことがない。
俺が忘れているだけか?
「
「はい、新島さんにサポートしていただき、なんとか」
と、話していると、俺の存在に今気がついたようで、顔面蒼白であわあわし始めた。
「すすすいません! お客様対応中とは知らずに声をかけてしまいまして! あわわ、どうしよう」
「お、落ち着いて。たしかにお客様ではあるんだけど」
うん、忘れてるはずないな、こんなにも慌ただしい人を。
「紹介するよ。こちらが新しくはいった水戸さん。今年大学に進学したんだって」
「は、初めまして。みみ、水戸です」
「それで、こちらは高垣君。水戸さんと入れ違いになったんだけど、以前にアルバイトしていた高校生の子」
「あ! 新島さんから聞いてます! とても頼りになってたから、辞められて残念だったって」
無邪気な笑顔を向けるが、その採用の裏で、俺が犠牲になったことは知らないのだろう。
「私も、ぜひ高垣さんと一緒に仕事がしたかったです」
「俺も残念です。ところで、どうしてここに? 他にもアルバイト先はあったと思うんですが」
俺も小さい男だと辟易する。
彼女がどう言う理由でここをアルバイト先に選んだのか知りたがっているのだから。
どんな理由で俺は辞めさせられたんだ。
「私の家、お世辞にも裕福な家庭ではありませんでしたが、ここまで両親に育ててもらいました。だから、これ以上は両親に負担をかけないように、大学ぐらいは自分で稼いで生活したかったんです。実家は大学からも遠いので、近くで安いアパートを借りて、お金を稼がなきゃって探してたら、アルバイトを募集していたここを見つけたんです」
俺は何も言えなかった。
お小遣いを稼ぐためとか、社会経験を積みたかったとか、そんなののために俺の居場所を奪われたのであれば、ここで暴れていたかもしれない。
だけど、この人は俺と同じだ。
両親に迷惑をかけたくなくて、自分一人でやっていけることを証明するために必死なんだ。
本当に、俺は小さいな……。
小さすぎて、惨めだ。
「あの、どこが具合でも悪いのですか? 顔色が悪いように見えますが」
「いえ、お気になさらず。ところで、田中さんに用事があったんじゃ」
「……あっ! すっかり忘れていました!」
この人、悪い人ではないけど、ちょっと抜けてるみたいだな。
「この後なんですけど、私どうすればいいでしょうか? レジは新島さんと交代することになったんですが」
「そうだな……」
田中さんからの指示を待っていると、手脂でギトギトの手が水戸さんの手が置かれる。
「水戸ちゃーん、お疲れ様ー」
不快な声を水戸さんの耳元で発し、水戸さんの顔はみるみると青ざめていく。
「て、店長」
「疲れたでしょ。肩を揉んであげるよ」
「い、いえ、まだそこまで疲れてませんから」
「本当ー? でも、そんな重そうなものぶら下げてたら肩が凝るでしょ」
下卑た笑みを浮かべて、水戸さんの胸を凝視している。
「店長、それはセクハラに──」
田中さんがために入ろうとしたが、鬼の形相で睨み返され、たじろぐ。
「なに? セクハラになるようなことを言った? 別に胸とか言ったわけじゃないでしょ?」
「ですが、明らかに」
「なら、聞いてみようか。ねぇ、水戸ちゃん」
グイッとさらに水戸さんに顔を近づける。
「セクハラしちゃったのかな? 俺はただ、水戸ちゃんのことを思って、肩を揉んであげてるんだよ? これってセクハラなのかな?」
水戸さんは俯きながら、ボソリと答える。
「そ、んなこと、ありません」
「だってよ! 当事者がこう言ってるじゃないか」
こいつ、水戸さんが何も言えない人だってわかった上で、採用して、自分の性欲発散に使おうとするなんて、どこまでクズなんだ。
「水戸さん、大分凝ってるね。そうだ! 君まだ休憩していないよね? この後俺がしっかりとマッサージしてあげるよ。二人っきりで」
怯え切った水戸さんと、権力を盾にされなす術のない田中さん。
目の前で堂々と行われる悪行に耐えられず、俺は店長の腕を掴んだ。
「今すぐその手を離してください。見てるこっちが不愉快です」
「な!? お前、高垣か! テメェ、誰に反抗してるのかわかってんのか!?」
「ここの店長だろ? 知ってるよ。知った上で逆に聞いてやるよ。お前、お客様にそんな態度とっていいのかよ?」
言い返さず、言葉を詰まらせた店長は、掴んでいた手を離す。
「水戸さん、新島さんと一緒に休憩に入ってきて」
忙しなく首を縦に振ると、慌ててその場を後にする。
「田中! 何勝手に──」
「お客様が質問してるんだけどなー。店長はお客様の簡単な質問にも答えられないのかよ」
「ぐっ! 何がお客様だ! 何も買おうとせずに一丁前にクレームをつけやがって! テメェみたいな奴は客じゃねぇ! 出禁だ出禁! さっさと帰りやがれ!!」
「店長! それはやり過ぎです!」
「うるせぇ!! ただのアルバイトが俺に指図するな!!」
服を掴まれ、そのまま店外へ出される。
「二度とくんな!」
唾を吐き捨て、店長は店内に戻っていく
「高垣君、大丈夫かい?」
「えぇ、大丈夫です」
「まさか出禁までするなんて、いくらなんでも横暴すぎる」
「いいですよ。俺もあの店長と遭遇する可能性があるなら、ここには来たくはないので。じゃ、俺はこれで」
あの店長の真っ赤になった顔を見れてスッキリしたし、良い気分!
出禁になってしまったが、まぁ良いか!
軽い足取りで俺は屋敷へと帰っていった。
「……それで? 春太君はスーパーに何をしにいったのでしょうか?」
月夜さんに見下ろされながら、俺は床で正座をさせられていた。
「買い物に行きました」
「買い物ですか? では買い物袋を渡していただきましょうか」
「……ありません」
「ありません? あぁ、そういうことですが。春太君も手際がいいのですね。もう冷蔵庫にしまったんですか」
「いえ……買っていません」
「なぜですか?」
「……忘れました」
見上げなくてもわかる。
月夜さんは冷ややかな視線を向けている。
「何を買い忘れたのですか? ジャガイモですか? にんじんですか? 玉ねぎですか?」
「ぜ……全部」
「……春太君はスーパーに行ったのに、何故買い物を一切していないのでしょうか?」
俺にもわかりません。
「……はぁ、もういいです。幸いにも、舞華さんが別件で外に出ていた、先程連絡しておきました。このことはメイド長にも報告します。覚悟しておいてください」
月夜さんの説教が終わり、業務に戻る。
業務後、美鈴さんにこっ酷く叱られることになるのだった。
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