第8話
さて、時間は経って、夜の十一時。
業務を終えて、自由な時間を過ごす。
ふと、喉の渇きを覚えたが、あいにくストックの飲み物を切らしていた。
仕方なく、調理場から飲み物を調達し、部屋に戻っいる最中。
「あっ、そういえば、昼間のお礼をしてないな」
あのとき庇ってくれたことのお礼をしていないことに気がつき、美鈴さんの部屋に向かう。
後日伝えればいいのかもしれないが、こういうのは早めに伝えるべきだろう。
それに、部屋の明かりがついてなければ、帰ればいいだけの話だ。
美鈴さんの部屋の近くまでやってくると、扉の下から、光が漏れている。
テレビを見ているのか、少し音も漏れていた。
ならば、一言をお礼をしなければと思い、扉に手をかける。
が、これが不幸だった。
プライベートな時間ということもあり、気が抜けていた俺は、扉のノックや声をかけることなくノブを回してしまった。
さらに不運なことに、扉には鍵がかかっておらず、すんなりと空いてしまった。
廊下に部屋の明かりが漏れ、扉の隙間から部屋の様子が目に映る。
「ぷるるぷるぷる、ぷるキュア。ほっぺ! お胸! お尻! どこもかしこもぷるぷるぷるぷぷ。スカートがひらっりー、純白が見えちゃうー! きゃー! わたしたーちー、可憐で! ほんとっ!? 純情! うそー! お・と・め・でーす! ぷるるぷるぷる、ぷーるキュッア!」
大きな画面に映されたアニメに倣った迫真の踊りと歌。
最後に振り返るように、こっちらにバッチリとポーズを満面の笑みで決める。
一旦扉を閉めて、心に余裕を持たせるために数秒の準備をし、再び扉を開ける。
扉の隙間から、数十センチの距離まで近づいた美鈴さんの顔が見えたので、再び扉を閉めようとした。
が、それは美鈴の手によって阻まれ、さらには服を掴まれてしまい、部屋の中へと引きづり込まれた。
「春太さんこれは違うんです」
『ぷるるぷるぷる、ぷるキュア』
「動画サイトで動画を探していたら目について」
『ほっぺ! お胸! お尻!』
「運動として踊っていただけで」
『どこもかしこもぷるぷるぷるぷぷ』
「本当に少し気になっただけで」
「俺もその動画気になってしょうがないんで、一旦止めてもらっていいですか?」
とりあえず動画を止めてもらったが、気まずい空気が漂う。
「そのー、美鈴さんはそういうのが好きなんですか? 女児向けのアニメ」
「女児向けではありますが話の内容はとても深く大人でも楽しめる作品です。何よりぷるキュア戦士のキャラデザは大変良く、可愛いほっぺのぷるゼリー、豊かなお胸のぷるプリン、柔らかなお尻のぷるムースと魅力的なのです。良くぷるキュア戦士達の中で誰が一番可愛いかと議論されるのですがそんなこと議論する必要がありません。みんな可愛くてみんな良いのですから」
「わかりました。大好きなんですね」
我に返った美鈴さんは流暢に喋る口を手で塞いだ。
「……その、このことはご内密に。特にお嬢様には」
「あー、それは良いですけど。この趣味は誰も知らないんですか?」
「はい。メイド長である私が、こんな趣味を持っているなんて知られたら。万が一にもこれが外部に漏れたら、白波家の品位を落とすことに」
また品位うんぬんか。
「春太さんも、私の趣味を知って、幻滅したでしょう」
「え? なんでですか?」
……いや、そんな不思議そうな顔をされても。
「け、軽蔑しないのですか? 二十代後半に差し掛かった女性が、アニメ好き。しかも、女児向けのですよ?」
美鈴さん、アラサーだったのか。
「驚きはしましたが、今の時代、アニメ好きな人なんていっぱいいますし、俺もアニメとか漫画好きですし。それに女児向けだろうと美鈴さんはその作品好きなんですよね? ならそれで良いと思いますよ。人の趣味趣向を否定する権利なんて誰にもありませんから」
「……春太さんは、そう考えてくれるのですね」
「俺は……ということは、過去にそういうことが?」
考えよりも先に口が出てしまった。
が、美鈴さんは俺の質問に答えてくれる。
「はい、私は小さい頃からアニメが大好きでした。ただ、中学の頃にアニメ好きということを大っぴらにしていたのですが、その時のクラスメイト達に気持ち悪がられてしまいまして。高校に上がってからは、誰にもバレないように隠していました」
「す、すいません。そんな話をさせてしまって」
「いえ、いいんです。過去は過去ですから。でも、春太さんみたいな人に出会えていれば、隠すことなく、アニメの話をすることが出来ましたのに、と思ってしまいますね」
心の底から残念そうに苦笑する。
「美鈴さん、ぷるキュアについて教えてくれませんか?」
「ぷ、ぷるキュアを、ですか?」
「はい、俺も興味が湧いたんで、ぷるキュアの話が聞きたいんです」
「それは構いませんが、よろしいのですか?」
「もちろんです」
俺の了承を得ると、美鈴さんは目を輝かせながらぷるキュアの話を始める。
今までアニメの話がしたくても出来なかったのだから、よほど嬉しいのだろう。
俺は静かに耳を傾ける。
しかし、この時の俺は知らなかった。
ぷるキュアにかける美鈴さんの熱量を。
「──そこで、ゼリーが言ったんです。『そんなに頭を硬くしないで、もっとぷるぷるしなよ!』と。あまりの感動に涙で前が見えませんでした」
現在の時刻は午前二時。
三時間近くノンストップでぷるキュアの解説が続いていた。
「春太さんにも是非この感動を味わってもらいたいですね。いえするべきです。義務教育です。今からぷるキュアを見ましょう」
「い、今から!? 今午前二時なんですけど」
「……たしかに」
時間に気がついてくれたことに、ホッと胸を撫で下ろす。
「業務時間まで見るとなりますと、先ほどお話ししたシーンまで見れませんね」
まさかのオールという、斜め上の思考だった。
「あの、美鈴さん?」
「はい! なんでしょうか?」
すいません、そんなワクワクしながらキラキラとした目を向けないでください。
「……オープニングとエンディングはスキップしてもいいですか?」
「本当は見ていただきたいんですが、時間もありませんし、仕方ありません」
こうして、俺と美鈴さんは、始業時間ギリギリまでぷるキュアを鑑賞したのだった。
「おはようございます、お嬢様。本日の朝食はパンでよろしいでしょうか?」
「え、えぇ。そうしてちょうだい」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
食堂から出て行った美鈴さんの後ろ姿をキョトンと見つめる白波。
「ねぇ、美鈴すごく機嫌がいいんだけど、何か知ってる?」
「知りません」
「そう……って、貴方、ひどい顔してるわよ。何かあったの?」
「ちょっと眠れなかっただけです」
なんで俺と一緒にオールした美鈴さんはあんなに元気なんだ?
もしかして、アニメでエネルギーを摂取してるのか?
「睡眠くらいしっかりとりなさいよ。睡眠不足で業務に支障をきたしたら承知しないからね」
「そう思うんでしたら、朝から『退屈だから芸でもしなさい』なんて無茶振りはしないでいただけると」
「私のお願いは立派な最重要業務よ。おかげで退屈しなかったわ。つまらないモノマネをしている貴方の姿、とても滑稽だったわ」
「お嬢様、白波家として、そのようなご趣味はいかがなものかと」
「あらそう? 以前に貴方から褒められた覚えがあるのだけれど」
こいつ、何気に根に持ってやがるな。
「お嬢様、お話中失礼いたします」
食堂に入ってきた月夜さんが会話に割り込む。
その際に、睨まれた気がした。
「春太君を少しお借りしてもよろしいでしょうか。先ほどメイド長から一部食材の在庫がなくなりそうとのことなので」
「別に構わないわ。朝食の時間もズレるということかしら」
「いえ、朝食分の在庫はあるとのことです」
「それならいいわ」
「春太君、聞いていた通り、今から食材を買ってきてください。量も一人で充分持てるはずです」
メモを渡され、それに目を通す。
そこには数種類の野菜とスーパーの住所が書かれていた。
「この住所」
「何か言いましたか?」
「いえ、なんでも」
書かれていた住所は俺がアルバイトしていたスーパーだった。
たしかに、近いスーパーといえば、ここくらいだ。
「あの、着替えてから買い物に行ってもいいでしょうか?」
月夜さんは白波を一瞥する。
「それぐらい構わないわよ。好きにしなさい」
白波の許可ももらえたので、一度部屋に戻り、私服に着替えてからスーパーに向かう。
だが、その足取りは重い。
クビを宣告される前までは頻繁に利用していたのだが、クビになってから今日まであのスーパーには行っていない。
お世話になっていた分、顔を合わせるのが辛くて今まで避けていた。
でも、これも使用人としての業務なのだから、俺のわがままを押し通すわけにはいかない。
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