第7話

 白波のところで働き始めてから一週間程が経った。

 それなりに仕事内容を覚えた俺は、一部の掃除を一人で任されるようになった。

 まぁ、他のメイドと比べれば、まだまだ仕事量は少ない。

 なんとか追いつきたいと思っているが、そう簡単に追いつけそうにはなかった。


「春太さん、少しよろしいでしょうか」


 祝日ということもあり、朝から業務に奔走していると、美鈴さんに呼び止められる?


「はい、なんでしょうか」

「もうすぐ旦那様と奥様がお帰りになられます。春太さんも一緒にお迎えしてください」

「旦那様と奥様というのは、お嬢様のご両親ですか?」

「その通りです」


 そういえば、まだ白波の両親に会ってなかったな。

 でも待てよ、白波の父親って、つまるところ、白波家の当主ってことだよな。

 ……粗相のないようにしないと、俺の首が飛んでしまう。


「了解しました」


 俺は美鈴さんと共に玄関を出ると、すでに外には美しい姿勢で当主を待つメイド達の姿があった。

 俺もそれにならい、背筋を伸ばして旦那様達を待つ。

 数分後、黒いリムジンが敷地内に入り、玄関の目の前に止まる。

 美鈴さんも含めたメイド達の空気が張り詰めた。

 運転手が降りると、後部座席の扉を開ける。

 中から降りてきた四十代のスーツを着た男性。

 白髪混じりのオールバックに、鋭い目つき、口元を固く閉ざした威厳のある風貌に、思わず後退りをしたくなる。

 さらに、奥からは白波に似た艶やかな黒髪を持つ美女が姿を現す。


「旦那様、奥様、お帰りなさいませ」


 深々とお辞儀をする美鈴さんとメイド達。

 俺も少し遅れて、深々と頭を下げる。


「問題はなかったか?」

「いえ、ございません」

「そうか……冬花はどこにいる」

「お嬢様はお部屋に」

「すぐに私の書斎に来るように伝えてくれ」

「かしこまりました」


 旦那様達が屋敷内に入った後も、しばらくその場でメイド達と共に立っていたが、辛抱たまらず、大きく息を吐いた。


「春太君。だらしないわよ」


 月夜さんからに指摘され、すぐに姿勢を正す。


「すいません。とても重い空気だったので、つい」

「ただでさえまともに業務が出来ていないのに、そんな調子じゃ、近い内にクビね」


 容赦ない言葉がグサグサと心に刺さる。


「月夜さん、言い過ぎです」

「失礼しました」

「春太さん、お嬢様に旦那様の書斎に向かうようにお伝えください」

「はい、わかりました」


 まだ心の傷が痛むが、業務に支障をきたしてはいけない。

 急いで白波の部屋の前まで赴き、扉を叩く。


「誰?」

「春太です」

「春太? 一体何の用よ」

「旦那様が書斎に来るようにと、伝言を預かりましたので」


 用件を伝えた途端、ドタドタ慌ただしい音がすると、扉が勢いよく開かれる。


「お父さん達もう帰ってきてるの!?」

「は、はい……」

「もっと早く教えなさいよ!」

「そんなこと言われましても、旦那様が帰ってくることは、先ほど聞かされたもので」


 なぜ俺が理不尽に怒られねばならんのだ。


「すぐ向かうわ。それと、春太も一緒に来て」

「え? ……お──私も!?」

「当たり前でしょ? まだお父さん達に貴方のこと紹介してないんだから」


 正直会うのは遠慮したいところ。

 だが、ここで働いている以上は挨拶を済ませておく必要があるのも理解している。

 逆鱗に触れる発言は避けて、波風を立てずに乗りきらなければ。


「かしこまりました」


 というわけで、白波と一緒に旦那様の書斎まで来たのだが……


「何してるのよ。さっさと開けなさいよ」

「……やはり、私が開けないといけないでしょうか」

「当たり前じゃない。それともなに? 怖くて開けられないから、貴方は小鴨のように私に付いてくるだけ?」


 そう言われると、情けないな。

 深呼吸してから意を決して扉をノックした。


「誰だ」


 たった一言だが、俺の体に緊張が走る。


「た、高垣春太と申します。お嬢様をお連れしました」


 震える声で答える。


「高垣? まぁいい。入りなさい」


 入室の許可をいただき、扉を開けて、白波を先に入らせる。

 俺は最後に入室し、扉を閉めると、アンティークな書斎机を挟んで黒革の椅子に深々と座りながら、本を視線を落としている旦那様の姿があった。


「来たか。それと、君は……うちのメイド達と一緒にいたが」

「お父さん、この人は新しい使用人の高垣春太。以前に話したクラスメイトの」


 俺は深々と頭を下げる。


「あぁ、君が」


 返事はするものの、俺に対しての興味はほとんどないらしく、視線を再び本に落とす。


「ところで冬花。成績の方は問題ないか」

「えぇ、問題ないわ」

「そうか。それと、私が雇ったコックを解雇したそうだな。お前のために雇ったというのに」

「必要ないわ。それより、お父さんもお母さんもお昼まだでしょ? この後一緒に──」

「悪いが、この後すぐに母さんと一緒に会社に戻らなければならない。視察の予定もあるから、またしばらく留守にする」

「……そう。わかったわ」


 白波の声色が少し変わった気がした。


「要件は異常だ。高垣君だったな。これからよろしく頼む」

「は、はい。よろしくお願いいたします」

「要件は以上だ」


 旦那様は無言で本を読んでいく。


「失礼します」


 一言声をかけ、白波と共に退室をする。

 退室した後、白波の顔を盗み見るが、表情は曇っていた。


「どうかいたしましたか?」

「何でもないわよ!」


 なんでこんな不機嫌なんだ?


「そうですか。この後はいかがいたしましょうか? まもなく昼食のお時間ですが」

「今日は部屋で食べるから。美鈴にもそう伝えなさい。それと、昼食は簡単なもので良いから」

「かしこまりました」


 指示に従い、調理場へと向かう。

 調理場には美鈴さんが昼食の準備のため、食材の確認をしている最中だった。

 俺は手短に伝言を伝える。


「……了解しました。すぐに準備しますので、少しお待ちください」


 不自然な間を開けてから調理を始める美鈴さんのそばで、手持ち無沙汰になった俺は美鈴さんに話しかける。


「旦那様はお忙しいんですね。これからすぐに会社に戻られるようで、しばらく帰らないともいっていました」

「そうですか……どうりで予定とは違うものを用意しろと」

「どういうことです?」

「お嬢様には手の込んだ料理をとのことを昨日伝えられていたので」

「でも、お嬢様は簡単なものをと」

「旦那様達と一緒に食べるつもりだったのですが、そうはいかなくなったからなのでしょう」


 なるほどな。

 不機嫌だったのもそのせいか。

 まったく、家族に何遠慮してるんだよ。


「お嬢様も楽しみにしておられていたのですが、仕方ありません」

「……仕方なくないですよ」

「なにか言いましたか?」

「なんのことですか?」


 俺の呟きを聞き返されるが、とぼけたふりをする。


「春太さんもこの後昼食ですが、何かお作りしましょうか?」

「なら……」




 白波の部屋の扉を数度叩く。

 部屋にいる白波の了承を得てから、昼食のワゴンと共に入室する。


「お嬢様、昼食をお待ちいたしました」


 そう言って、丸テーブルの上にサンドイッチの皿を置いた。

 が、その皿に白波は目を見張る。


「ちょっと、何よこれ」

「ご要望通り、簡単なものということで、メイド長に作っていただいたサンドイッチですが」

「見れば分かるわよそんなこと!」

「では、サンドイッチにご不満でも?」

「あるわよ! いや、美鈴のサンドイッチ自体に不満はないのよ」

「ではなんですか。はっきりと言ってください」

「この量はなんなのよ!」


 山盛りのサンドイッチを指しながらキレ気味に聞かれる。


「主人の私を太らせてどうするつもりよ! いやえその前に、女性にこんな量をいきなり出すなんて、デリカシーのかけらもないの!? そもそもこんなにも食べられないわよ」

「そんなことわかってるよ。俺の分も入ってるからその量なんだよ」


 俺は椅子に座り、サンドイッチを一つ摘む。


「貴方の分?」

「そうだよ。労働後で育ち盛りの男子高校生の胃袋舐めんなよ」

「そんなことを聞きたいわけじゃない。貴方と一緒に食べるつもりないけど。それと、敬語は?」

「今は業務中じゃなくて昼休憩中なんで、関係ありませーん。美鈴さんにも確認済みでーす」


 と、わざとらしく煽ると、案の定顔を真っ赤にする。


「それと、白波は俺と一緒に食べるつもりだ。やっぱ食事は誰かと食べた方が気持ちが明るくなる」

「それだったらメイド達としなさいよ」

「俺があの人達と一緒に食事してるところを見たことがないからそんなこと言えるんだな。地獄だぞ! 一緒に食べてるのに会話のひとつもない! あんな緊張感を持って食事してたら、休むどころか疲れるわ!」

「知らないわよ」

「まぁ、何を言いたいかといえば、白波と一緒に食いたいんだよ。いつもみたいに学校で食べる時みたいにさ」

「……何よそれ、馬鹿じゃないの」


 呆れた白波はそのまま席に着く。


「もういいわよ。これ以上の押し問答も面倒だし。私は心が広いから、使用人の言動に目くじらを立てるほど──ちょっと! ハムサンドばっか食べ過ぎ!」

「安心しろ。このくらいの量ならペロリだ。ちゃんと卵サンドも食べるぞ」

「私の分のハムサンドも残せって言ってんのよ!」

「おいおい、心が広いんじゃないのか?」

「それとこれとは別よ! さっさとハムサンドをよこしなさい!」


 サンドイッチの奪い合いを繰り広げ、数十分程で食事を終える。


「ごちそうさまでした。いやー美味かった」

「結局、ほとんどハムサンド食べられちゃったわね」


 恨みのこもった眼差しを向けられるが、明後日の方角に顔をむける。


「そう怒るなって。ほら、最後の卵サンドやるよ」

「そこはハムサンドを渡しなさいよバカ!」


 さて、おちょくるのもこれくらいにしておこう。

 もうそろそろ休憩が終わる時間だ。


「んじゃ、もうそろそろ休憩が終わるから、皿回収していくなー

「戻しに行くなら、紅茶を淹れてきて。貴方の相手をして喉が渇いたわ」

「了解。では、俺はこれで失礼して」

「……春太」


 ワゴンを押して、出て行こうとした俺に白波は呼び止めた。


「どうした?」

「今日、貴方との食事はほんの少しだけど、暇つぶしになったわ。だから……貴方がどーしてもって言うなら、私の気分によっては、たまーに一緒に食事をすることを許可してあげなくもないわよ」

「そうですかい。まぁ、そんときになったら、また声かけるよ」


 そう言って、俺は扉を閉める。

 思惑通りに、いつもの学校の白波と同じ調子に戻ってくれてよかった。

 さて、さっさとこれを片付けて、業務に戻ろうか……と思っていた矢先。


「待ちなさい」


 再び呼び止められる。

 だが、今度は白波ではなかった。

 振り返った先にいたのはメイドの月夜さん。

 白波と違い物静かな彼女が、眉間に皺を寄せて詰め寄ってくる。


「今、お嬢様の部屋から出てきましたよね」

「そうですけど、それが何か?」


 聞き返すと、キッと睨み返された。


「お嬢様の部屋から談笑の声が聞こえましたが」


 あれを談笑と言ってもいいのかは一旦置いておくとして、俺は素直に答える。


「そうですけど」


 俺の返答に月夜さんはさらに詰め寄る。


「立場わかっているの!? お嬢様と一緒に食べるなんて言語道断! 白波家の格を落とすような真似はやめて」


 興奮気味に捲し立てる月夜さん。

 言いたいことはなんとなくわかった。


「別にいいじゃないですか。一緒に食事くらい。ただでさえ広い屋敷なのに、一人で食事なんて、俺だったら寂しいですよ」

「貴方とお嬢様を一緒にしないで!」

「何を騒いでいるのですか」


 たまたま通りかかった美鈴さんが、俺達の言い争いを制止する。


「春太君がお嬢様と一緒に食事をしていたので、自分の立場を弁えるように指導していました」

「だから、なんでそれがダメなんですか? なんなら、いっそのこと、みんなで一緒に食べればいいじゃないですか」

「貴方はまた!」

「二人共良しなさい」

「ですが美鈴さん!」

「二度……同じことを言わせるのですか?」


 短い言葉だったが、場の空気を張り詰めさせるには、それで充分だった。


「そもそも、月夜さんはなぜ春太さんがお嬢様と食事をしていることを知っているのでしょうか?」

「それは、部屋の外から二人の声を聞いたので」

「つまり、お嬢様のプライベートを盗み聞きしていた。そう言うことですね?」

「そ、それは……」


 言葉を詰まらせ、伏し目になる。


「……その件には目を瞑ります。月夜さんは業務に戻ってください」


 上司である美鈴さんの命令に、腑に落ちない態度で従い、その場を離れる。

 残った俺も、美鈴さんから叱られるのかと身構える。


「……春太さん」

「はい! なんでしょうか!?」


 上擦った声で聞き返す。


「それを片付けたら、庭の手入れをお願いいたします」


 簡潔な命令。

 しかし、月夜さんと比べれば、物腰が柔らかい印象を受ける。


「はい……あの、それだけですか?」

「それだけとは?」

「てっきり、お嬢様と一緒に食事をしたことを咎められると」

「咎めるのであれば、わざわざ同じ皿にサンドイッチを全部載せませんよ。ですが、月夜さんの言っていることも確かですから、明言するのは避けました」

「その点が俺にはわからないんです。なんで、お嬢様と食事をとることがダメなんですか?」

「それは、私達はあくまで、雇い主とメイドという立場だからです。ましてや、雇い主は白波家。私の行動で、白波家の名に泥を塗ることだってありのですから、月夜さんの言い分もわかります」

「え? それなら、俺がしたことって、ダメなんじゃ」

「確かにそうですね。ですが、それは私達が始めから『雇い主とメイド』だったからそう言う考えになるのです。ですが、お嬢様と春太君は元々『クラスメイトの関係』でした。その違いあっからこそ、お嬢様のために動いてくれたのでしょう」

「……いや、俺は頭悪いですから、お嬢様のためとかまでは考えていませんでしたよ。ただの気分です」

「そういうことにしておきましょう」


 クスッと笑われ、気恥ずかしい。


「では、先ほどの件、よろしくお願いします」

「了解しました」

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