第5話

「春太。今日俺部活ないから、帰りにハンバーガー食いに行かね?」

「悪い! この後バイトがあるんだ」

「そっか。なら、仕方ないか……本当に、ご愁傷様」


 と、哀れむ目で見送られながら、俺は急いで屋敷に帰る。


「ただいま戻りました!」

「遅い! 寄り道しないで帰ってきなさいよ」


 今日から使用人として働くことになり、朝から庭の掃除をさせられたが、それは別に苦ではない。

 問題はこのお嬢様。


『花瓶に入れたいから、庭に咲いたあの白い花を摘んできて』


 と言って、窓の外の花を指差すから、摘んできたら。


『やっぱり、あの赤い花がいいわ』


 と、別の花を要求される。

 それを何往復もさせられた。

 そして登校時間ギリギリまで仕事をさせられたのだが、白波は車で登校に対し、俺は徒歩での登校をさせられた。

 自転車を持っていない俺は朝から全力疾走。

 仕事の疲労も合わさって、授業の眠気は凄まじく、居眠りをしたせいで、注意を受ける始末。

 それを楽しそうに白波は見ていた。


「だったら、帰りぐらい車に乗せろ! こっちは徒歩で帰ってきてるんだぞ!」

「嫌よ。あの狭い空間に春太と一緒にいたら襲われちゃう」

「誰が襲うか!」

「春太さん」


 美鈴さんの声に俺は体をビクッとさせ、振り向く。


「ここはもう白波家の屋敷です。そして春太さんはここの使用人。私が何を言いたいか、分かりますね?」

「はい……失礼しました、お嬢様」

「ふふっ、分かればいいのよ」


 満足そうな白波。

 耐えろ、耐えるんだ俺。これも生活のためだ。


「帰ってきて申し訳ありませんが、早急にこれに着替えてください」


 渡されたのは真新しい執事のような服。


「今朝は登校もあったので、制服での業務を許しましたが、今後はこれを着て業務を行ってください。着替えが済みましたら、エントランスへ来てください」


 と言われたので、すぐに自室に戻って着替える。

 スタンドミラーで全身を確認するが、服に着られているというか、馬子にも衣装というか。

 とにかくこの姿に違和感があるものの、仕事なのでエントランスへ向かう。

 エントランスでは美鈴さんの他に、四人のメイドが立っていた。


「来ましたね。まだここのメイド達の紹介をしていなかったので、紹介いたします」


「こちらから、舞華さん」


 ウェーブのかかった茶髪のお姉さんが、垂れた目を細めて微笑む。

 お姉さん系か。


「その隣が御影さん」


 黒髪ショートのキリッとした目の女性が、眼鏡の位置を治す。

 この人は真面目委員長っぽい。


「次に輝夜さん」


 黒髪ロングの女性がニヤリと不気味に笑った。

 目元は隠れ、おまけに俺よりも背が高いせいか、少し近寄りがたい。


「最後に月夜さん」


 と、唯一名前を知っている月夜さんが、頭を下げる。


「以上が白波家のメイド達です」

「え、メイドさんはこれで全員なんですか?」

「そうです」

「他に働いている人は」

「いません。この屋敷には、春太さんを含めて六人しかおりません」


 こんな少人数で屋敷の全ての業務をしているのか。


「皆さん、こちら今日から働くことになりました、春太さんです」


 一応お辞儀をしてみるが、メイド達の反応は薄い。


「今日は私が指導しますが、他の方にも指導していただくつもりですので、よろしくお願いいたします。では各自、それぞれの業務に取り掛かるように」


 そう美鈴さんが告げると、メイド達は一斉に散らばっていった。


「では春太さん、こちらへ」


 俺はキッチンへと連れてこられ、美鈴さんがワゴンに紅茶のセットを乗せる。

 そして、ワゴンを引き、白波の部屋の前までくると、扉をノックする。


「お嬢様。紅茶をお持ちしました」

「入りなさい」


 許可を得た美鈴さんが部屋に入り、その後に続くように俺も中へ。


「あら、春太も一緒──あっはははは! その格好似合ってないわね!」


 自分でも似合ってないと自覚してはいたが、こうも腹を抱えて笑われたら腹は立つ。

 が、雇い主なので、奥歯を噛み締めながら笑顔で耐える。


「春太さん、紅茶を淹れて、お嬢様にお出しください。淹れ方はここに来る前に説明した通りです」


 キッチンを出る前に、紅茶の淹れ方は一通り教えてもらったから、問題はない。

 ポットに茶葉を入れ、電気ケトルで沸騰させたお湯を注ぐ。

 二、三分蒸らして、茶こしでこして注ぐ。


「お待たせいたしました、お嬢様」


 そっと紅茶の入ったティーカップを白波の前に置く。

 カップを持ち、香りを楽しむと、一口つける。

 そしてため息をつく。


「ぜんっぜんダメ! 何よこの紅茶! 泥水?」

「ど!? 流石にそれは言い過──言い過ぎではないでしょうか、お嬢様」

「じゃあ春田も飲んでみなさいよ」


 ただ紅茶を入れただけで、何がそんなに気に食わないんだ。

 そう思いながら、予備のカップに紅茶を注ぎ、口に含む。

 ……あれ?

 俺からしてみれば、美味いとは思うけど、それは使ってる茶葉がいいものだから美味しいのであって。

 昨日と比べたら味が全然違う。

 もしかして昨日と違う茶葉だからか?


「昨日と同じ茶葉よ」

「まだ何も……」

「顔にそう書いてあったわ。美鈴」

「はい、ただいま」


 慣れた手つきで新しい紅茶を作り直すと、白波と俺に差し出す。

 手順はほとんど変わらないけど。

 恐る恐る紅茶を飲む。


「……昨日、飲んだ紅茶だ」

「流石美鈴ね」

「お褒めのお言葉、ありがとうございます」

「なんでこんなにも違いが……」

「蒸らす時間が少しばかり短かったからかと。紅茶は蒸らす時間が変わってしまうと、味も変わりますから」

「しっかりしなさいよ。これからは春太が紅茶係なんだから」

「はい……はい?」


 俺が紅茶係?

 美鈴さんに顔を向けるが、何も言ってはくれない。


「なんで!?」

「使用人なんだから当たり前でしょ。ちゃんと飲めるものを作れるようにしなさいよ。ま、庶民の春太じゃ、何年かかるのかしら!」


 そう言って、高笑いをする白波。

 くそ! 同意見だから何にも言えねぇ!


「春太、美鈴。色々楽しめたから、もう下がっていいわ」


 ご主人様に言われた通りに俺達は退出する。


「初めてですから、仕方ありません。何度も淹れていく内に、上達しますから」

「すいません、ありがとうございます」


 それからは美鈴さんに着いていきながら、簡単な業務をこなし、今日の業務は終了した。


「はぁ、今日はなんか疲れたな」


 慣れないことをすると、どうも余計に疲れてしまう。

 早く慣れたいものだ。


「んで……ここどこだっけ?」


 キッチンに向かおうとしたのだが、まだ部屋の位置を覚えれていないため、絶賛迷子中の俺。


「まぁ、そのうち誰かに会うだろう」


 ふらふらと歩いていると、ちょうど月夜さんが歩いていた。


「すいません。ちょっと聞きたいことが」


 駆け寄ろうとした瞬間、前方にいた月夜さんが俺の距離を一気に詰める。

 さらに先ほどまでいなかったはずの美鈴さん以外のメイド達が、俺を囲っていた。


「春太君。なぜここにいるの?」

「え、いや、その」


 月夜さんに尋ねられるが、この状況に戸惑ってしまい、言葉に詰まっていると、不審に思われたのか、全員の視線が冷たいものになる。


「この先は浴室です。今はお嬢様が使っていますが、まさか」

「ち、違います! ちょっと迷子になっただけで」


 否定してみるが、どうも信用してはいない様子。


「あなた達、なにしてるの?」


 ちょうどその時、風呂上がりの白波が廊下を歩いてこちらにやってくる。


「春太君が浴室に向かおうとしていたようだったので、話を聞いているんです」

「浴室に?」

「だから、誤解ですって!」

「はぁ……確かに私の体は完璧で、男子高校生の妄想の対象になるとは思ってはいたけど、犯罪まで犯すなんて。見損なったわ春太!」

「お前この状況楽しんでるだろ! 顔ニヤついてんぞ!」

「お嬢様向かってその言葉遣いはなんですか」


 月夜さんの鋭い視線が刺さる。

 針のむしろの俺を面白そうに見ている白波は、一向に助けようとしない。


「あなた達、何をしてるのですか」


 そこにやってきた美鈴さんは俺を見た後、メイド達、白波と順番に見ると、何かを察したかのように息を一つつく。


「月夜さん、春太さんを解放してあげてください」

「ですが美鈴さん。この人はお嬢様の入浴中を狙っていたんですよ」

「それは誤解ですってば! 迷っただけで」

「そんなバカなことがありますか」


 そんなバカなことをしてるんですよ。


「月夜さん、春太さんは昨日来たばかりですから、まだ屋敷を把握しきれていないことは容易に想像がつくはずです」


 美鈴さんに諭され、月夜さんは俺から離れる。


「あなた達も、業務に戻ってください」


 散り散りと去っていくメイド達。

 ようやく緊張から解放され、その場にへたり込む。


「あー、面白かった」

「お前な! 俺をおもちゃにしやがって!」

「春太さん、言葉遣いに注意してください。いいですね」


 月夜さんなんて足元にも及ばない冷たい視線を向けられ、俺は素直に首を縦に振る。


「じゃ、私は部屋に戻るから。それと春太、明日と明後日は休みでいいわよ。せいぜい庶民らしい慎ましい生活を送るといいわ」


 白波はそう言って、部屋へと戻っていった。

 いちいち気に触る言い方をしやがって。


「それで、春太さんはなぜここに? おそらくどこかに向かっていたと思うのですが」

「ちょっとキッチンに用事が」

「キッチンに、ですか?」

「喉が渇いちゃったんで、水を一杯」

「では、私が案内します」


 美鈴さんに案内され、無事にキッチンに到着。


「冷蔵庫にあるものでしたら、自由に飲食して構いません。ご自身で淹れることになりますが、コーヒー豆や茶葉も自由にお使いください。私はこれで失礼します」


 美鈴さんはそう言って離れる。

 清潔感のあるキッチンに一人残された俺は、ニヤリと笑う。


「明日と明後日は休みを貰えたのは良い誤算だ。白波の奴、今に見てろよ。散々コケにしたお礼をしてやる」

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