第4話

 長テーブルを隔てて座っている白波はニンマリと笑っている。


「よく来たわね。一応今日は春太がめでたく仕事先を見つけたお祝いとして、我が家の食事をご馳走してあげるわ」

「あ、ありがとうございます。し──お、お嬢様」

「あら、早速そう呼んでくれるのね。流石美鈴。教育が行き届いているわね」

「ありがとうございます」

「まぁ、今日はお祝いだし、今はお嬢様呼びではなくて、いつものように話してもいいわよ」

「それは助かる。でも、食事をご馳走してくれるのは素直にありがたいよ」

「な、何よ。急に素直になるなんて」

「それぐらい普通だろ」

「なら覚悟しなさい! 庶民の春太には味わったことのない料理がこれから出てくるのだから!」


 上から目線だが、味わったことのない美味い料理が出てくることは間違いないはず。

 悔しいが、たまに白波の弁当箱を盗み見てしまうほど、美味そうだからな。


「お待たせしました」


 銀色のワゴンを押しながら食堂に入ってきたコックコートを着た優男。

 年齢は四十代前半ぐらいといったところだろう。


「あら、貴方は?」


 と、優男に質問する白波。

 どうやら、初対面のようだ。


「初めまして。本日からこちらで働かせていただく、長谷部と申します。あの白波家の元で料理を振る舞えるなんて、夢にも思っておりませんでした。以後お見知り置きを」


 深々とお辞儀をした後に、俺を一瞥する。


「こちらの方は?」

「ああ、こっちは新しい使用人よ。就職祝いに庶民じゃ味わえない料理をご馳走しようと思ってね」

「ほう……」


 俺がどういう立場なのか、なんとなく知ったのか、鼻で笑われる。

 絶対こいつ性格悪いな。


「流石白波家のご令嬢。なんと慈悲深いことでしょう」

「そんなにも褒めなくていいわ。ほら、さっさと配膳しなさい」

「失礼いたしました。そこのメイド、配膳を」


 近くに立っていたメイドに指示を出し、メイドは黙って配膳をする。

 たしかあのメイドは……月夜さんだったかな?


「私の顔に何かついてますか?」

「いや、そういうわけでは。あ、配膳ありがとうございます」


 何故か少しじっと見られたが、すぐにお辞儀をしてその場を離れる。

 目の前に置かれた料理はステーキ。

 重厚な肉と香ばしいソースの香りが鼻を楽しませ、彩り豊かな付け合わせが目を楽しませる。


「さぁ、遠慮しないで食べないさい」

「いただきます!」


 俺は目の前の肉に飛びつく。


 フォークで突き刺すだけでもわかるほどの柔らかさ。

 抵抗なくスッと入るナイフに心を躍らせ、ソースのかかった肉を頬張る。

 予想を超える柔らかさに、甘みを残しながらスッととろけてなくなる肉。

 ソースには柑橘系の何かが入っているのか、酸味がきいている。

 安く、硬い肉ばかり食べてきた俺にとって、極上の肉に俺はただ夢中になった。

 そんな俺を鼻で笑うコック。


「おやおや、そんなにもがっつくなんて、相当育ちが悪いようですね。ろくにマナーを知らないで」


 この発言にムッとするが、対面に座る白波に目を奪われる。

 肉を切り、口に運ぶ。

 たったそれだけの動作だというのに、普段の偉そうな態度を全く感じない、優雅な所作。

 俺の食べ方がとても恥ずかしく思えてしまうほど、綺麗だった。


「やはり白波家のご令嬢。一つ一つの所作は芸術品のように美しいですね。よく見なさい! これが白波家のご令嬢。だというのに、貴方みたいなロクに作法も知らない人が、白波家の下で働こうなんて、愚の骨頂ですね」


 散々な言われようだが、白波と比べられれば、言い返せない。


「ご馳走様」

「おや、もうよろしいのですか?」


 白波は半分以上肉を残して、ナイフとフォークを置く。


「ええ……それと、貴方クビね」

「……へ?」


 素っ頓狂な声を上げるコック。


「まさか、私に言ってるんじゃないですよね? この使用人のことをいって──」

「あなたに言ってるのよ」

「何故ですか!!」


 声を荒げるコックに冷たい口調で答える。


「さっき、月夜に命令していたわよね」

「月夜?」

「あなたがさっき命令していたメイドのことよ。今日が初日のあなたが何上から命令しているのよ。しかも感謝の言葉すらしないで。そこの使用人だって、ちゃんと感謝していたわよ」

「ですが、メイドが雑務をするのは当然のことで」

「それはあくまで私に対してのこと。あなたには関係ないことよ。それと、先ほどこの使用人のことを『育ちが悪い』とか『愚の骨頂』とか言っていたわね……つまり、この使用人を雇った私は見る目がない、と言いたいのね」


 採用したのが令嬢である白波であると知った途端に、顔面蒼白になったコックは、冷や汗をかきながら、頭を下げる。


「し、失礼しました! そうとは知らずに」

「もういいわ。謝罪を向けるべき相手に向けられない人を雇う必要はないから。給料は払って上げるから、さっさと出ていって。できれば、手荒な真似はしたくないから」


 解雇は覆らないことを悟ったのか、コックは肩を落としながら弱々しく屋敷を出て行った。


「はぁ……なんであんな奴雇ったのよ」

「お嬢様に少しでも美味しい料理をと、旦那様がお雇いになられました」

「必要ないわ。美鈴達が作る料理の方が美味しいし」

「ありがとうございます」

「あ、春太。その料理はもう手をつけなくていいから。今新しいものを美鈴達に作らせるから」


 そう言って自分の分の料理を下げさせる。

 だが俺は、食べることをやめなかった。


「ちょっと、新しいの作るって言ってるでしょ? あんな不快な奴の料理なんて食べる必要ないわ」


 たしかに、あのコックは偉そうで、お世辞にも性格がいいとは言えなかった。

 でも、この料理は美味い。何より……


「食べ物を粗末にすることはしたくないんだよ」

「何よ! 私の家は食料に困っているように見えるってわけ!?」


 バカにされたと勘違いしているようなので、俺はそれを否定する。


「さっきの奴は、性格は悪かったかもしれないけど、料理人として、俺達に料理を提供したんだ。なら、俺達はそれを無駄にせず、食べなくちゃいけないだろ。じゃないと、せっかくの食材が可哀想だ」

「……何よそれ。わけわかんない」

「お嬢様。どうされますか? お嬢様の分だけでよろしいでしょうか?」


 美鈴さんの問いかけに、少し遅れて白波は答える。


「私の分も必要ないわ。さっきの料理を食べるから」

「……かしこまりました」


 一瞬だけ、美鈴さんが驚いた様だったが、すぐに表情を戻し、さっき回収した料理を並べ直す。


「別に俺に合わせなくてもいいんだぞ?」

「嫌よ。使用人に残飯処理みたいなことをさせてると思われたくないもの」

「身内だけの空間で、誰にどう思われるんだよ」


 本当に白波のことがよくわからない。

 学校での偉そうな態度は、ここでも変わらないが、月夜さんをメイドだからと、雑に扱ったコックには、明確な怒りを見せていた。

 俺は白波のほんの一面しか見えていないのかもしれない。

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