第19話 麻音

 待っても待っても、彼女は私の元へ来なかった。たしかに、屋上に行ってもいいと言ったが、さすがに時間がかかりすぎた。


 それにしても、外が騒がしい。サイレンが鳴り響き、人だかりができている。一応見ようとはしてみるが、人ごみのせいで全く様子が見えない。


「はぁ、もう行こうかしら」


 一時間は確実に待った。これで連絡もないのだから、もう帰ってもよいだろう。そう思い、昇降口についた瞬間にとある言葉が耳に入った。


「飛び降りたの、あの美人な先輩なんだって」


「へー。美人ゆえの悩みでもあったのかな」


「噂によると、一緒に飛び降りた人を振った恨みから心中を図ったらしいよ」


「うわー、こわー」


 かなり重い話のはずなのに、彼女らの明るい言い方が妙にむかついた。なぜなのかは、自分でもよくわからない。友人をけなされている、そんな気がしたからだろうか。

 それよりも、気になったのはその自殺を図ったらしき人物だ。おそらく、教室から見えたあの人だかりも自殺を見物に来た野次馬だろう。


 飛び降り自殺。それができるのは、かなりの高さが必要だろう。それこそ、この学校の屋上の高さ以上は。

 結びつけたくない。考えてはいけない。なぜ彼女は私に連絡すらせず、一時間も待たせているのか。なぜ、屋上に行ったはずの彼女が騒ぎを聞きつけて私のところに来ないのか。


 あぁ、だめだ。まずは優芽の誕生日を祝わなければ。






「誕生日おめでとう」


「ありがとう~!!」


 何も知らない優芽は無邪気に喜ぶ。いや、そもそも彼女と決まったわけではない。きっと、連絡を忘れているだけだろう。そうに違いない。


「どうしたの?暗い顔して。そんなに月島ちゃんが来なかったの悲しいの?」


 その無邪気な優しさが、今だけは恨めしい。今は彼女のことを考えたくない。そう思っていても、悪い印象を与えたくないから、言うに言えない。


「いや、なんでもないよ。それより、プレゼントを買ってきたんだ」


「お、今年は何かな~?いつも、麻音ちゃんは高いもの持ってくるからな~」


 そういえば、この指輪も彼女と選んだんだっけ。

 だめだだめだ。思い出しちゃいけない。優芽の前で悲しい顔を見せるわけには行けないのだ。


「はい、これプレゼント」


 小さな箱を渡す。いつも大きめのプレゼントをあげていたからか、少し優芽が驚くのがわかる。

 感謝を述べ、箱を開けた優芽の顔に驚きの表情はなくなっていた。その顔は歓喜の表情に染まっている。彼女には言っていなかったが、箱の中にラブレターを入れたのだ。内容は、すごく単純。


「好きです、付き合ってください」


 手紙の内容と全く同じ言葉を口にする。私の言葉を聞いた瞬間、彼女の口から「喜んで」と聞こえた。


 おかしい。空気を読めない私でもよくわかる。何かがおかしい。


 なぜ優芽は悩むそぶりがなかった?私の目には、明らかに彼女のことが好きだというように見えていた。しかし、こうして私の告白をすぐに受け入れている。


 何かが、おかしい。


「えへへ、ありがとうね。麻音ちゃん」


 今は、この笑顔も不気味だった。まるであの恋をしていた優芽の感情が、夢だったかのような。

 ぐちゃぐちゃの頭を上書きするように、優芽は私のことを抱きしめてくる。優しく包まれると、今までの不安だけでなく、疑問すらも消え去ってしまう。


 今は、この幸せに溺れよう。彼女の不幸なんて知らない。私は、彼女のことが嫌いなのだから。





 翌日の学校は、彼女の噂でもちきりだった。心中だとか、突き落とされただとか、そんな噂ばっかりだった。

 一番気になったのは、優芽のことだった。優芽は昨日、全くこの噂を聞いていないだろう。そのせいか、疲弊しているのが目に見える。そりゃそうだ。自分の友達が自殺をしたら、誰だってそうなる。


「優芽、大丈夫?」


 形式的、といったら冷たく聞こえるかもしれないが、一応声をかける。優芽も大丈夫と言っているが、見るからに大丈夫ではない。


「麻音ちゃんはさ」


 震える声が聞こえる。


「この事、知ってて告白してきたの?」


 ゾクリと身震いする。その言葉が意味することはわかっている。この選択を間違えたら、私は嫌いな友人どころか、彼女までも失う。


「私は……」






 手をつないで帰路に就く。隣にいるのは、もちろん私の彼女。だが、もう私にしがらみはない。

 彼女には嘘をついてしまい、彼女の想いを踏みにじったが、未練はない。ただ、背中に重苦しいものが乗っている。それだけだ。

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