第18話 時雨
慌てて駆け寄る。目の前で何が起きたか、一瞬理解ができなかったが、体が動けと指令を出してくる。しかし、すでに血は広がっており、今から助かるかわからない。
どうすればいいかわからなくなるが、すぐにサイレンの音がする。救急だ。誰かが通報してくれたのだろう。
「ここです!!ここに怪我人がいます!!」
できるだけ大声を出す。早く気づいてほしかった。早く救ってほしかった。また、いつもみたいに笑いあって過ごしたかった。
担架に乗せられて運ばれていく姿を見ながら、その場に立ち尽くす。何もできなず、何も知らないところで自殺をしようとしていた。一緒に落ちてきた人もいたけど、その人の方が下敷きになっていたせいで、誰かがわからなかった。
友達に声をかけられて我に返る。そういえば帰る途中だった。とりあえず、今起きていることを氷雨さんに連絡しなければ。
慌ててスマホを取り出すが落としてしまう。拾おうと伸ばした手は震えており、青白く、今にも壊れそうなものだった。
「どうすればよかったのかな。悩み、あったのかな」
ぽたぽたと流れる雫を気にも留めず、つぶやく。その様子を見ていた友達は私の背中をさすってくれるが、今の私にはありがとうと言えるだけの余力はなかった。
家に帰ったら少しは明るくなっている。そんな期待は意味をなさなかった。私も氷雨さんも、明らかに口数が減っている。一応、氷雨さんは私のことを元気づけようとしてくれている。こういう時に、大人としての強さが恨めしくなる。もう少し、感情を吐き出しても許されると思うけれど。
やがて晩御飯の時間になる。近頃は二人とも作っておらず、完全に任せっきりだった。いつものようにごはんが出てこない。いつものように私を呼んでくれない。
いつもの日常でないことを痛感させられる。もう、あのころには戻れないんじゃないかという不安が頭をよぎるが、絶対にないと自信を言い聞かせる。そうでもしないと、今にも壊れてしまいそうだったから。
必死に耐えていることを知らないのか、氷雨さんは無神経に私に語り掛けてくる。
「落ちたもう一人の人、杏子だってさ」
「きょう、こ……」
杏子、朝陽杏子。それは少し前の事件の加害者であり、私の大切な人を傷つけようとした大罪人の名前だった。その名前を聞くことはもうないと思っていたのに、なぜ今になって聞くのだろうか。私が絶対に許せない相手。それなのに、なんで。
「なんで、おにぃは杏子と一緒に落ちたの?」
相談、暴露、愚痴。なんでもよかった。なんで、自殺なんて結論を出す前に、私に一言言ってくれなかったのか。
嗚咽が部屋に響く。地面が近くなり、視界がにじむ。もう、感情を抑えることはできなかった。
「なんで、なんでなのおにぃ!!私を選んでくれなかったの!!私に相談もなしで、死んじゃうなんて……そんなのって、そんなのないよ!!おかしいよ……死んじゃ、やだよぉ……」
誰に届けるためでもない、ただの独り言。しかし、その独り言に心を打ちひしがれる者もいた。
月島氷雨。彼女もまた、白雨を愛していた者の一人だった。しかし、そこに恋愛感情はなく、家族愛としての気持ちが強かった。その愛の大きさは、実の娘の時雨を思う気持ちより大きいといっても過言ではなった。
その愛の結晶が失われそうになったらどうなるのか。今までは、大人としてのプライドや責任により、弱い姿を見せることはできなかったが、この瞬間だけは心が折れた。それは、目の前の少女の嘆きに感化されたからかもしれない。
この場にいたのは親子ではなく、愛する人を思う二人の人物だった。
学校につくと、相変わらずの光景だった。少人数で固まり、楽しく話している。その会話の中身は、大概が影口や噂話である。
本当は全く関係のない話。そのはずなのに、なぜかおにぃのことを話しているように感じる。おにぃの悪口を言っている気がする。
「よっ、時雨」
友達が話しかけてくる。今はもう、顔も見えない。名前もぼんやりとしている。こんな精神状態でまともに話せるわけもなく、会話に間が生まれてしまう。
何を察したのか、友達は一方的に少し話したのち、去って行ってしまった。腫物のであることは、言われずとも理解ができた。雰囲気やこちらを見る目が、私に語り掛けてくる。
来るな、近寄るな。
朝のSHRで先生からおにぃの話があった。何か知っていることがあれば話すように。関係ない人には他言しないように。そんな内容だった気がする。あと、なんか言っていた気もするけど、もう覚えてない。
その後の授業も、私の頭には入らない。明らかにノートを取らず呆けているが、先生は私のこと注意しない。たぶん、先生の中でも腫物のような存在になっている気がする。もう、だれからも見向きもされないのかな。
ならいっそ、私も。
気づくと、帰りのSHRだった。屋上に行こうと思い立ち、階段の方へ向かうが、そこにはカラーコーンとコーンバーによって通行止めがされていた。
生徒は周りにいない。今なら侵入してことを済ませるのも容易だろう。
しかし、私は帰路に就くことを選んだ。
単純に、怖かった。死んだらどうしよう。その恐怖心が、私の心を支配した。
ねえ、おにぃ。おにぃはどうやって自殺したのかな。どうやって勇気を出せたのかな。おにぃが死んだら、私も頑張れるかな。頑張って、そっちに行けるかな。
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