第12話 一番の信頼と感謝
どうやら、夜中に襲われたところを時雨に助けてもらったらしい。全く身に覚えはないけど。とにかく、助けてもらったんだから、時雨にはあとでお礼を言っておこう。
それから何度も杏子が土下座をし、どうにか氷雨さんの怒りが収まったことで、私の日常は平穏へ戻っていった。杏子は金輪際襲わない約束を氷雨さんとしたらしいし、大丈夫だと思う。
氷雨さんと杏子のやりとりが終わったところで、部屋に戻る。そこには未だに寝ている天使もとい、時雨がいた。うーんかわいい。
「昨日はありがとうね」
寝ているから意味がないとわかっているが、この感謝を今すぐにでも伝えたかった。普段からいろいろ助けられてはいるけど、まさか貞操の危機まで助けられるとは……
チョロいと言われるかもしれないが、惚れそう。まぁ、ナンパから助けられただけで惚れる子もいるし、多少は……ね?
寝ている時雨の頬を撫でながら見つめていると、段々と瞼が上がり、私を見つめ返し、恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「お、おにぃ?お、おはよ……?」
「うん、おはよう」
さすがに照れさせたままなのは申し訳ないので、頬から手を引く。そして改めて向き直り、真剣な顔つきをする。
「昨日、杏子から助けてくれたらしいね」
「う、うん」
「ありがとう」
微笑みかけると、時雨の赤みが増す。まるで茹蛸のようで、少し加虐心をくすぐる。
ちょっといじめてみよう。そう思い、再び頬に手をやる。すると小さな声を漏らしつつ、期待したような眼を向けられる。期待に応えるように顔を近づけ
デコピンをした。
「いたぁ!!」
ちょっと涙目でこちらを見つめる時雨。結構痛かったのか、おでこを手でさすっている。
「ちょっとおにぃ!!なんで!?キスする流れだったじゃん!!」
「いや、あまりにもかわいいもんだから、つい」
そう言っても全く納得しない様子で睨まれる。もう少し意地悪しよう。
私が近づくと、まるで敵を威嚇するように吠えるが、むしろそれがかわいらしくほほえましい。近づけば近づくほど後ろへ下がる様子に、救ってくれたヒーローのような強さはなく、か弱い乙女のようだ。
ついに時雨の後ろがなくなり、逃げ場消え去る。何をされるのかとふるふる震える時雨の腕をつかむ。少しすると震えが収まり、安堵の表情を見せる。その隙に、顔近づけ、唇を重ねる。離したときに見えた恍惚とした表情が病みつきになる。
「改めて、ありがとう」
そう言い残して部屋を去る。
ふぅ、楽しかった。名誉のために補足しておくが、別に純情を弄んでいるわけではない。私は私なりの好きという感情を持って、あのような行為に及んでいる。
「あ、せんぱい」
廊下に突っ立っていると、杏子がこちらに話しかけてくる。泊まっているのが隣の部屋だから、このようにばったり出会うことも多い。
「あの、その……」
いつになく歯切れの悪い様子。まだ気にしているのだろうか。
落ち着かせるように頭に手を乗せようとするが、杏子の身長が高くて届かない。私が頑張って背伸びをしていると、杏子から笑みがこぼれる。
「せんぱい、もしかして慰めようとしてくれたんですか?」
「そ、そうだけど?」
私が少し挑発的な声で返答すると、逆にこちらが撫でられてしまう。
やばい、めっちゃ恥ずかしい。こういうのって、仕返しされるのが一番恥ずかしいと思う。というか、そんなに微笑まないでほしい。さっきまでの余裕のない感じはどこへ行ったのか。
「あんまり優しくされると、また襲っちゃいますよ?」
「それ、全く覚えてない私にとってはあんまり効果ないよ?」
そうですね、と言いながら私の部屋に入っていく杏子。次いで私も部屋に入ると、少し驚かれつつも黙認してくれる。しかし、どこかもじもじしている杏子。
「せんぱい、それは襲ってくれってことですか?」
「違うよ!?ここ私の部屋だから入っただけだよ!?」
「いやだって、昨日襲った相手と二人きりなるって、どうぞ襲ってくださいって言ってるようなものですよ」
「いや、えぇ……」
別に一緒にいるくらい大丈夫だと思う私は、危機感がないのだろうか。まぁ、昨日の今日で襲われることはないと思いたい。
しかし、そんな思いを無視するかのように、じりじりと杏子は近づいてくる。その姿に、圧倒され後ずさってしまう。まるで、さっきの私と時雨のように。
「せんぱい、いいですか?あんまり誘惑されると、私も抑えられないですよ?」
またもや、世界が灰色に染まって……
「はい、終わり。せ~んぱいっ」
「あ、え?杏子?」
灰色に染まった後、何があったか覚えていない。けれど、杏子の位置が変わらないし、何にもされてないのかな。時間も……うん、経ってない。
「せんぱいは私を過信しすぎです。もし私が獣だったら、今襲えてましたよ」
こちらに微笑んでくる杏子。でも、襲わなかったということは、それは獣じゃないということでは。いや、それこそ、過信か。
「ごめん、でもありがとう」
感謝を述べる。けれど、この部屋から出ることはしない。それが一番の信頼と感謝の形だと、私は信じている。
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