持つべきものは……(1)

 浮かない気分のまま、上履きを脱いでスニーカーに履き替える。


 一歩外に踏み出せば、ほんのりと温かい空気が頬を掠めていく。

 出入口付近をうろついていた鳩が一斉に飛び立ち、白く小さな羽根がひらひらと俺の足元に落ちる。


 かと思えば、羽根は地面を這う風にさらわれ、あっという間に遥か遠くへと飛び去っていった。


 深く溜息をつきながら、俺はぼんやりと空を見上げる。

 吹き飛ばされた羽根を目で追いながら、ふらふらと頼りない歩みを進めていく。


 あいつは……美代はもう、昔のように笑ってはくれないんだろうか。


 空気が少し冷たくなったのを感じて、俺はふと顔を上げた。いつの間にか、コンクリートの屋根が暖かい日差しを遮っている。ふらふらと歩いているうちに、プール脇の水飲み場まで来てしまったようだ。


 前を向けば、灰色の平坦な道が真っ直ぐにグラウンドへと伸びている。少し離れた場所で、体操着姿の男子が蛇口に顔を近付けているのが見える。


 水を飲み終えた男子が、顔を上げて口元を拭った。大きく息を吐いて、俺の方へと視線を流して下を向く。


 直後、男子はすぐに素早く顔を上げて固まった。


 数秒の間を置いて、水飲み場に両手をついてバネのように体を起こす。その勢いを保ったまま、足を踏み鳴らしながら大股で俺に近づいてくる。


 距離が縮むにつれ、表情まではっきりと見えてくる。どういうわけか、眉間に深い皺を刻んで、真っ直ぐにこちらを睨んでいるようだ。


 というかあの顔、もしかして――


「た〜け〜る〜っ!!」


 徐々に声のボリュームを上げながら、男子……もとい淳は、残りの距離を一気に走って詰めてきた。


 怯んで歩みを止めてしまった俺のこめかみを、二つの固い拳ががっちりと挟み込む。


 「痛ぁっ!?」


 情けない叫びを上げて、俺は淳の手首を掴んだ。思いの外力が強く、首も動かそうとしてもほとんど曲げられない。


 「てめぇ、無事だったなら連絡ぐらい寄越しやがれっての! 俺がどんだけ心配したか分かってんのか、あぁ!?」


 淳は大声でまくし立てながら、俺の頭に押し付けた拳を何度も捻った。頭部を圧迫されるたび強い痛みに襲われ、俺はしかめっ面で激しく両腕をばたつかせる。


 「ちょ、悪かった! 俺が悪かったから離せって……いだぁ!?」


 「うるせぇ! どーせ俺のことなんか忘れて、呑気に爆睡してやがったんだろ!? そんな薄情な奴とは思わなかったぞこの野郎!」


 眉間に濃い皺を刻んだ淳の顔が近づき、より一層強い力で頭部が圧迫された。俺は淳の手首を掴んで振り払おうとしたものの、頭に食い込んだ拳は微動だにしない。中肉中背という表現がぴったりな体格のくせして、やたらと腕力があるのは何故なんだろう。


 痛みから逃れようと必死にもがきながら、俺は昨日の夜に留守電が入っていたことを思い出した。

 薄々そんな気はしていたけど、やっぱりあれは淳からのものだったらしい。

 こんなことになるなら、連絡してから休むべきだった。なんて後悔しても、後の祭りだ。


 「だいたい、昨日から何回電話したと思ってんだよ!? 今朝なんか親父さんが出ちまったから、誤魔化すのすっげえ大変だったんだぞ!」


 「ご、誤魔化すって……うわっ!」


 淳が俺の頭を押し出し、急に手を離した。バランスを崩してよろめく俺を、淳は腕組みをしながら静かに見下ろす。

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