持つべきものは……(2)

 「……林藤さんに口止めされたんだよ、昨日のこと」


 さっきまでの大騒ぎが嘘のように、落ち着いた声で淳が言った。グラウンドから聞こえてくる、はつらつとした声が少しずつ存在感を増していく。


 「お前が走って行ったあと、俺もすぐに追っかけたんだけどさ。丘に登ろうとしたら、お前が穴に落ちてくのが見えて……びっくりしてる間に、穴が消えちまって。それで、どうしたらいいか分かんなくて突っ立ってたら、林藤さんが走って来たんだ」


 淳の顔に影が差し、周囲の景色が僅かに灰色を帯びる。


 「ここは自分が何とかするから、今見たことは絶対誰にも言うなって……大丈夫だから、帰ってくれって頼まれた。俺、どうしたらいいか分かんなくなって、言われるがまま帰っちまったけどさ。時間が経てば経つほど、どんどん不安になって……迷惑かもって思ったけど、電話せずにはいられなかったんだ」


 「……ごめん」


 どうやら思っていた以上に、余計な手間をかけさせてしまったらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいになって、俺は小さく頭を下げる。

 俺がスマホを持っていれば、安否を尋ねるメッセージを送る程度で済んだのだろうけど……。


 「なあ、教えてくれよ。昨日一体、何があったんだ?」


 普段とは違う真剣な表情で、淳が一歩俺へと近づいてくる。その迫力に怖じ気づいたのか、俺は逃げるように一歩後ずさる。


 「それは……」


 俺の視線が、逃げるように自然と足元へと逸れていく。


 全て打ち明けるとなれば、異空災害のことも話さないわけにはいかない。


 だけど、軽々しく人に話してもいいのだろうか。

 話したところで、信じてもらえるとは思えない。それに津上先生も、「子どもが救助活動をしていると知られたら厄介だ」と言っていたじゃないか。


 淳を信用していないわけじゃないけど、万が一ということもある。どこかで異空災害の存在がバレてしまえば、美代たちの活動が知られることにも繋がりかねない。

 そのせいで騒ぎになったり、救助活動を行えなくなったらと思うと……。


 「ごめん、言えない」


 「何でだよ」


 語気を強めて迫る淳に、俺は思わずびくりと体を震わせた。普段滅多に怒らない人ほど、機嫌を損ねると恐ろしいことはよく知っている。たぶんそれは、淳も例外ではない。


 「いや、その。何か、色々あって混乱しててさ。落ち着いたら、ちゃんと話すつもりだから……」


 淳の顔がさらに険しくなり、俺は慌てて口を噤む。


 隠し事に対する後ろめたさからか、無意識のうちに曖昧な言い方をしてしまっていたようだ。咄嗟に出た言い訳も、我ながら苦しいと思わずにはいられない。


 「……さっき、林藤さんを見かけたんだ」


 どう取り繕えばいいのかと頭を悩ませていると、淳は静かに口を開いた。下駄箱の方角を目で示し、再び険しい目で俺を見る。


 「何か、あったんだろ? 昨日のことが駄目でも、そっちは教えてくれてもいいんじゃねーか?」

 

 ひやりとした風が、首筋を撫でる。


 どこからか聞こえてくる楽しそうな声とは対照的に、ひどく重い静けさが辺りに満ちる。

 全身に何とも言えない圧迫感がまとわりついて、時の流れが遅くなったような錯覚を覚えた。


 「……それも、ちょっと」


 言えない、と言いかけて言葉に詰まる。


 言えないんじゃない。言いたくないだけだ。

 美代を悲しませたという事実を、今は誰にも知られたくない。


 深い溜息をつく淳に、濃い影が覆い被さっていく。

 苦々しげな表情を見るのが辛くなって、俺は逃げるように下を向く。


 ――淳なら、少しは受け止めてくれるだろうか。


 甘い考えが、脳裏を過ぎる。


 中学生になってすぐに、俺と仲良くなってくれた大切な存在。

 俺にとって、はっきり友達だと呼べるのは……今も昔も、淳一人だ。


 八年前に「嘘つき」呼ばわりされて以来、俺は人と積極的に親しくなることを避けていた。


 おそらくあの時のことは、ほとんどの同級生が忘れてしまっているだろう。

 だけど、一度負った心の傷はそう簡単に治らない。表面上は愛想よくしつつも、一緒に遊んだりすることは全くなかった。


 そんな俺に歩み寄ってくれて、今もこうして気遣ってくれている淳を……俺はこれ以上、突き放したくない。


 「……例えば、の話なんだけどさ。身近な人が、ちょっと大変な思いをしてて。自分は力になりたいのに、関わるなって言われたら――」


 そこまで言って、俺は再び口を閉ざした。


 駄目だ、上手く言えない。真実を隠したまま、今の気持ちを伝える方法が分からない。


 グラウンドから、甲高いホイッスルの音が聞こえてきた。女子たちの活き活きとした掛け声が、耳から耳へと抜けていく。


 その中に淳の唸り声が混じったのに気付いて、俺は少しだけ顔を上げた。片足でパタパタと地面を叩く淳の表情は、相変わらず渋いままだ。


 「……悪い。俺、もう帰るわ」


 そう言って、俺は早足で淳の脇を通り抜けた。背後からの声に耳を傾けることなく、冷たい通路を駆け抜ける。


 屋根の下から抜け出すと、やがて眩しい春の日差しが頭上から降り注いだ。ほんの少しだけ、解放感を感じた自分に罪悪感を抱く。


 背後から、よく通る男子の声が重なって聞こえてきた。どうやら、淳を呼びに来た部活の先輩のようだ。何の話をしているのかは分からないけど、楽しそうに笑っている。人懐っこい性格の淳は、同級生以外にも慕われているようだ。


 俺は振り返ることなく舗装路を駆け抜け、校門を潜って街中へと飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る