秘密の救助者たち(2)
少しふらつきながらもどうにか立ち上がり、箱に手を掛けて体重を乗せ――
「うわっ!?」
予想に反し、軽い感触が指に触れた直後。
箱は俺の手をすり抜けて垂直に落下していった。それがきっかけになったらしく、積み上げられていた箱たちが次々と傾いては足元へと吸い寄せられていく。
バランスを崩した俺は咄嗟にしゃがみ込み、椅子の縁をしっかりと掴んだ。目を固く閉じ、足の指に力を込めてなんとか落ちないように踏みとどまる。床と箱がぶつかり合う音が何重にも重なり、静かだった空間が一気に騒がしくなった。
「大丈夫?」
やがて音が鎮まり、背後から葵に声を掛けられる。
「何とか……」
俺は振り返ることなく返事をすると、椅子からそっと右足を下ろした。同時に伏せていた頭を持ち上げ、目の前の状況を確認する。高く積み上がっていた箱は完全に崩れ落ち、最早瓦礫の山同然の有様となっていた。
右足の指が、冷たい床に触れる。
その瞬間、奥にあった箱が突然跳ね上がり、中から毛の塊のようなものが姿を現した。ゆっくりとこちらを向いたそれは、どう見ても人の頭で……。
「うわぁ、出た!!」
情けない悲鳴を上げた俺は、バランスを崩してテーブルの角に背中を軽く打ちつけてしまった。
大した衝撃ではないものの、不意にくる痛みというものは結構辛い。口を引き結んで背中をさすっていると、こちらを向いた頭は言葉と呼ぶには不明瞭な声をひどく怠そうに発した。もぞもぞと動いた箱から腕が伸びて、額まで上がっていた眼鏡が下ろされる。
「おはよ、先生」
俺とは対照的に、ひどく冷静な口調で葵は言った。
「先生」という言葉に反応して、頭――もとい津上先生が、葵へひどく眠そうな視線を送る。
返事にも、唸り声にも聞こえる低音を発したあとに、津上先生の目はゆっくりと俺へ向けられた。
「……誰だお前?」
津上先生の口から放たれた言葉が、時間をかけて俺へと届く。
怠さと眠気をたっぷりと含んだ声は、俺の気力を一気に削ぎ落とした。
「二年三組の一条です。……てか、昨日会ったばっかじゃないですか」
肩へ重いものがのしかかる感覚に襲われつつも、俺は溜息混じりに答える。
昨日どころか、一昨日はちゃんと授業に出ていたし、これでも一年生の頃からずっと津上先生の授業を受けてきた身だ。指名されたり、簡単な会話を交わしたことだってあるというのに、「誰だ」とはちょっとあんまりじゃないだろうか。
呆れる俺の前で、津上先生は何もない宙へと視線を逃した。人差し指でこめかみを掻き、黒縁眼鏡の奥に指を入れて目を擦りながら小さく欠伸をする。何だか、見ているこっちまで眠くなりそうだ。
箱の下に埋もれた津上先生の体がぞもぞと動く。そのまま出てくることを期待していると、やがて頭部が滑り落ちるように箱の下へと吸い込まれていった。津上先生のやる気に、一瞬でも期待した俺が馬鹿だったらしい。
「ちょ、何これ!?」
津上先生を呼び止めようと口を開きかけた俺は、背後から響いた女子の声に振り返る。
出入り口の方向を向いた葵の奥で、俺達と同じジャージ姿の美代が、手提げ袋を肩に掛けた状態で立っていた。
「ちょっと先生、またですか!? 整理整頓はきちんとしなさいって、この前言ったばっかりなのに!」
美代は大股で葵の前を通り、俺の隣で足を止めた。至近距離にいながら俺を見る素振りすら見せず、腰に手を当てて体を前に傾ける。それに反応したのか、津上先生の頭が僅かに出てきて眠そうな目で美代の顔を見つめた。
「最近、色々忙しくてな。ま、そのうちやるから、今はちょっと静かにしてくれ」
「そんなこと言って、先月から何もしてないじゃないですか! 少しは、代わりに片付けてる私たちのことも考えて――」
盛大な欠伸が津上先生から放たれ、美代が発しかけていた言葉は虚しくかき消されてしまった。
美代が怯んだことにより、狭い室内がつかの間の静寂に包まれる。窓の向こうから小鳥のさえずりが聞こえる中、津上先生は大きないびきをかきはじめ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます