秘められた力(2)

 その時、閉じたはずの両目に、何かが映った。


 音が消え、白と黒の靄が視界を漂う。ひどくぼやけたモノクロ映像のようで、見えるものの輪郭すらも判然としない。


 どこからか、黒いもやの塊が現れる。ゆらゆらと揺れ動いて、丸に、縦長にと、何度もその形を変える。


 あれは……手?


 どう見ても手の形には見えないのに、俺は何故かもやの正体が手だと確信していた。


 人指し指と中指をぴったりと合わせ、薬指と小指を畳んで腕を伸ばす。指で示した先に向かって、何かを強く念じ――


 そこで、映像はぷつりと途切れた。


 世界が、淀んだ色味を取り戻す。押し寄せる轟音が、空気を激しく震わせる。


 俺は深く息を吸って、真っ直ぐに前を見つめた。


 戸惑いも、迷いもなかった。始めから“それ”を知っていたかのように、霧に埋め尽くされた空間を真っ直ぐに見据える。


 ――“コアバースト”、発動。


 知らないはずの言葉を、心の中で厳かに唱える。血液が微かに熱を帯びて、瞬く間に全身を駆け巡る。


 翼が大きく拡がり、強い光を放ち始めた。それは俺の意思によるものなのか、違う何かによるものなのかは分からない。


 どこからか、美代の叫ぶ声が聞こえてくる。

翼がひときわ強く輝き始め、美代の声をかき消していく。


 直後――強烈な突風が、凄まじい勢いで前方へと放たれた。


 反動で、僅かに俺の体が後ろに傾く。

 突風は目の前の霧を吹き飛ばし、瞬く間に周囲の景色を露わにしていった。目と鼻の先の景色すら全く見えなかったほどの霧が、はじめから存在しなかったかのように消え失せる。


 強力な風を巻き起こし、霧やガスを払う切り札――“エクシードブラスト”だ。


 「……っ!?」


 突然、全身が鉛のように重くなった。視界がぐらりと傾き、目に映るもの全てが、ぼやけて不鮮明になっていく。必死に飛ぶよう意識を集中させても、俺の体はみるみるうちに荒れ狂う水面へと近付いていく。


 ああ、そうだった。


 コアバーストとは、力の前借りだ。一度使えば体力を全て持っていかれ、最悪の場合意識を失ってしまう。あらゆる障害を取り払う力とはいえ、一人でいるときに使えば逆に命取りになりかねない。


 ……そのことを、俺はどうして知っているんだ?

 コアバーストの存在だけじゃない。力の詳細や名前まで、一体どうして――


 俺たちの何倍もの高さを誇っていた岩は、先端を残してほとんどが水没していた。その一つに大きな波が覆い被さると、岩は水中に消えてあっという間に見えなくなっていく。


 水位は少しずつ、だけど確実に上昇している。このまま上昇を続ければ、俺たちが逃げ場を失うのも時間の問題だ。


 ふらつく視界の中で、美代のバイクが走ってくるのが見えた。その姿はあっという間に目の前へと迫り、細くしなやかな銀色の腕が俺の前に伸ばされる。


 薄れゆく意識の中で美代の手を掴んだ瞬間、足元からせり上がってきた強烈な力に身体がひっくり返された。轟音が一瞬で消え失せ、無数の水泡が俺たちの周囲を乱れ飛ぶ。


 洗濯機の中に放り込まれたように振り回され……やがて、意識が暗転した。

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