絶対絶命、そして……(5)

 「ごめん、心配かけたかな。怪我はないか?」


 少しためらってから、俺は少しだけ雛香ちゃんの頭を撫でた。服をぎゅっと掴んだ雛香ちゃんが、突然大きな声で泣き叫ぶ。驚いて一歩引いた俺に追いすがり、雛香ちゃんは震える声を絞り出す。


 「み、光井君が……!」


 「光井君?」


 「何があったの!?」


 誰のことかを聞く間もなく、険しい顔の美代が割り込んできた。その迫力に怯みながらも、雛香ちゃんはこくんと小さく頷いた。


 「お、お兄ちゃんが流されて、その後光井君がここに来て……。一緒にいたら、岩がたくさん降ってきて……」


 俺は顔を上げて周囲を見回す。雛香ちゃんばかりに気をとられて気づかなかったけど、この辺りも俺の背丈くらいはありそうな岩が、いたるところに突き刺さっている。


 ほんの数分前に俺たちを襲った爆発は、この辺りでも起こっていたらしい。遮るものが何もない中、雛香ちゃんが無事だったのは幸運と言う他ないだろう。


 だけど、一緒にいたという、光井君は一体どこへ――


 「光井君、私に逃げろって……。目が覚めたら、どこにもいなくって……!」


 声を詰まらせながら、雛香ちゃんが背後を指差す。岩に覆われた地面だと思い込んでいたその場所は、良く見ると僅かに沈み込んでいるのが分かった。大きな穴の中に岩が積み重なって、山になっているように見える。


 美代が弾かれたように山へと駆け寄る。俺は泣きじゃくる雛香ちゃんと手を繋いで、慎重に美代の後を追う。


 穴の深さはそれほどでもないけど、底を埋め尽くす岩は一つ一つがかなり大きかった。一番小さそうなものですら、おそらく俺の背丈は優に超えている。


 いなくなった光井君と、岩山を指差す雛香ちゃん。


 最悪の可能性が、頭を過る。


 「っ!」


 考え過ぎであって欲しい、どうか何も見つからないでと願いながら、俺は岩山の隙間を覗き込んだ。どくどくと脈打つ心臓の音を煩わしく思いながらも、暗闇の奥にじっと目を凝らす。


 ……そして、とうとう見つけてしまった。


 岩と岩の隙間から、小さな腕が伸びているのを。


 「美代、あれ……!」


 俺は震える手を何とか動かし、岩の隙間を指し示す。その先にあるものを視界に捉えた二人が、同時に小さく悲鳴を上げる。


 おそらく光井君……美代が探していた、救助対象の男の子は、俺が流された直後に雛香ちゃんを見つけたのだろう。

 そして、安全な場所に向かう間もなく、あの爆発が起きた。地面が崩れる中、光井君は雛香ちゃんを庇って、岩の塊に呑まれてしまった……。


 心臓を鷲掴みにされ、爪を突き立てられたように胸が苦しくなる。呼吸が乱れ、背筋に冷たい感覚が這っていく。まるで、血管に冷気を流し込まれたかのようだ。


 「っ……!」


 美代はこめかみ辺りに手をかざし、後ろへ向けて素早く払った。一瞬で、美代の頭部がヘルメットに覆われ、後頭部からピンク色の光が紐状に伸びる。


 美代は何も言わずに地面を蹴り、体を空中へと踊らせた。足音もほとんど立てずに、岩山の頂上へと着地する。重量を全く感じさせない、ふわりと舞うような動きだ。


 美代は足場の悪さをものともせず、岩の隙間に身を滑り込ませて降りていく。するり、するりと、風に舞う花弁を思わせる動きに、俺は自分が置かれた状況も忘れて見入ってしまう。


 そうして、難なく光井君と思しき腕の側へと辿り着いた美代は、身を屈めて手首にそっと指を添えた。しばらくして立ち上がり、俺たちを見上げながら小さく頷いてみせる。


 ――まだ、生きてる。


 胸を締め付ける感覚が、少しだけ和らいでいくのを感じた。安心するのはまだ早い。だけど、まだ可能性は残されている。


 隣で見守る雛香ちゃんの手を、俺はそっと握りしめた。俺たちにできるのは、美代を信じて見守ることだけ。からからに乾いた口の中で、溜まった唾をごくりと飲み下す。


 美代が右腕を真横に伸ばした。指先から小さなピンク色の光球が出現し、掌の近くをふわふわと漂い始める。光は一瞬で棒状に引き伸ばされ、銀色の棒らしきものに姿を変える。


 長さは、美代の背丈より少し短い。下を向いた先はホースの筒先のように広がっていて、上は片側から嘴状の突起が飛び出したような形状をしていた。


 あの形には、見覚えがある。前に親父が読んでいた雑誌に、近い形の道具が載っていたはずだ。ちらりと覗き見ただけだったから、何に使うのかまでは分からないのだけど……。


 美代は棒を掴んで上下をひっくり返し、嘴状の先端を岩の隙間へと斜めに差し込んだ。反対側に両手を添えて、てこの原理で一気に力を込める。僅かに岩が持ち上がり、生き埋めになっていた腕の先が露になっていく。


 「光井君っ……!」


 雛香ちゃんが悲鳴にも等しい声を上げた。俺は前に出ようとする雛香ちゃんを手で制し、息を詰めて動向を見守る。


 意識を失っているのか、光井君は目を閉じたまま動かない。明るい黄緑色のシャツは泥で汚れ、額からは鮮血が右目の辺りへと一本の筋を描いていた。


 「あとちょっとだから! 頑張って!」


 美代はよく通る声で光井君を励まし、棒を持つ手に強く力を込めた。大人の背丈よりも遥かに大きな岩が、鈍い音と共に少しずつ持ち上がっていく。


 「う……ぉああっ……!!」


 華奢な見た目と、俺の知る美代からは想像も出来ない、力強い声だ。棒の先端は徐々に上へと傾き、下を向いていた嘴状の突起が上へと高く掲げられる。人一人が身を屈めて潜り込めそうな隙間が出来ると、美代は棒を深々と足元の岩へと突き刺した。


 「……すごい」


 ぽつりと雛香ちゃんが呟く。ほんの少しだけ声に活力がにじんでいたのは、たぶん気のせいではないだろう。


 俺の背後で、美代のバイクがひとりでに駆動を始めた。俺は詰めていた息を吐き出して、少しだけ肩の力を抜く。


 (……ん?)


 肌と耳に、微かな振動を感じる。


 少しの音でもかき消されてしまいそうな、本当に微かな振動。だけどそれは徐々に大きくなって、辺りの空気を揺さぶり始める。


 低い唸り声にも、不気味な笑い声にも似た重低音が、地の底から這い上がってくる。


 美代も違和感に気付いたらしく、きょろきょろと辺りを見回し始めた。

 その足元で、光井君の体が僅かに動く。


 意識が、戻ったのだろうか?


 いや、違う。あれは、本人の意思じゃない。


 光井君のいる岩が、ゆっくりと闇の中へ沈んでいるんだ。


 「美代!!」


 逃げろ、と言いかけて、俺は咄嗟に言葉を呑み込んだ。


 光井君を回収して逃げる余裕はない。既に二人の頭上で岩が傾き、唯一の脱出口を塞ぎつつある。

 無理に連れ出そうと奥に入り込めば、美代も崩落に巻き込まれてしまうだろう。


 では、どうすればいい? 光井君を見捨てて、美代だけが上がればいいのか?


 それはつまり……光井君を、死なせるということだ。


 そんなこと、できるはずがない。

 だけど、このままでは二人とも助からない。


 美代も、そのことを察してしまったらしい。光井君を見つめたまま、呆けたように立ち尽くしている。


 どうすればいい? 二人とも助かる方法はないのか?


 雛香ちゃんが、俺の服を固く握った。もはや言葉とも言えないか細い声が、俺の胸を強く締め付ける。

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