絶対絶命、そして……(4)
俺は訳が分からないまま美代を追いかけ、バイクに飛び乗って美代の後ろに座った。
「おい、だから説明しろって!」
目が追いつかない程の速さで手を動かす美代へ、俺は怒鳴るように問いかける。それも見事に無視され、美代が手を止めると同時にバイクが急加速を始めた。
岩を抉る音と、甲高い駆動音が混ざり合う。バランスを崩して吹っ飛ばされそうになった俺は、咄嗟に美代の両肩を掴んだ。色だけを残して過ぎ去る風景の中で、美代は真っ直ぐに前を見つめている。
「……私たちはね、異空災害が発生しても、闇雲に突っ込んだりはしない。巻き込まれた人が何人いるのか、どの辺りにいる可能性が高いのか……ある程度情報を集めてからでないと、突入してはいけないってことになってるの」
そこはプロと同じなのか、と俺は思った。
どうやって異空間の情報を得ているのかは知らないけど、情報収集は救助活動においてとても重要なことだと聞いている。現場に出るのが中学生でも……いや、だからこそ、訓練を積んだ大人と同じ決まりごとがあるということだろうか。
……ところで、その決まりごとを考えたのは、一体どんな人なんだろう。
「それで、事前に小学生と中学生が一人ずつって聞かされて。突入してすぐに丈瑠を見つけたから、あとは小学生のほうだって……」
「だから、その小学生ってのが、雛香ちゃんなんだろ?」
「違う!」
美代は声を荒げた。手元が狂ったのか、バイクが少しだけ左右に揺れる。
「私が聞いてたのは、男の子だった。まさか、要救助者見逃すなんて……あの人の力も万能じゃないって、ちゃんと分かってたはずなのに……!」
水とバイクの音に混じって、美代の呟きが延々と聞こえてくる。顔は見えなくとも、動揺していることは嫌というほど伝わってきた。声も、俺が支えにしている細い肩も、微かにだけど震えている。
もう一人。
美代の発した言葉が、わずかな時間の経過と共に重みを増していく。
こんなに危険な場所で、助けを待っている人がもう一人いる。しかも美代に言わせれば、まだ幼い男の子だという。
一体、どこで巻き込まれたのか。
大穴に落ちる前からいたとは考えにくい。雛香ちゃん以外に人影は見当たらなかったし、叫び声なども聞こえなかった。
なら、駆けつけたときには既に落ちてしまっていたのか? あるいは穴のどこかに引っかかって、意識を失っていたとか……。
(……いや、そんなことはどうでもいい)
際限なく湧き上がる疑問を、俺は首を振って強引に追い出す。
経緯なんて、今は重要じゃない。大事なのは四人そろって、どうやってこの異空間から脱出するかだ。
「まずは、雛香ちゃんと合流しよう。状況が変わってなければ、俺が流された場所にいるはずだ」
「でも……!」
「いいから落ち着け!」
思わず強い口調で叫んでしまい、俺は慌てて口をつぐんだ。びくりと身を震わせ固くなる美代に後ろめたさを感じつつ、俺は小さく息を吐く。
「……今は、お前だけが頼りなんだ。俺も、頑張ってついて行くから……だから、しっかりしてくれ」
頼む、と俺は頭を下げる。ほんの少しの間をおいて、美代の微かな吐息が聞こえた。
「……ごめん」
もう一度、今度は深呼吸をして、美代はバイクのスピードを上げた。俺は美代の肩をしっかりと掴んで、ほんの少しだけ寄り添うように身を預ける。
美代の気持ちも、分からなくはない。
生命が脅かされるような状況下で、冷静になれる人はそう多くない。「落ち着け」なんて偉そうに言ってしまったけど、そんなことを言える立場でないことは俺自身がよく分かっているつもりだ。
だけど、生き延びるためには美代の力を借りるしかない。それがどうしようもなくもどかしくて、悔しかった。
(……雛香ちゃん、大丈夫かな)
何とか心を落ち着けようと、俺は流れる景色に目を向ける。噴き上がる水しぶきは見えない障壁に阻まれ、俺に降りかかることはない。
水がかからないのは有難いけど、そのせいで閉塞感……と言っていいのかは分からないけど、見えない壁による圧迫感のようなものを感じてしまう。八年前の一件以来、俺はこういう空間がどうも苦手だ。ずぶ濡れになって寒さに震えるより、よっぽどましなのは理解しているつもりなのだけど――
(……ん?)
流れる風景の中に、一瞬だけ白っぽい何かが見えた気がした。くすんだ景色の中では、ただの白でも一際目立つ。
「美代、あれ!」
叫んで、俺が一点を指差した直後、バイクが大きく傾いて向きを変えた。体が反対方向へと強く引っ張られ、俺は目を閉じて頭を伏せる。
バイクが縦に揺れ、足元から岩場を削る音が鳴り響く。バイクは急激に速度を緩めていき、やがて軽めの衝撃とともにぴたりと停止した。
俺は目をゆっくりと開きながら顔を上げる。軽やかにバイクから飛び降りる美代の向こう側、岩場に座り込む雛香ちゃんの後ろ姿を確かに捉えた。
俺はバイクから飛び降り、先を行く美代の背中を追いかける。
雛香ちゃんは、泣いていた。小さな肩と背中が、力なく震えているのが遠目でも分かる。
「大丈夫!?」
美代は雛香ちゃんのもとへ駆け寄ると、傍らにしゃがんで、華奢な肩に優しく手を添える。顔を上げた雛香ちゃんが、泣き腫らした目を丸くしながら体を強張らせる。
「あ、えっと……」
美代は右手の人差し指と中指を合わせ、こめかみのあたりをさっと払った。ヘルメットの色が抜け落ちて、一瞬で消失する。顔を隠したままでは、怖がられてしまうと思ったのだろう。確かに、あの少々厳ついヘルメット姿よりは親しみやすく見えるだろうけど……。
「え、えっと……」
雛香ちゃんは困惑した様子で、きょろきょろと辺りを見回していた。予想していた反応と違ったらしく、美代まで固まってしまっている。その少しばかり奇妙な様子に笑みをこぼしつつも、俺は美代の側へと歩み寄った。
「怖がらなくていいよ。そいつは、俺の――」
そこまで言って、俺は言葉に詰まる。
今の俺と美代との関係を、何と言えばいいのだろう。八年もの間、ろくに会話していなかったというのに、幼馴染を名乗っていいものなのだろうか。友達……も何か違う気がするし、となると――
「……し、知り合い、だから」
無難か、あるいは苦し紛れか。なんとか絞り出した表現に、美代が何かいいたそうな顔を向けた。一方の雛香ちゃんはというと、俺と目が合うやいなや、強張っていた表情をあっという間に緩ませる。
「お兄ちゃん!」
雛香ちゃんは美代から離れると、俺に向かって駆け出した。体当たりに等しい勢いで俺に抱きつき、顔を埋めてすすり泣く。
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