絶対絶命、そして……(3)

 体の内側まで響くほど、強い縦揺れ。

 出かかっていた言葉が、喉の奥に引っ込んで消える。細かな石の粒が、頭の上から降り注ぐ。


 「下がって!!」


 美代に腕を掴まれ、強く引っ張られた。何が起きたのか分からないまま、美代に抱えられて岩の上を何度も転がる。


 衣服越しに、尖った岩が食い込んでくる。痛みに顔をしかめながらも、辛うじて美代の姿を捉えた俺は、先ほど外したヘルメットが再び装着されていることに気づく。


 「な、何が――」


 言い終わる前に、無数の衝突音が辺りを包み込んだ。あちこちで巻き上がる土煙が、瞬く間に視界を奪っていく。弾丸の如く飛来する石礫は、美代の背中に遮られて俺には届かない。


 「うっ……!」


 美代が苦しげな声を発すると同時に、俺たちは真横からの衝撃に吹っ飛ばされた。茶色い大きな塊が、美代の側に落下する。


 岩だ。人の頭よりも大きいそれが美代に直撃したのだと、俺は瞬時に察する。


 「美代!?」


 血の気が引く。頭が理解を拒んでいる。


 ヘルメットごときで防げる衝撃とは思えない。ぐらりと傾いた体に、俺は座り込んだまま腕を伸ばし――


 (……え?)


 美代は、倒れなかった。


 少しよろめきはしたものの、すぐに体勢を戻して起き上がる。多少の痛みはあったようで、右側の側頭部を何度か擦っている。


 「……大丈夫、なのか?」


 「うん」


 若干声を詰まらせながらも、美代は近くに転がっていた岩に腕をついてゆっくりと立ち上がった。


 信じられないことに、あれほどの岩が直撃したにもかかわらず、ヘルメットには傷一つついていない。


 「……なあ、それ」


 呆然とする俺を見下ろしながら、美代は小さく息を吐いた。


 「これは、“異空災害”に立ち向かうためのもの。これがあるから、私たちはみんなを助けに行ける」


 「異空……災害?」


 「私たちは、そう呼んでる」


 聞き慣れない言葉に首を傾げる俺に構わず、美代はどこか素っ気ない口調で続ける。


 「この空間……私たちは“異空間”って呼んでるんだけど、ここが私たちの暮らす世界と結びついてしまうことが時々あるの。そうなると何もないところから火が出たり、逆に水浸しになったりして……近くに人がいた場合は、こうして異空間に迷い込んでしまうこともある」


 「……!」


 息を呑んだ俺の脳裏に、幼い頃の記憶がよみがえった。


 薄々感じていたことが、確信に変わる。

 やはりあの時の俺は、美代が言う異空災害とやらに巻き込まれていたのだ、と。


 「たとえ救助のプロであっても、異空間に迷い込んだ人を助けに行くことはできないの。ここでは、何が起きても不思議じゃないから」


 美代は空を見上げた。霧と雲に阻まれて、相変わらず向こう側を見通すことは叶わない。


 「水から火が噴き出たり、何もないところで怪我をしたり……向こうでの常識がほとんど通用しない。何より一度入り込んでしまったら、自力で脱出することは絶対にできないの。これを……“ADRAS”を使える、私たち以外はね」


 そう言って、美代は胸元に右手を添えた。親指ほどの大きさの結晶が、一定間隔で淡いピンク色に瞬いている。夜空に浮かぶ星を眺めるように、俺はじっとその輝きに見入った。


 ADRAS。初めて聞く名だというのに、どこか懐かしさを感じるのは何故だろう。


 「……どこで、そんなものを?」


 「それは――」


 言いかけて、美代は口をつぐんだ。


 「……丈瑠には、関係ないから」


 「なんだよ、その言い方」


 ここまで聞かせておいてそれはないだろう、と俺は不満を露にする。一度ならず二度までも異空災害に巻き込まれた身だ。少しくらい、教えてくれてもいいじゃないか。


 「今はこんなことしてる場合じゃないの。早く二人目を見つけないと……」


 「二人目?」


 言いかけた文句を飲み込んで、俺はゆっくりと立ち上がる。足をついた石が大きく傾き、危うく転びそうになってたたらを踏む。


 「それ、雛香ちゃんのことだよな? まだあの辺りにいるといいけど……」


 「……どういうこと?」


 「え?」


 素早く振り返った美代が、つかつかと大股で歩み寄る。


 「その……えっと、雛香ちゃん? っていう子のこと!」


 美代が俺の両肩を掴んで揺さぶった。その勢いに、俺は一瞬ながら思わず怯む。


 「な、流される直前まで一緒にいた、小学生の女の子だよ。もしかして、気付いてなかったのか?」


 「っ!」


 美代が揺さぶりを止め、下流の方角へと向き直った。視線の先には、俺達を乗せて川を駆け上がった銀色の乗り物がぽつんと停まっている。


 遠目に小さく見えたその乗り物は、改めて見るとボートよりも水上バイクと表現した方がしっくりくる気がしてきた。イルカを連想させる流線型のフォルムで、金属にも陶器にも見える銀色の輝きを放っている。


 不意に、美代がさっと右手を振った。直後、バイクが甲高い駆動音と共に動き始め、呆気にとられる俺の理解が追いつく前に、無人のまま走り出す。


 大きな岩を駆け上がり、そのまま空中へと飛び出し、弧を描きながらこちらに向かって落下する。思わず後ずさった俺の前で、バイクは湿った石の粒を大量に撒き散らしながら豪快に着地を決めてみせた。


 「乗って!」


 促すと同時に、美代が身長の倍ほどの高さまで跳躍する。軽やかに空中へと身を踊らせ、吸い寄せられるようにバイクのシートへすとんと収まる。

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