思わぬ対面(1)
昼休みになると、俺はすぐに職員室へ向かった。
先生がいる可能性はほぼないけど、他にあの人がいそうな場所なんて分からない。
せめて手掛かりだけでも得られれば、と淡い望みを抱きつつ、俺は職員室の扉を開ける。
……予想通りというべきか、やっぱり津上先生の姿は無かった。
ただ、担任の雪宮先生から「理科室に用があると言っていた」という情報を得られただけまだマシだ。
こうなったら、一秒すらも惜しい。俺はすぐに踵を返し、職員室から飛び出していく。
「頑張れ」という先生たちの応援を背中で受け止めながら、早歩きで廊下を進んでいった。
職員室から理科室までは、結構な距離がある。
一階から三階まで階段を上り、渡り廊下を通って隣の校舎へ。三年生の教室前を通り抜けて、ようやく辿り着ける場所にある。
(頼むから、ここにいてくれよ……!)
あの先生のことだ。急に居残りなんて言い出したのも、理科室かどこかの片付けが面倒臭くなったからに決まってる。尻拭いなんて、絶対に御免だ。
木製の引き戸が開いていることを確認し、深呼吸をする。津上先生がいることを祈りながら足を踏み入れ、ぐるりと中を見回すと――
「……やっぱいねぇ」
疲労感がどっと押し寄せて、俺はがっくりとうなだれた。プリントのなびく乾いた音が、静まり返った空間に溶けて消える。
いつもならあまり気にならない、微かな薬品の臭いが、じわじわと不快になってくる。
「ああもう、何処に居んだよ……」
俺は頭を掻きむしりながら、黒板の上にある時計へと目を向けた。
せっかく手掛かりを得られたと思ったのに、早くも振り出しに戻ってしまった。
まだ時間には余裕があるように見えるけど、あてもなく学校中を歩き回らなければならないことを考えると全然足りない。このままじゃ、確実に居残り確定だ。
あまりにも理不尽な仕打ちに、俺は深くため息をつく。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。
後ろ向きになる気持ちを奮い立たせ、俺は入口の方へと向き直る。
気持ちを切り替えて、一歩を踏み出そうとした、まさにその時。
「……ん?」
微かに、どこからか人の声が聞こえた気がした。
俺は踏み出そうとした足を引っ込め、辺りを見回した。今更ながら、理科準備室の扉が開け放たれていることに気付く。
中から聞こえてくるのは……女子の声だ。
小声で話しているらしく、何と言っているのかは分からない。
だけど、やけに口調が強いというか……これは、もしかして怒っているのだろうか?
他に声は聞こえないから、口論というわけでも無さそうだ。そもそも、小声で言い争いなんてするものだろうか?
(ていうか、この声……)
俺は足音を立てないように注意しながら、ゆっくりと準備室へ近づいた。
少しだけドアを開けて、中を覗く。薬品を保管している場所だからなのか、体に悪そうな臭いがさっきより強く鼻を刺激する。
準備室の中は、思っていたよりも明るかった。
部屋の中央には古びた木製のテーブルが置かれ、新聞紙や難しそうな本、ノートなどが雑多に散らばっている。テーブルを取り囲む丸いパイプ椅子は所々塗装が剥がれ落ち、錆びついた下地が剥き出しになってしまっていた。
声の主は、ドアを隔ててすぐ目の前、部屋に一つしかない窓の前に立っていた。
肩にかかるほどの髪を左側頭部で束ねた女子の背中が、俺の目に映る。
「だから、嫌だって言ってるんです! “彼”を巻き込むなんて、やっぱり私には……!」
女子は小声で、それでいて強い口調でそう言った。どうやら耳に当てた板状の機械を通じて、ここにはいない誰かと話をしているようだ。
スマホの持ち込みは、校則で禁止されていたはずだけど……。
「……そうかもしれませんけど、私たちの事情を知ったら、絶対に深入りしてくるに決まってます。だから、もう一度考え直して――」
誰と、何の話をしているのかは分からない。
だけどこいつが、こんなにも必死になっている姿を見るのは初めてだ。
そうだ、この女子を俺は知っている。最後にちゃんと話したのは、一体いつだっただろう。
「
華奢な後ろ姿を見つめながら、俺は無意識のうちに“彼女”の名前を呟いていた。
――
母親が学生時代からの親友同士で、幼い頃からお互いの家へ気軽に立ち寄るほど、親密な関係だった。
だけど、それも随分と昔の話だ。
もう長い間、あいつとはまともに言葉を交わしていない。二年前に俺の母さんが死んでしまってからはますます絡み辛くなって、今ではすっかり疎遠になってしまっていた。
でも一番の原因は、間違いなくこの俺だ。
あんなことさえしなければ、きっと今だって同じように……。
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