先生を探して
「なるほどなぁ。いや、実に
前の席に腰掛け、体をこちらに向けた黒い短髪の男子――
「笑うなっての。マジで痛かったんだからな」
俺は頬杖をつき、淳を睨む。額と頬に貼られた絆創膏の下は、まだ少しだけひりひりと痛い。
あの後、木から落ち意識を失ってしまった俺は、割とすぐにそのままの場所で目を覚ました。
幸いにも大した怪我はなかったから、すぐに学校へ行こうとしたのだけど、女の子の叫び声を聞いて駆けつけたお爺さんから「病院へ行きなさい」と強く言われ、仕方なく言う通りにしていたら、こんな時間になってしまったのだ。
おかげで、クラスメイト達の視線を浴びながら教室に入る羽目になるし、淳に事情を説明したら笑われるしで……今日という日は、どうしてこんなにもツイてないんだろう。
「でもまぁ、よかったじゃん。普通、その程度の怪我じゃ済まないだろ?」
そう言って、淳は人差し指で額を示した……はずだったんだろうけど、タイミング悪く俺が頭を動かしたせいで、見事に傷のある場所を突いてしまった。
「痛っ!?」
両手で額を覆い隠して耐える俺に、淳は心底申し訳なさそうに手を合わせる。不慮の事故とは理解しつつも、俺は痛みからくる怒りに似た感情を込めて淳を睨んだ。
でも、こいつの言う通り、かすり傷と軽い打撲程度で済んだのは、不幸中の幸いと言うべきなのかもしれない。
大怪我をして救急車を呼ばれたりしたら、確実に親父に知られてしまう。そうなったら、長い説教は絶対に避けられないのだから。
……まあ、明日の朝には確実にバレるんだろうけど。こんな目立つ場所の怪我、隠し通せるとも思えないし。
明日はせっかくの休日だというのに、早くも気分は憂鬱だ。
「あ、そうそう。お前、宿題はやってきたか?」
淳が唐突に話題を変えた。気まずくなった空気を、こいつなりに何とかしようと思ったのかもしれない。
でも、おかげでさらに嫌なことを思い出してしまった。
「やってきたよ。遅刻したせいで出せなかったけどな」
俺は机の中に手を突っ込み、一枚の紙を取り出して机の上に置いた。
昨日の夜、寝る前になって存在を思い出し、慌てて済ませた理科の宿題だ。
せっかく必死になって終わらせたというのに、無駄な努力になってしまった。
「よりによって、津上先生の時に遅刻か……」
唸り声にも等しい溜息を吐き出しながら、俺は両手で頭を抱えた。
理科の津上先生といえば、深暮中一の変人として有名だ。
教師という立場にあるまじき、いい加減な言動が目立つ人で、着ている服はいつも皺だらけだったりと身なりもかなりだらしない。
おまけに、隙あらばすぐ居眠りをし始めるという悪癖もある。
去年はテスト前の自習時間に居眠りをして、クラス委員の女子に小突かれたうえに説教されるという珍事まで発生したほどだ。
あの時の気まずい空気は、当分忘れられそうにない。
もちろん、そういった行動を他の先生たちが放っておくはずもなく、何度か呼び出されては、色んな先生からお叱りを受けたという噂も聞いている。
……と、逸話を挙げればキリがない人なのだけど、それで済むのならどれだけよかったか。
最も問題なのは、授業中以外はどこを探しても、絶対にあの人を見つけられないということだ。
職員室にはいつもいないし、校内放送で呼び出しても絶対に姿を現さない。
生徒はおろか先生たちでも行動パターンを掴めていないというのだから、用事がある人にとってはたまったもんじゃない。
実際に津上先生に挑んで、無残にも散っていった人たちも多数いる。
去年の秋ごろには生徒会のメンバーが先生たちと手を組み、一斉に校内を捜索したものの惨敗。
文化祭のことで相談したかったらしいけど、その後のスケジュールにも色々と影響が及んだそうだ。
その年の冬には、何故か職員室の休憩スペースでぐったりしている先輩たちを見てしまったこともある。どうやらこれも津上先生が絡んでいたらしいと後になって聞かされた。
とにかく、それほどまでに手強い相手だ。職員室に行って提出すればいい、という話じゃない。
おまけに、いい加減なくせして直接手渡し以外は受け付けてくれない。提出し忘れた宿題を先生の机に置いて帰ったところ、「顔を見せない奴は信用出来ん」などという訳のわからない理屈で突っ返された男子は今、俺の目の前にいる。
「しょうがねーな……来週の授業で提出するか」
次の理科は、来週の月曜日。いくらあの人でも、事情を説明すればちゃんと受け取ってくれるはずだ。
「あー……それさ、今日中に出さないとヤベーらしいぞ?」
「……え?」
何となくプリントをつまみ上げて弄んでいた俺は、淳の言葉に反応してぴたりと手を止めた。
「確か、未提出の場合は追加の課題を出すとか何とか。あ、放課後に理科室の掃除を手伝わせるとも言ってたな」
「な、何だよそれ……!?」
理不尽だ、と俺は思った。いつもなら一週間は遅れても何も言わないくせに、何故こういう時に限って無駄に厳しいのか。
これじゃあ、俺の居残りが確定したも同然じゃないか。
「マジかよ……」
「マジだよ。ほんと容赦ねえよなぁ、津上のやつ」
淳は椅子の背もたれに身を委ね、天井を仰いだ。
天を仰ぎたいのは俺の方だ。集団で探しても見つからないような相手に、たった一人で挑まなければならないのだから。
淳を無理やり巻き込んだとしても、勝算は極めて薄い。しかも、今日中にというタイムリミット付きだなんて。
宿題自体はちゃんと終わらせてきたのに、この仕打ちはあんまりじゃないか。
「最悪だ……」
机に突っ伏し、泣き声に等しい声で嘆く俺の肩を淳がぽんぽんと叩く。
「まあ、まだ時間はあるんだし、昼休みにでも渡してこいよ」
俺は顔の半分を腕の中に埋めたまま、恨みを込めて淳の顔を見る。
こいつ、例の件で津上先生の面倒臭さは身にしみて分かっているはずなのに。
「……見つかると思うか?」
「さあ?」
淳の無責任な台詞に、始業のチャイムが重なった。教室中に散らばっていた生徒たちが、慌ただしく自分の席についていく。
こうなったらヤケクソだ。もうどうにでもなってくれ。
心の中でぶつぶつと唱えながら、俺はプリントを机の中に力いっぱい押し込んだ。
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