Ep.Ⅰ 始動―異空災害―
人助けと、災難と
「――そういうことがあったから、かな。困ってる人を助けたいって思うようになったのは」
左右に広がった太い枝を両手で掴み、右足を掛けてよじ登る。
柔らかな緑色に染まった葉が擦れ合い、俺の頭上で軽やかな音を鳴らす。顔に落ちた葉の青臭さに眉をひそめながらも、より少し上にある枝へと手を伸ばした。
「結局、あの人にはお礼も言えなかったけど……こうやって困ってる人の助けになれれば、少しは恩返しに繋がるんじゃないかなって、そう思うんだ」
「で、でも……」
可愛らしい水色のランドセルを背負った、小柄な女の子が不安げに俺を見上げている。
「大丈夫。俺、木登りは得意なんだ」
そう言いながら、俺は太い幹へと足をかける。
ここは、豊かな海と山々に囲まれた街、
広大な敷地には桜の木が立ち並び、花見の時期には県外からも多くの人が訪れるちょっとした名所だ。
中心部には大きな池があって、池を跨ぐように無骨な飛び石が設置されている。
俺も幼い頃は、よくあの周辺で遊んでいたものだ。
俺は花吹公園の南にある、小高い丘の上に立つ木の上に登っていた。
時刻は、午前八時の少し前。本来なら、既に学校の門には着いている時間だ。
なのに何故、こんなところで木登りなんてしているのかというと、公園の近くを通った際に女の子が泣いているところを見つけてしまったからだ。
話を聞いてみると、色々あって木の上に手提げ袋が引っかかり、取れなくなってしまったという。
女の子は高いところが苦手らしく、取りに行こうにも怖くて登れない。近くに大人はいないし、いても木登りなんて頼めなさそうな高齢者ばかり。
買ってもらったばかりなうえにお気に入りの手提げ袋だから、諦めて立ち去るなんてとてもできない。
そこへ俺が通りかかり、今に至るというわけだ。
「よっ、と……」
俺は枝葉をかき分け、慎重に木の中へと潜り込んでいく。
下から見上げたときは大したことないと思っていたのに、こうして登ってみると意外と高い木だったことに気付く。
高いところは平気なほうだけど、あまり下を気にしないほうがいいかもしれない。
「……よし、もうちょっとだ」
気合を入れ直すために呟きながら、真っ直ぐに頭上を見据える。
手を伸ばしてもギリギリ届かないくらいの位置に、白い手提げ袋が引っかかっているのが見えた。
俺は右手で手近な枝をしっかりと握り、手提げ袋に左腕を伸ばす。袋の底を持ち上げれば、直接掴まずとも枝から離せそうだ。
俺は左腕を高く掲げたまま、不安定な枝の上で軽く跳んだ。袋は上手い具合に枝から離れ、絡み合う枝の隙間を転がるように落ちていく。
「あっ……!」
青々とした芝生の上に、手提げ袋がすとんと着地する。女の子は小走りで駆け寄り、拾い上げた手提げ袋を両腕でしっかりと抱え込んだ。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
さっきまでの不安そうな顔が嘘のように、弾けるような笑顔を俺に向ける。
感謝されたいがために行動したわけではないけど、こうやってお礼を言われるのはやっぱり嬉しいものだ。
木々の隙間を縫うように流れ込んだ風が、しっとりと汗ばんだ顔や首に心地よい涼しさを運んでくる。今年は例年より少し寒いと言われてるけど、少なくとも俺にとっては十分すぎるほど暖かい気候だ。
「ところで、何でこんなとこに引っかかったんだ?」
俺は女の子を見下ろし、手提げ袋が引っかかっていた枝へと視線を動かした。女の子の笑顔が薄れ、表情に少しだけ影が差す。
その反応で、何となく察しがついた。
たぶん、同級生のいたずらか何かで引っ掛けられてしまったんだろう、と。
少し考えれば分かるはずなのにと、俺は自分の考えの至らなさを少し後悔する。
「あ……ごめんごめん。言いたくないなら、別にいいんだ」
気まずい雰囲気から逃れるように、俺は丘の下にある時計に目を向けた。
思いのほか手こずったせいで、結構な時間が経過していたことに気付く。それでも少し急げば、何とか学校には間に合うはずだ。
俺は身を屈め、少し下にある枝へそっと右足を下ろした。足先に触れた葉が、数枚ほど地上に向けてひらひらと落ちていく。
「じゃ、俺はそろそろ行くよ。お互い、遅刻なんてしたら大変――」
みし、と足元で嫌な音がした。
俺は思わず動きを止め、足元へ恐る恐る目を落とす。
嫌な予感は的中していた。右足を乗せた枝が、ぱきぱきと乾いた音を鳴らしている。
背筋から血の気が引いていくのを感じて、俺は慌てて右足を持ち上げた。
――けど、時すでに遅し。
「うわあぁ!?」
右足を支えていた枝が真っ二つになり、支えを失った俺は抵抗空しく地上へと落下した。
視界が回転し、背中と後頭部が勢いよく地面へと打ち付けられる。目の前で火花が弾け、少し遅れて鈍い痛みがじわじわと打ち付けた箇所に広がっていった。
「だ、大丈夫!?」
仰向けに倒れた俺の視界に、女の子の顔が飛び込んでくる。俺は引きつった笑顔を浮かべながら、ふらふらと上体を起こした。
「だ、大丈、夫……」
そう言ってすぐに俺の視界はぼやけ、再び芝生の上へと倒れ込んだ。
「お兄ちゃあぁん!?」
慌てふためく女の子の叫び声を最後に、俺の意識はぷつりと途切れた。
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