(37)
「……夢がひとつ叶いました」
どこかふわふわとした様子で千世が言う。朔良が運転する車の後部座席で、実際に彼女は半分夢の世界へと入りかけているようだった。
「他の夢は?」
朔良の隣、助手席に座る四郎が問う。
「他は……」
千世はまばたきをした。それから、少し恥ずかしそうに、わずかに目を細めながら口にする。
「だれか……他の女性を守りたい、です。心でも、体でも、欲張るなら……両方。むずかしいと思いますけど」
千世はとつとつと、このあいだ友人になった雪野麗に刺激を受けたのだと話す。
雪野麗が夢をかなえ、自立していること。その姿を間近で見て、そして彼女と交わした言葉から、他の不安や悩みを抱える女性に寄り添い、支えられるような人間になりたいと思ったこと。
望んでではなかったが、父親からの「訓練」で得た力を生かせる機会があると、千世は思っていなかった。
けれども四郎に護衛官になる道を提示されて、少しだけ希望が見えた。
そして雪野麗との出会いによって、護衛官となる道以外の、たとえばカウンセラーなどの道もあるのだと思った。
その両者の道双方にあるのは、「だれかを守り、救う」ということだ。
「……なんというか、ただ、居場所が欲しいだけの気持ちも、あります。でも、色んなひとと出会って、もらえた安心だとかを、わたしもだれかにわけてあげたいと、思ったんです。支えられたり、わたしの声に耳をかたむけてもらえたのが、うれしかった、から」
たどたどしい口調ながらも、しっかりと夢を語る千世の姿に、朔良はなんだか感慨深い気持ちになった。
朔良は、初めて出会ったときの千世を覚えている。
無気力で、無感情的で、なにもかもあきらめきった顔をしていて――とても今のように、将来の夢をはにかんで言えるような状態ではなかった。
千世はまだ、精神科医やカウンセラーなどのサポートが必要な状態だが、それでも毎日、一歩ずつ快復へと向かっているのだと、朔良は唐突に実感した。
朔良は己の、千世に対する行動に見返りを求めたことは一度としてない。
それでも、自分の行いやこれまで発してきた言葉が、きちんと彼女の中で生きているのだと思うと、少しだけ目頭が熱くなった。
「いい夢だな」
口を開けばなんだか泣いてしまいそうな気がして、言葉に詰まった朔良の代わりとでもいうように、四郎がそう言う。
その言葉は四郎にしては真摯で、優しい響きを伴っていた。
「……そうですね」
朔良もどうにか、四郎の言葉に続く。
しかしそれ以上は、やはり言葉が詰まってなにも言えなかった。
ルームミラー越しにちらりと後部座席へ視線をやれば、千世の瞼がおりていて、どうやら夢の世界へ行ってしまったようだ。
朔良はそれを見やってから、ゆっくりと息を吐く。
「――まあそういうわけで」
四郎がおもむろに口を開く。
朔良は横目で四郎を見てから、「はい……?」と要領を得ないとばかりの返答をする。
四郎はそんな朔良にはお構いなしとばかりに、どこか挑戦的な顔をして運転席を見た。
「彼女の恋人になったわけだから、俺とお前は対等ということになるな」
「……まあ、そうなりますね」
四郎のセリフの着地点が見えず、朔良は曖昧な返事しかできない。
「これからはもっと気安く呼んでくれ、朔良」
急に歳上である四郎から下の名前で呼ばれたので、朔良はびっくりした。
だがやはり四郎は、朔良がおどろいていることなどお構いなしの態度で言葉を続ける。
「彼女が恋人を順位付けたいと言うのならばそれでもいいが――そうはならなさそうだからな」
「……千世はそんなことしないですよ」
「変にかしこまった態度はやめてくれ。そうだな、子供が生まれる前にはやめてくれ」
「こどっ……」
朔良は、ハンドルを握る手に無駄に力が入ったのを感じた。
「気が早い……」
「その調子だ。しかし気が早いとは思わないな。妊娠適正年齢の始まりは二〇歳だ。千世は今年で一九。子を儲けるのならば母体への負担を考えても若いほうがいいというのは――俺から言わなくてもお前はわかっているか」
朔良は平静を装いつつ、再度「気が早い……」とつぶやいた。
なぜなら朔良と千世は同棲してはいるものの、まったく清い関係だった。さすがにキスくらいは交わすものの、そこから先はまだだったのだ。
つまり、子供が今すぐ生じる可能性は――今のところは――ゼロである。
もちろん四郎は朔良と千世の夜の事情なんて知りはしない。
それでも朔良の反応から察したらしい。つくづく、野生の勘みたいなものが強い男である。
朔良とて千世以外の女性と「そういう」経験がないわけではないが、あけすけに言われると言葉を失ってしまう。
「ああ……」
「『ああ』ってなんだ、『ああ』って」
「哀れんでいた」
「……どうせ私はヘタレだ」
「今度は自虐か。忙しいやつだ。そうは言っていない」
そんなことを口にしつつも、四郎が朔良を慰める意図が一切ないことは、もはや顔色を窺わずとも朔良にはわかった。――わかってしまった。
「そう言われても、白々しく聞こえる。……四郎が言うと」
朔良は意地でも助手席を一瞥しないと決めたが、それでも視界の端で四郎が不敵に笑ったことだけは、なんとなくわかった。
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