(31)

 千世は、己の過去には触れないようにしつつ、朔良との出会いやその思いについて控えめに話した。


 千世はそんなことを今までに一度もしたことがなかったので、言語化するのには手間取ったが、雪野麗はそれを微笑ましく見守っていた。


 たどたどしいながらに朔良への思いを口にする――言葉にする千世を見ていれば、なるほど庇護欲がかきたてられるわけだと、また雪野麗も納得した。


 一方の千世は、医師やカウンセラーでもない相手に自身の思いを――しかも極めて個人的な、恋慕の情を――吐露したことで弾みがついたのか、思い切って雪野麗に相談を持ちかける。


「へえ、土岐さんのことが気になってるんだ」


 からかうでもない、素直に感心するような語調の雪野麗に、千世は内心でホッと安堵の息を吐いた。


「『女の子に言い寄られて悪い気がしない男はいない』とは言うけど……土岐さんってクセがありそうだもんね」


 雪野麗は土岐四郎についてはよく知らない。


 しかし短いながらに言葉を交わした範囲では、まったく話が通じない相手ではなさそうだったものの、雪野麗の担当官を務める朔良と会話をしているときには、その「クセ」がありそうな片鱗が見えた気がする。


 だから千世にもその印象をそのまま伝えたが、彼女が認識している土岐四郎像というものも、そう大差はないらしいことがわかった。


「お礼に、『撫でろ』って言ってきたりとか……」

「それはまた……。っていうか土岐さんってそういうひとなんだ」


 雪野麗は、護衛官という職業柄、当然のようにガタイのよい成人男性である土岐四郎が、この成人したばかりの、まだ少女という形容が似合う千世に頭を撫でることをねだるさまを想像し、なんだかむずがゆい気持ちになった。


 乾いた笑いが浮かんでしまう雪野麗には気づいていないらしく、千世はそのまま話を続ける。


「わたしは……今思い返すと、そうするのはイヤじゃ、なかったんですけど」

「うん」

「でも、朔良さんの前でするのは、なんだか、ためらってしまったというか……」

「そっか。恋人の前で、恋人じゃないひとと親しくするのは……って感じになったのかな」

「! そうです。きっと……」


 雪野麗の表現が正鵠を射たとばかりに、千世は少しだけ目を見開いて、何度かうなずいた。


「でも……わたしはたぶん、土岐さんに惹かれている……気がします。『あのとき撫でてあげればよかった』と、あとから思ってしまったので、きっと……」

「でもそれって悪いことじゃないでしょう」


 雪野麗は千世の女性としてのランクを知らなかったが、ランクがどうであれ、女性が多くの男性と関係を持つことは政府が推奨しているのだ。


 雪野麗は今のところ、男性と関係を持つようなことを避けているが、宮城朔良という恋人がいる千世がそうではないことは、わかりきっている。


 あるいは、千世は単婚モノガミー主義者なのかとも考えたが――。


「……朔良さんが、土岐さんのことをどう思っているか、わからないところがあって……」


 雪野麗は、千世から出てきたその言葉のいじらしさに、自然と口元に笑みが浮かんでしまうのを感じた。


「そかそか。宮城さんのことを大切にしたいから、慎重になっちゃうんだね」

「……そう、そうです」

「でも土岐さんと話してる宮城さんは普通……というか、むしろ多少なりとも親しさがあるように感じられたけど」


 雪野麗はそこで言葉を切ってから思い直し、「……まあ、私より瓜生さんの印象のほうが参考になるとは思うけど」とつけ加える。


 しかし仕事上、かかわり合いになるのが避けられないとは言えども、土岐四郎と接する宮城朔良に、にじみ出るような嫌悪や冷淡さは感じられなかった――というのが、雪野麗の見解だった。


 むしろ軽口をたたき合えるていどには、互いに親しみを感じている様子だ。


「瓜生さんは、それを素直に言葉にした方がいいと思うよ。瓜生さんのほうがわかってると思うけど、宮城さんは頭から否定してくるようなひとじゃないし」

「はい……。朔良さんは、いつもわたしに優しくしてくれます」

「それに土岐さんも。話が通じないって言うわけじゃないだろうし……土岐さんについては瓜生さんのほうが断然詳しいと思うけど」


 雪野麗は、「それに」と言葉を続ける。


「土岐さんの瓜生さんを見る目……なんか柔らかかったし」

「そう、なんですか?」


 千世は不思議そうにまばたきをした。


「まあなんにせよ、言葉にしない限り話にならないと思うし……あのふたりなら、瓜生さんの気持ちを真剣に考えてくれるんじゃないかな」


 雪野麗のアドバイスを真剣なまなざしで受け止めた千世は、決意のにじんだ声で「はい」とだけ言った。

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