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「いや~母親には『なにやってんだ』って思われてるよ。『せっかく女の子を産めたのに!』ってさ」
相対した雪野麗は、竹を割ったような性格の女性に感じられた。
歳下の千世に対しても高慢さからはほど遠く、また一方でしゃべり口からはうじうじとした湿っぽさは感じられない。
現在二五歳の雪野麗の職業は漫画家だ。彼女と会うことが決まってから、千世は半ば礼儀という気持ちもありつつ雪野麗の作品に触れたが――ものの見事にはまった。
もともと、エンターテイメントの類いからは足が遠くなっていたこともある。
千世にとって娯楽に一番近いのは自らの肉体を鍛えることだった。
しかしそれを差し引きしても、雪野麗の繊細な筆致や心理描写、ときにダイナミックに突き刺してくる展開は白眉で、千世は夢中になった。
そのあとに世の中には自分のような、雪野麗のファンはあまたいるのだと千世は知った。
千世がたどたどしい口調で、しかし熱っぽく感想を告げれば、雪野麗は無邪気な子供のように喜んだ。
「読者さんから直接感想を聞かされることってないからね……。担当さん――あ、出版社のね――からはもちろん聞けるんだけれどもさ」
「やっぱり直接感想聞けるのっていいね」とはにかんで言う雪野麗は、漫画家として活動するにあたり、その性別を隠していた。
過去にネット上で活動していた初期のころは性別を明かしていたが、何度かしつこいネットストーカーの被害に遭ってからは性別を伏せるようになったという。
「私より作品を見て欲しいしね」
しかしアカウントやペンネームなどはすぐに変えられても、絵柄というものはなかなか変えられるものではない。
今現在、雪野麗はストーカー被害に遭っているのだが、加害者からネットを介して届いたメッセージを見るに、加害者は雪野麗の過去の活動から女性だと特定し、このように犯罪行為に励んでいる様子だ。
そういうわけで四郎が雪野麗の警護に就いている――という次第だった。
雪野麗は千世同様に、女性の入居者が多い高層マンションで暮らしている。その暮らしぶりは千世とそう変わらないようだった。
今ふたりはリビングルームでおしゃべりに興じている。朔良は気を遣って席を外していた。四郎はマンション周辺を巡回中である。
「女の子って分断されてるよね。それでも、学生時代は女子校とかあったからよかったけど」
雪野麗の言葉に、千世は感じるものがあった。
雪野麗とこうして出会い、言葉を交わすまでに、千世はまともに女性と会話をした覚えがない。
それこそ、おぼろげになりかけている過去の記憶を掘り起こしても、親しい会話ができていたのは母親くらいのものだった。
「私はずっと女子校にいたから、それなりに友達もいたんだけど……大人になっちゃうとさ、ライフスタイルの変化とか……あと価値観の違いがどんどん大きくなっちゃった感じ。働いてるのも私くらいだし、自営業だとなおさら話とか合わなくなっちゃってさ。昔は結構家を行き来してた友達とも今は疎遠になっちゃって」
雪野麗はそう言ってため息をついた。
「あ――ごめん。なんか愚痴っぽくなっちゃった。瓜生さんがせっかく来てくれてるのに」
「いえ……わたし、あんまり話せることってないですし、雪野さんの話は――こういっていいのかわからないですが……興味深い、です」
「そう? つまらなくないならいいんだけど」
雪野麗の気づかわしげな視線を受けて、千世はかぶりを振った。
「雪野さんの悩みごとを『興味深い』というのは、なんか語弊がありそうですけど……でも、雪野さんでもそういう悩みごとがあるんだなと思って。それにわたし、世の中の常識とか、そういうのにまだ疎いので、女子校の話とか、とても興味深いです」
雪野麗は「そっか」と言った。
雪野麗は当然、千世の父親――瓜生透也が起こした事件を知っている。その際に千世の存在や、まだ大人の庇護を必要とする少女が置かれていた過酷な環境についても。
しかし雪野麗には想像はできても、そこに真に寄り添うことはなかなか難しい。
それに、そうやって千世に寄り添う人間は、雪野麗が心配しなくても――もういるだろう。
雪野麗の担当官である宮城朔良は、生真面目な人間だ。そのせいで貧乏くじを引かされるようなタイプだと、雪野麗は思っている。
そんな彼が担当女性のひとりと恋仲になってしまったという話を聞いたときは、タチの悪い冗談だと思った。
「自立されている雪野さんは、すごいです」
しかし黒目がちの瞳を無垢に輝かせてこちらを見つめる千世を前にすると、宮城朔良が彼女と恋仲になってしまった理由をなんとなく察してしまった。
きっと最初は、支えになりたいだとか、助けになりたいだとか、純粋な気持ちから出発したはずだ。
それがまあ――予想外に曲がりくねって、恋心に着地した。……きっと、そんなところだろう。恋に落ちるのは、一瞬なのだから。
雪野麗の中に、ちょっとした野次馬根性がなかったかと言えば嘘になる。
あの生真面目な担当官を落としたのはどんな「いい女」なのか、後学のためにもちょっくら会ってみるか、くらいの気持ちだった。
同性と話がしたかったというのは、もちろん本音だ。
けれどもやっぱり、あの担当官を「血迷わせた」女性というものを見てみたかったのも、本心にいくらかあった。
そうしてふたを開けてみて、野次馬根性を出したことを少々恥じるくらいには、瓜生千世という人間は無垢な存在だった。
「今度は瓜生さんの話を聞かせて欲しいな」
「わたしの話、ですか?」
「そうそう。宮城さんと付き合ってるんでしょ? 後学のためにも、色々聞かせて欲しいなーって」
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