(20)

 千世は、今日あったこと――四郎との面会のときのこと――を話し終えたあと、じっと朔良を見た。


 朔良はどこか浮かない顔をしている――ように、千世には感じられた。


 いつもは千世の言葉に真摯に耳を傾けてくれる朔良だったが、今日ばかりはどこかうわの空で聞いている。


 四郎の話をとつとつと語り終えた千世は、次に口にする言葉に迷って、黙り込んだ。


 もしかしたら、朔良の機嫌を損ねてしまったのではないかと千世は思った。


 千世の現担当官である七瀬も、朔良も、あまり四郎のことをよく思っていないことはわかっている。


 千世が感じ取れる限り、両者ともに四郎を心底嫌っている――という雰囲気ではなかったが、いまいち土岐四郎という人間を信頼していないことは、明瞭に伝わってきた。


 千世は土岐四郎という人間を評するだけの言葉や交わりといった経験を、まだ持っていない。


 だから朔良や七瀬の、四郎に対する反応を見ると戸惑うし、不安になる。


 千世は、己が社会経験に乏しいということを理解している。


 だから四郎が狡猾に千世をだまくらかそうとすれば、それは簡単に成就するだろう。


 つまり、向けられる悪意に千世は鈍感だった。


 その自覚があるからこそ、四郎を警戒する朔良や七瀬の態度には色々と思うところがある。


 もしかしたら、自分が見えていないものがふたりには見えているのかもしれない、と千世は思ってしまう。


 真実は、わからない。千世にはそれを判別できるだけの能力は、まだ備わっていない。


 そうなれば、千世が取れる選択肢というものは、限られてくる。


 たとえば、直接的に問いただす――とか。


「今日は、疲れましたか?」


 千世の精神は歳不相応に幼かったが、迂遠な問いかけをできるていどの社交性はあった。


 また、単純に千世は朔良が疲れている可能性について考えた。


 うわの空で千世の話を聞いていたのは、疲労がたまっているからかもしれない――。


 千世は様々な可能性を考慮しながら、朔良の顔を見上げた。


 朔良は何度かまばたきをしたあと、困ったように微笑んだ。


「……ごめん。うわの空だった?」


 千世よりも遥かに他人の心を読むことに長けている朔良は、すぐに千世の言葉の裏にあるものに気づいた。


 それにいつもは一字一句聞き漏らすまいとさえ思っている千世の話を、ぼんやりと聞き流してしまった自覚もあった。


「疲れてるなら、仕方ないです。朔良さんはお仕事されてますから。それに大したことは話していないので……」


 たどたどしい千世の言葉に、朔良は眉を下げた。


「……いや、そんなには疲れてないよ。ただ――」

「……『ただ』?」


 口ごもってしまった朔良の語尾を捉えて、千世はわずかに首をかしげながら続きを促す。


 朔良が、その言葉の続きを言うべきか言わざるべきかを悩んでいることは、千世にも伝わってきた。


 千世からすると、朔良が言いたくなかったり、言いにくかったりするのならば、わざわざ言わなくていいと思った。


 朔良は始めから、千世に対してそういうスタンスを取っていたからだ。


 けれどもなにか悩みがあるのならば、聞きたいとも千世は思う。


 たとえ千世自身に悩みを解決する能力が皆無だとしても、口に出すことで思考が整理されたりする、おしゃべりの効能を千世は身をもって知っている。


 ただ、いずれにせよ無理矢理に聞き出したいとは思わなかった。


 千世が、自分がまた言葉を重ねたほうがいいのだろうかと思案し始めたところで、朔良が口を開いた。


「……やっぱり、千世には言っておきたいことがある。――もしかしたら、気分を害するかもしれないけれど、これを隠すのもよくないかと思って……」

「大丈夫、です。聞きます」


 千世がやや食い気味にそう告げると、朔良は困ったような微笑みを消して、真剣な顔をする。


「――見合い話がきてね」


 千世は、朔良の言葉をすぐに呑み込めたものの、どういった反応をすべきなのかわからず、固まった。


 朔良はそれを戸惑いや、あるいは衝撃や不快感を与えてしまったと思ったのだろう。また、困ったような微笑を浮かべた。


「相手は土師はじ家のご令嬢だとかで……断るにも一度会ってからじゃないと難しいらしいんだ」


 千世は、最低ランクに格付けされていたが、朔良は違う。


 最高ランクにはひとつ及びはしないものの、朔良は高ランクに格付けされている男性だ。


 困り顔で話をする朔良を前に、千世はぼんやりとその事実を思い出していた。


「もちろん、そのひとには見合い話を断りに行くために会うんだけれど――。……そういうわけだから、土岐さんとの次の面会のときも同席はできそうにないんだ。ごめんね」


 千世はあわてて「気にしないで」とばかりに頭を左右に振った。


「えっと……会うだけなんですよね」

「そう。断りにね」


 朔良は続いて会う場所についても話してくれた。


 そこは女性保護局が入っているビルからほど近いホテルで、千世も車窓から遠目に見たことがある場所だった。


 ラウンジで話をつけるつもりだ――という朔良の言葉に千世は耳を傾ける。


 千世は、朔良を疑ったことはなかった。朔良は、始めから千世の味方で、それから「ずっと味方でいる」と約束してくれて、これまでそれをたがえたことはなかったから。


 朔良を、疑っているわけではない。


 それでも――。


 千世は、胸の底からなにかがふつふつと湧いてくるような、ちくちくと芽生えるような、そんな感覚をおぼえた。


 しかしそれらは今の千世には上手く言語化できなかった。


 千世は、それらをごくりとつばと共に奥へと押し込めるようにして、呑み込んだ。

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