兄と妹とはなんですか?④
「兄妹なんだな」
「……お前、相槌おかしくない?」
出し抜けに感心されて、目を白黒させる。
「いや、だってさっきまでチカって呼んでただろ? ひかりちゃんはちゃんと兄ちゃんだと思ってるんだなぁと思って」
「ああ……そういえば」
同い年だ。俺の誕生日が数ヶ月早いだけで、兄妹なんて便宜上の区分けみたいなものだった。
「文句ないわけ?」
今まで聞いたことがない。
それとなく、それぞれ妹のようなもの、兄のようなものといった認識があった。それは両親の態度――、俺にひかりを任せるような語り口に影響されているのかもしれない。
「兄ちゃんは兄ちゃんでしょ?」
あまりにも無邪気な受け入れ態勢に、泡を食う。
ちょっとくらい、葛藤や妥協があったりするんじゃないだろうかと思っていた。杞憂であったばかりか、ひかりは純真な瞳で首を傾げる始末だ。
絶対的信服に、小さく息を呑む。
「お前が納得してるんだったらいいんだ。兄ちゃんだし」
「納得っていうか、考えたことないかも。ママもお兄ちゃんができるって言ってたしね」
「そんな話初耳だけど」
「結構前」
「……完全なカムアウトって最近だぞ」
「でも、兄ちゃんと遊びに行こうってママは私を誘ってたもん」
「ああ……」
分からないでもなかった。
親父だって、妹みたいなもんだろー。と俺を良く焚き付けていた。ひかりを優先しがちな悪癖にも及ぶ甘受は、こういった地盤があってのことかもしれない。
「それにまぁ……兄ちゃんってちょろいし」
「兄ちゃんって言えば聞いてくれると思ってるわけか」
うへへ、と悪気など粉微塵も感じさせない顔で頬を掻く。
「穂村のほうが横暴に見えてたんだけどな」
「どっちがって話だよな」
「わがままは言ってないじゃん」
「そうですねー」
そうしたかったわけではなかった。
けれども戻ってきた自分の声は案に相違して棒読みで、ひかりの眉間には激しい皺が刻まれる。
「なんだよ。無自覚か。ちょろいとまで言っておいて」
「それはそれ、的な?」
「なんで分別した」
「むきになんないでよ、面倒くさいな」
「俺か⁉ 今の俺か? 俺が責められるのかよ」
「落ち着けって」
仲裁を受けるほど、物々しいものではなかった。
声が跳ねたのはそれこそ弾みのようなもので、負の感情が存在していたわけでもない。
ひかりに対してこのぐらいの言い争いで憤っていたら、俺はあっという間に許容を超える。ただでさえ小さな器がぶち壊れるのに、時間はかからないだろう。
「いいじゃん、文句ないんだから」
「そりゃそうだけど……」
消え去った語尾は、本当に突っかかるところなど見つからなかったからだった。
俺は別に、弟になりたいわけではない。かといって兄に拘っているわけでもないが、この期に及んで覆されたらそれはそれで調和が取れそうにもなかった。
新田に指摘されるまで、まるで気にもしなかったやつが言うセリフでもないだろうが。
「じゃ、これでおしまいってことで」
ぱんと手を合わせた新田は、いかにもわざとらしかった。場を仕切ろうと躍起になっているのが分かって、空々しいとさえ感じてしまう。これは俺の感傷だろうか。
……実はどうでも良くはないのは俺のほうか?
やけに心がざらついている。
「フライ、どう?」
「いいんですか?」
ひかりの変わり身の早さは、天下一品だった。先ほどまで俺の手元に注がれていた視線が、たちどころに持っていかれる。
腑に落ちない。
いや、腹立たしくて――と、続けて打ち出しそうになった感情は、ソフトドリンクで飲み下す。和やかに流れる二人の掛け合いをどこか遠くに聞きながら、遅めの昼食は流れていった。
「新田さん、いい人だね」
なんとも安っぽい評価だ。
安くはあったが、小さくはなかったらしい。同じ単語の反復で感想の分量を示そうと躍起になっているのか、ひかりは何度も言い募る。
薄く表面に見えていた好みが、はっきりと形のある好意へと変化したのかもしれない。そんなことを綿密に憶測し始めていることに、鬱蒼とする。
「チカ、聞いてる?」
「ああ」
鍋の様子を見ながら片手間に聞き流していたと答えたら、怒ることは簡明だ。
新田に比べたらスマートなんててんで不釣り合いでしかないが、そのくらいを慮る器量は俺の中にだってある。
「もう! チカ」
「なんだよ」
「……そんなに仲良しに見えるかな?」
引き出すまでに随分遠回りをしたな、と何故だか直感が働いた。切実に切り出したい話題は、こちらだったのだろう。
菜箸でほろりとほぐしたサバは良く煮えていて、ほかほかと湯気が上る。いつも通りに出来上がっていく料理の過程は、精神活動を平らにした。
吐き出した吐息が、湯気と混ざって空気に溶ける。
振り返った先で、想像以上にそばにいたひかりにぎょっとした。泣きそう、なんてことは滅多にない。小学生くらいまでは些細な怪我でぼろぼろ泣き崩れていたが、ここ最近ではそんな顔も見なくなった。
ふざけて泣き真似をしてみせようとする無駄な努力をすることはあったが、今がそのときでないことは気取れる。
「兄妹だろ」
高い位置にある頭頂部を、ぐっと押し付けるように手で包み込む。
ちょっくらいの腕の重さなど、気にかけるものではない。強引に引き寄せて、片腕で閉じ込めた。
俺たちの距離感は、このくらい。俺たち兄妹の対人距離はこれで正解だろう?
「サバの味噌煮美味しそう」
「おい」
見下ろした鍋に、熱視線を注ぎながら零す。
美味さは保証するし、真上から見下ろすサバはてかてかと光って二乗くらいは美味しそうに見えた。
でも、今じゃないだろう。
呆れて横目で窺えば、予想外のしめやかさに目を丸くした。場繋ぎ的の発言だと、やっとこさ分かる。いつもは誤魔化す方法なんて、幼稚でまぬけで辺鄙だというのに。こんなときばかり、日常を装うのが達者だ。
「お前は俺の妹だよ」
ひかりが気にしているということを、無視しないではいられない。兄妹のあり方が解らないものは俺も同じで、けれども俺は一等の不適当さを身に着けてやり過ごしているだけだ。
鈍感でどうしようもない自分では、快活さに隠れた繊細でナイーブな一面を持つひかりの悩みを芯に感じ取ってはやれない。同じ悩みを持つ最も近しい人間だというのに、俺はひかりよりずっと単純だ。
「可愛い?」
「可愛い妹だよ。他意はない」
「……新田さん、またかって顔してたよ」
「……俺がお前に弱いのはいつものことだろ」
「変じゃないかな?」
「どんなに頑張ったって他の兄妹と同じにはならないよ、しょうがないだろ。違うんだから」
抑え込む頭の位置が下がる。項垂れた頭に連動するように、全体的な空気がぐんと一段重くなった。
「ひかり」
「うん」
「俺たちは俺たちでいいんだよ」
こくんと頷いた髪の毛を、ぐしゃぐしゃに引っ掻き回す。
「味噌煮美味いぞ」
「知ってるよ、兄ちゃんの料理好きだもん」
「お前は食えればなんでもいいだろ」
「兄ちゃんの料理が一番好き」
俺は自分の料理の腕に自惚れたりしていない。種類は熟すし、食べられるものを出しているが、絶品とは言わないだろう。自分が食えればそれでいいものだ。
食道楽がそれをとっ掴まえて褒めるなぞ、不思議でしかなかった。
「そりゃ、どうも」
変にぶっきらぼうになった自意識具合に、バツが悪い。ひかりはくふふと笑ってばかりいた。
淡く照れくさいことが伝わっているのはそれこそ面映ゆくてしょうがないが、ひかりが笑うのならばそれでいい。いつまでもしおらしくされてしまうと、調子が狂ってしまう。
「皿持ってこい」
「はーい」
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