兄と妹とはなんですか?③
「お待たせいたしました」
入り組んでいるようで両親が再婚したと纏めてしまえる話題は、メニューが運ばれてくる前にすっかり終わってしまった。
少し遅めの昼食に、俺たちは舌鼓を打つ。一番楽しんでいるのは、ひかりだと胸を叩けた。わざわざ確認を取るまでもない。
「美味しい」
ふにゃんと相好を崩して感想を告げるのも、常時だ。
ひかりは感想を言わないと気がすまないらしい。遺伝子に刻み込まれた本能なのかもしれない。
正直食べられればなんでも美味しいというのは、作り手として甲斐はない。何を出したって、ひかりは上機嫌でいてくれるのだ。安い。本当に安い。
この子が美味しくないという態度を取ったことは、未だかつてないはずである。いや、顔面と味覚が合致してない可能性も残っているが。
「揚げ物って美味しいよなぁ」
「フライとかつ丼のかつはまたちょっと違うだろ」
「え。揚げ物は揚げ物だろ」
「食感の話をしてんだろ」
「味、味」
「味なら余計違うだろ。お前タルタルかけまくってるじゃん」
くだらないやりとりの間に、ひかりのどんぶりご飯はもりもりと消えていく。早食いのつもりはないのだろう。決意を持って急いでいるわけではないと思われる。
けれども、次を求めるばかりに、動きは機敏にならざるを得ないようだ。それでも食い汚くなどはないのだから、行儀はしっかりと仕込まれたのだろう。
母は、日本文化にかなり精通している。ひかりは黙って座っていれば外国人風だが、味覚から何から完璧な日本人だ。マナーひとつとっても、きちんとしている。俺よりも綺麗な所作をするのは、教育の差というよりはひかりの性格かもしれない。
俺が粗野であることも否めないが。
ピザなんて久しぶりだ。
ピザトーストや紛い物くらいなら自作するが、ピザそのものを自宅で作るのは骨が折れる。うちのベースは自炊で、デリバリーを頼むことは非常に稀だ。凝ったものを作るチャンスも、時間的にそう訪れない。
どうやって作るんだっけか。
生地さえあればトッピングは自由で、と思いに耽るのは最早習い性だった。ひかりがいるから――というよりは、親父との二人暮らしで身についたものかもしれない。
何しろ親父は、まともに料理をしない人種だった。
最低限、焼くというポテンシャルだけでやりくりしていたのだ。焼くのを失敗するほど不器用でもなかったが、味を調えることにはがさつで、そうなると自然俺は自分でやることを覚える。
それが今やひかりと俺を結ぶ重要なパイプであるのだから、やってきたことに損はひとつもなかった。自分気ままに美味いものが食えるのも、役得である。
爽快感溢れる食事を繰り広げていたひかりの視線が、ちくちくと俺を刺し始めた。厳密には、俺の手元だが。
食べ汚くはないが、人のものをシェアしようとする心組みが高い。俺以外に、むやみやたらにやっていないことを願いたいものだ。
「ほら」
あーんという声音がついてこなかったのは、幸いだった。けれど擬音が発生する場面であれば、あむと食む音が文字になっただろう。
チーズにも負けない伸びきった顔。俺はしばしば、ひかりの頬はもちか何かではなかろうかと疑っている。
「チーズっていいよねぇ」
「お前が好きなのは炭水化物」
「違うよ。チーズも好きだもん。ハンバーグにはチーズをのせて欲しい派だよ」
「知ってる」
「でしょ?」
にまにまと笑うひかりはちょろい。餌付けでもしているようだ。
「……兄妹って言われなきゃカップルだよなぁ、二人とも」
「はぁ?」
ひかりはすんでのことで声を封じ込めたようだった。けれども血相を変えたし、口は無音に動いていた。まるで俺がアフレコしたように、一秒の誤差もなく揃う。
そして顔を見合わせた。
そりゃそうだ。
「ないなぁ」
「こっちのセリフ」
「お前、贅沢だろ」
「どういう意味だコラ」
「ひかりちゃん、綺麗でしょ」
かぁっと、ひかりの白い肌に朱色が散った。
照れる仕草なんてお目にかかる機会は、希少だ。食べ物相手に頬を上気させているところは見るが、羞恥に染まるところなんて進んで見ようとも思わない。おまけにこんなシチュエーションは、兄としてそれこそ肩身が狭かった。
「そりゃそうだけど」
「はぁ⁉ 何言ってんの?」
悲鳴めいた高音が、店内を跳ね飛んだ。ちらりと探られた視線に、三人揃ってぺこぺこと頭を下げる。
「馬鹿じゃないの」
声は絞られたしテンションは下降したが、思うよりもずっと動揺した調子でひかりは俺をなじった。
ぎろりと鋭く睨みつけられるのは、久しぶりかもしれない。
思えば家族として過ごし始めてから、ひかりがこういった壮烈な当たりしてくることは減少した。言葉の節々に自粛もなくなったので、能動的にやっているわけではないのだろうけれど。
「一般論」
「穂村のそういうとこ俺、すげぇと思うよ」
「先に言ったのはそっちだろ、爽やかイケメンが」
「だって事実じゃん」
「やめてください」
俺への反応は推察しがたい感情であったが、新田相手だと純粋な恥じらいなのがよく分かる。なんとも言い難い言の葉が、喉元に絡まった。
はははと軽妙に笑う新田の声に、膜が張って聞こえる。まるで現状をシャットアウトしようとするかのような現象に、困惑が迫った。
誰が好き好んで、妹がほだされる瞬間を眺めたいと思うのか。拒否したいことこの上なかったが、それにしては適切な忌避理由が見つからない。それが胸につかえて、唇を硬く引き結んだ。
呑み込んだピザのチーズが、いつまでも喉の奥にまとわりついているかのようである。
そういえば仲人ってのは、適度なタイミングで中座するものか。
後は若い二人に任せて。
いやいや、そういうんじゃないだろ。
「チカ、もう一枚」
俺が脳内会話に花を咲かせている間に、現実は一段落ついていたらしい。よだれを垂らさんとばかりに口元を緩めて、おねだりをする顔は馴染んだものになっていた。俺はひどくほっとして、考えるよりも先に皿を顎で指し示す。
ぱっと光を散らしたひかりは、中でもたっぷりとチーズの乗った一ピースを強奪していった。ちゃっかりしている。
シェアの計算は織り込み済みだったとはいえ、どこかにわだかまりが残った。
「一口寄越せ」
残りを見定めて取られた分から催促すると、ひかりは目に見えて沈んだ。こんなときばかりは、気持ちと態度の均衡が取れているらしい。
「とってやるなよ」
「なんかこう……釈然としない」
「兄ちゃんだろ」
「それとこれとは別だろ」
「せっかくひかりちゃんが美味しそうに食べてるのにさ」
「……せっかくも何もこいつは食べられればそれでいいんだよ」
「失礼な!」
ふんと鼻息荒く憤ったひかりが、小さくテーブルを叩く。周囲への注意を怠らない理性は伴っていたが、威力も伴っていた。
「何でもいいなんてことはないもん」
「嘘だろ!」
反駁が激しくなったことは、誰に責められることではないと思う。ひかりの食生活を知っていて、そんなセリフを堂々と口にするのをスルーしろというのは無理だ。
うん、食べるの大好き!
と馬鹿みたいに認められたほうが、数百万倍は納得できる。
「嘘じゃないもん」
「いやいや、大食いチャンピオンが何言ってんの?」
「大食いなの?」
「そうそう」
「兄ちゃんのアホ! 言わなくてもいいじゃん」
きゃんと吠えたかと思うと、右肩を引っ叩かれた。遠慮解釈ない。
ひかりに引っ叩かれたくらいで痛むほど貧弱ではないが、それとなく肩をカバーしておいた。何度もやられたらたまったもんじゃない。痛みはなくても衝撃はあるのだ。
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