俺の②

 放課後になって、張りつめていた気が一気に緩んだ。

 新田から解放される。

 度外れて糾弾されたわけでも、致命的に虐められたわけでもないのに、自然派生的にそう思った。これでやっと、新田と正面から向き合わなくてすむ。

 代わりに罰則である草むしりが待っていたが、それくらい安いものだった。没頭できるものがあるのは、悪くない。とはいえ、これをもって反省をしているかと言われれば、全くしていないというのが本心だ。

 いや、一滴くらいは自戒している。だが、後悔はしていない。

 ひかりのために折る骨なら、何本だってへこたれるつもりはない。痛かろうが悶絶ものだろうが、それでも俺は歯を食い縛って耐える意気込みがあった。勿論、反省文にそんなことを書くわけにはいかないので、自重したけれど。

 手を出した非は俺にあるのだ。もう少し、颯爽と救い出せるに越したことはなかった。けれども俺にできたのは、みっともない乱闘だけである。それどころか、助けた張本人たちに心配されるというおまけつきだ。

 手段を間違ったことは猛省していたので、自重交じりの反省文は上手く捻出できていた。

 そんな風に態良くこなした罰則の中では、草取りはまましんどい。

 心理的作用はないが、まさに体力的問題が出てきた。鍛えることに精を出しているおかげで、体力がないわけではない。しかし、夏に近付く蒸し暑さは侮れなかった。

めきめきとエネルギーが吸い取られていく。

 吹き出る汗が、シャツを張り付かせて気持ちが悪い。じりじりと太陽に焼かれて、こんなことになるならば。と見当違いの内省をし始めた頃になって、ようやく放免となった。

 夕飯の買い物をして帰らなくては、と行きつけのスーパーに向かう。俺の寄り道はほとんどがこのスーパーだ。制服姿での入店はえらく目立つのだが、いちいち帰るのはかったるい。

 ひかりと出くわすのは、このスーパーの少し先が多かった。今日は遭遇することもあるまい、と時間を確認する。

 部活もなければ居残りもしない時間に慣れていると、なんだが飛躍的に遅いような気がしてしまう時間帯だ。早めに切り上げる部活生の下校とかち合うことが、貴重さを底上げしているのかもしれない。

 たまには肉なんて、ざっくりしたメニューでもいいだろうか。

 焼肉セットを手に取って考える。食い切れるかどうかを考えなくてもいいのは楽だが、エンゲル係数を無尽蔵に跳ね上げるわけにもいかない。二人前と考えると、他にもっと節約する手段があるのでは、と思わないでもない値段だ。

 まぁ、いいか。

 ここのところ野菜や魚が中心になっていたから、たまにはがっつりいこう。俺はいつだって財布と冷蔵庫の中身と向き合って、脳内会議を繰り広げていた。これは、親父と二人のときから変わっていない風習だ。

 さくっと他の日用品を買い足して、今度こそ帰宅路に着く。

 ぶらぶらとぶら下げたレジ袋を、僅か奇異の目で見られた。長ネギをさしたいかにもの風体に、俺があまりにもアンバランスだからだろう。

 それとも鞄のファンシーなハクマイが、俺からあまりにも乖離しているからだろうか。

 マシになったとはいえ、俺は今でも充分関与したくないジャンルの見てくれを有しているほうだ。生真面目であればあるほど、世代が上がれば上がるほど、警戒心は高まるであろう。

 つまり、ひかりらをナンパしていた連中と表向きにおいてはかけ離れていない。道を尋ねられたような経験もなかった。


「チカさん」


 そんな風に考えて歩いていたものだから、ひどく度肝を抜かれた。知り合いならまだ声をかけられる可能性もあるが、その微々たる確率を今引き当てるとは思ってもみなかったのである。

 北校の制服は慣れ親しんでいたけれど、その服に身を包んだその女子高生を見るのは初めてだった。


「汐田さん……今、帰り?」

「はい。チカさんは買い出しですか?」

「まぁね」


 汐田さんは飾らない足取りで、隣に並んだ。

 見下ろす頭頂部。近頃頭という部位に、やたらと着目していることに気が付く。そんな稀有なフェチはなかったはずだ。


「こっちだったんだな」

「はい。部活がないときはひかりちゃんと一緒に帰ってますよ」

「部活、お疲れ様」

「いえ、ありがとうございます。あの、チカさん」


 和やかな空気の狭間に紛れ込んだ堅苦しさに、身が竦みそうになる。

 まっとうな話に尽力する気力など、持ち得ていなかった。自分に対して悪手になるものであると、天性が現実逃避をしようとしているようだ。

 一度語句を区切った汐田さんは、意を決したようにこちらを見上げる。


「ひかりちゃんと何かあったんですか?」


 ド直球に投げられた球を取り零すのは、至難の業である。うっかり身体で受けとめてしまったら最後、見逃しなんて極度に嘘がつたな過ぎて滑稽だ。


「どうして?」

「最近、変だから。何かあるとすぐに髪の毛を弄っていて……、物思いに耽ってるって感じが凄くする。でも聞いても教えてくれなくって、寂しそうに笑うんですよ」


 汐田さんの中継は見事だ。まるでひかりがそこにいるかのような、完璧とも呼べる報告だった。

 どこか哀愁を誘う瞳で、緩やかに半月を描く唇。俺が撫でたあとの髪を、大事そうに梳くさま。

 イメージは鮮烈であった。


「……新田に告られたんだってよ。断ったらしいけど、まぁ、色々あるんじゃないの」

「……そう、かな」


 やりきれなさが、隠しきれていない。それほど手放しに渋った首肯だった。だからと言って、俺から開示するようなことはない。ひかりが言わないと決めたことを伝える気もなければ、そんな度胸もなかった。

 そして、命取りになるような兄妹の亀裂なんてものに、実体はないのだ。

 ただ接触に訳柄が乗っただけで、どちらかが何かを形として求めたわけではない。陳述すべきようなものは、何も起こっていないと言えるだろう。

 ――今は、まだ。


「二人って似てます」

「俺とひかり?」


 とてもじゃないが、似ても似つかない。親の一件がなければ、同じクラスにいたって話したかも怪しいものだ。

 義理の兄妹だと分かっていると、あえて似ていないなんて無神経に言う人間はあまりいない。気を遣ってくれているのだろう。けれどその気遣いも、似ていると表現するところまでは決して達しなかった。

 それが言うに事欠いて、似ている。


「似てるよ。同じように笑うから」

「……そう」


 異を唱えたところで、いいことはひとつもない。俺は無責任な返事で流した。汐田さんは、それ以上言い立てたりはしてこない。けれども、空気はビリビリと張りつめていた。

 適切な語彙が見つからないだけで、汐田さんがそれを探し当ててしまったら俺は胸を穿たれるような気がする。

 既にかなりの重傷を負っているけれど。

 寂しそうに笑う姿が似ているなんて、知りたくもなかったことだ。それならばまだ、性格が似てきたと言われるほうがずっといい。

 二人だけの秘密が俺たちを似せるなんて、あまりにも残酷だ。そうなって初めて、俺たちは兄妹のように似るなんて。


「そういえば、怪我大丈夫だった?」

「ああ、もう平気。驚かせて悪かった」

「そんなことはないけど……ひかりちゃんが大事だって良く分かる図でした」

「……勘弁してください。汐田さんのことも心配してたよ」

「ついでですよ」


 確信めいた口調で言う。

 どこかで聞いたことのある声音。

 なるほど。知らない誰かが似ていることなんて、ごまんとある。浮かんだ新田の抜かりない顔が、忌々しいほどに汐田さんの調子と重なった。

 俺は苦々しさを張り付けて、尻込みする。これ以上深入りされるのは、危険だ。言質を取られて困るのは、ひかりである。


「それじゃ、私こっちなので」

「ああ。気を付けて」


 汐田さんは葛藤を残したような顔をしたまま、手を振って去って行った。

 俺とひかりだけじゃない。汐田さんだって、同じような顔をして笑うんじゃないか。ひかりのことを、真に考慮してくれている人の顔だ。

 安堵を渡すためには、俺がどうにかする以外にないだろう。

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