波紋は止められますか?④

 そして、人は見かけによらない。

 いや、ただ気兼ねしていただけなのかもしれない。乗り物というファクターを通して、汐田さんは見事に元気いっぱいになっていた。生き生きとした活動力に、俺は若干気圧されることもあった。

 そんな体験を挟みながらも、時間は瞬く間に過ぎていく。俺たちは別れた広場に戻って、ひかりたちの帰りを待った。

 ベンチに座った汐田さんのつむじを、ひっそりと見下ろす。何もしなくても、下方に位置する栗色の頭上。また粗忽にも金色と比較している。

 自罰的な思いが擡げるほど、切迫してはいないだろう。いないはずだ。そのくせ慣れない女の子の気配は、ひかりの存在を浮き彫りにさせる。

 がしがしと掻き回した髪に跳ね返る感触が、やけに指に絡まった。


「チカくーん」

「気色悪い!」


 唐突に飛び込んできた声に、悩みが吹っ飛ぶほど寒気立つ。

 嫌悪を一足に飛び越した俺の惨状を見るや否や、呼びつけた張本人は腹を抱えて笑った。


「悪趣味かよ。ねぇわ」

「いやぁ、だってひかりちゃんがあんなのはチカでいいんですよっていうからさ」

「変な呼称がついてた」

「間違っていないだろ?」


 からっと笑う軽口に、憤慨するやら毒気を抜かれるやら。一時的に殴りつけてやりたくなった感情が、すこんと抜けていく。


「じゃあ、智君。早く行こう?」

「……気持ち悪い」


 当たり前だ。やられたらやり返す。

 俺は信念を押し通すし、新田相手に手加減などしない。にこりと付属させた笑顔が、みょうちきりんさを増幅させたことだろう。


「もう、ふざけてないでよ」


 俺と新田のまるで無益な争いは、ひかりの仕切り直しで終了した。溜飲を下げるのも不愉快だが、かといって食い下がるのも馬鹿らしい。

 まだ目的地も決まっていないくせに歩き出すひかりについて動き出したのは、膠着する女々しい姿は見せたくなかったからだ。

 往来で四人が横並ぶことはまずないが、それにしても二列に収まろうとする習性はなんなのだろうか。俺たちは女の子二人の後ろにくっついて、出遅れた分を追いかけた。


「どうすんの?」

「レストランで良くないか?」

「いいの?」


 うちでの外食決定権は、ひかりにある。

 自炊のメニュー決定権は完全に一任されているが、最終的にはひかりの注文に答えるので俺の意見などあってないようなものだった。


「フードコードって他にもあるの?」

「まぁ……ホットドッグとかケバブとか見たけど」

「本当⁉」


 要らぬ候補をくれてやったなと、後悔してももう遅い。できるだけ欲望を満たしてやりたいなんて、殊勝な想いがどこかに埋まっているのか。教えてやることなどなかったというのに。

 散々っぱら無意識を刺激されてばかりで、自分を見失ってしまいそうである。


「ジェラートもあったよ」

 わぁと上がった感嘆に溢れ返る喜色といったらなかった。

 ひかりが大食いであることなんて、すぐに看破できる。隠し立てなど不得意であろうし、伏せる気もないだろう。汐田さんも承知の上で持ち掛けたように聞こえた。


「デザートは別腹なんだろ。後にしろよ」

「レストランにもデザートあるでしょ? メニュー出てるだろうし、見てから決めればいいんじゃないかな?」

「何があるかな?」


 そこからはメニュー当て大会が開催された。

 といっても、ひかりの独壇場だ。

 あれもこれもと思いつく限りの料理名を羅列して、二人が異議を唱えない手ごたえのなさそうなラリーが続く。壁打ちと何が違うのだろうか?

 楽しそうなので放っておいたが、それはそのままレストランに到着するまで止まらなかった。




「で、どうなの? 汐田さん」


 ギリギリまで天秤にかけていたひかりを、半ば強制的にレストランに連行した。入店さえしてしまえば、店内に漂う香ばしさや品目に陥落することなど自明の理だ。逃げおおせることなどできるわけもなく、ひかりはたわいなく籠絡した。

 すっかり腹を満たして、女子二人は中座している。

 団欒は一段落。息を抜いたところで投げ込まれた問いには、眉を寄せるだけの鈍い反応しか返せなかった。

 食への充実感に脳はリラックスモードに突入していて、低速もいいところだ。


「いや、だから汐田さんだよ。どう?」

「どうってどういう意味だよ」


 剣呑な目つきになったことは我慢して欲しい。

 これはただの娯楽であるはずで、それ以外の色合いなど持たないはずだ。デートだのの戯言は、その場で棄却したはずである。有効ということはあるまい。断固として、認める気はなかった。


「穂村って朴念仁だっけ?」

「……新田はそんなに下世話だったっけ?」

「下世話に決まってんだろ? なんたって百人切りですから」

「それはマジなのかよ」


 新田はにこやかに口角を持ち上げて笑うばかりだ。

 真相にはだんまりを決め込むつもりらしい。ふしだらな噂を都合良く利用する在り方というのもそうあるものではないと思うが、新田にとっては価値ある境遇のようだ。理解不能である。


「で? どうなの?」


 いつになく、頑迷だ。

 ほじくったところで良いものは引き当てないと早々に引き上げた俺は、再度の窺いにぐっと唇を引き結ぶ。


「だから」

「汐田さん、可愛いじゃん」

「それは、まぁ……そうなんじゃない?」

「やけに渋るな」

「そういうわけじゃないけど」


 ひかりにタイプだろうとあげつらわれたことが、ここでも足を引っ張る。

 可愛いと素直に顎を引いていいものか、分からなくなってしまった。何も疚しいことはないというのに、どうして後ろ暗い葛藤に駆られなければならないのだろうか。

ろくなもんじゃない。


「昼からも別れる?」

「勘弁してくれよ」

「なんだよ、汐田さんと二人嫌なのか?」

「お前とひかりを二人にしておくほうがずっと嫌だな」


 俺は新田が何気ない掛け合いで、変調をきたすところを見たことがなかった。鼻持ちならないほどにクールであるのが、アイデンティティーだと思い込んでいる節さえあったかもしれない。

 その新田が、ぱちくりと長い睫毛を瞬いて硬直をする。ハトが豆鉄砲を食らったような顔だ。


「なんだよ」

「お前はひかりちゃんのことになると直截だし、辛辣だ」

「はぁ?」


 全面的に、怪訝な発声になった。

 静けさを誇る店内で、僅かに浮つくほどオーバーアクションになったことに憮然となる。こほんと咳払いをして、声量を絞った。


「別になんもおかしいことは言ってないだろ」

「独占欲でもあるんじゃないのか?」

「……兄貴としていらん噂の男と二人になって欲しくねぇだけだよ」


 新田の言わんとすることに、後追いで辿り着いた。ぎろりと見据えれば、新田は切れ長の目を眇めて俺を凝視する。


「やけに突っかかるんだな」

「自覚がないってのは性質が悪いもんなんだなと思ってる」

「生憎だけど自覚はある」

「ねぇだろ」

「あるっつってんだろ」


 ピリピリと神経が尖っていく。

 無益な言い争いであると抑制のきいた自分が零すのに、別の自分がエンジンをふかした。

 無意味な応酬をしているほうが有益だぞ、と制御を司る部分が叫んでいる。けれどもエンジンの轟音がうるさくて、良く聞こえなかった。

 場所が場所でなかったら、もっと恥も外聞もなかったかもしれない。良かったなんて、平静を装って分析をしている自分もいる。そうしてバラバラなことを考えていることが、何よりも混乱している証拠だ。

 拮抗した睨み合いに、バチバチと火花が散る。新田に引く気はないらしく、こうなってくると意地の張り合いだ。自発性がないとしたって、ここで引いては男が廃る。

 絡まれて凄むことなんて中学以来だったが、俺の十八番でもある。


「大体、だったらなんだよ」

「ひかりちゃんをお前が縛るもんじゃねぇだろ」

「縛ってねぇだろ」

「縛ってるよ」


 新田は確固たる調子で断定した。

 そんなつもりは万に一つもないし、ひかりだってそんな素振りを見せたことはない。妹相手に束縛など、そんなわけがない。

 決然と言い切れるはずなのに、やたらと脈拍が上がっている。

 ぎりぎりと締め付けられているのは、一体身体のどの部分だろう? 胃だと信じたいような、心臓であるような。

 とにかく嫌な体感が纏わりついて、気分が悪い。それでも尻尾を巻いて逃げる気なんぞ、露些かもなかった。

 意固地になっているのは、分かっている。でもそれは、俺だけじゃない。新田だって、強硬な態度をびた一文譲る気はないようだった。

 それでも緊迫した俺たちが最後の一線を越えずにすんだのは、レストランに不穏当な不協和音が割って入ったからである。それがなければ、俺たちはいっそ大立ち回りする羽目になっていたかもしれない。

 後になってみれば、殴り合うには愚劣な議題であったのだけれど。


「やめてください!」

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