波紋は止められますか?③

「チカが絶叫マシーン乗りたいって騒いでたのを覚えてる。背が足りなかったんだよね」

「その頃から小っちゃかったのか」

「余計なお世話だし、俺は別に小さくはない。だいたい小一の話だっつの。ひかりだって観覧車が怖いって騒いだろ」

「うっさい!」


 やられたらやり返す。目には目を歯には歯を。

 ひかりは罵倒であっけなく逃亡を図った。何しろ俺のほうは過去の遺物であるが、ひかりは現在にも地続きの弱みだ。高所恐怖症を患っているひかりは、今でも観覧車には乗れない。

 ついでに言えば、家のロフトにも上がれない。おかげさまでロフトは俺の神域となり、治安が守られている。気が緩んでポカをやらかしたのは記憶に新しいが、基本的には見つかるとまずい私物はすべてロフトに隠し立てていた。

 そうしていれば、まず間違いなく大丈夫。絶対的な隠れ家にできてしまうほどに、ひかりは徹底して高所恐怖症だ。

 そのことがあって、この誘いにも最初は尻込みをしていた。アトラクションのほとんどは、どうしても高所を通過するものが多い。ひかりは乗ることができず、周囲のテンションを下げることを気にしているのだ。

 それを押し切ったのは俺で、餌はそのまま餌だった。フードコードを引き合いに出せば、釣り針にあっさり引っかかったので、そのまま連れ出した次第である。

 今のところ消極的になっている感じもないし、強引なのもたまには悪くなかったのだろう。

 特別に意志薄弱ではないが、俺にだって遠慮という概念が存在している。起こり得た事象に対して引くことは少ないけれど、元より精力的に物事を引き起こすことを原則としてしようとは思わない。

 特にひかりには、留意していた。……四六時中、念頭に置いているわけじゃない。それでもこうしてひとつひとつを切り取って検分すると、隠しきれないものがある。

どうにも出過ぎた思考ロジックが稼働したまま休まらない。

 きっかけは、ひかりか。新田か。それとも潜在的に黙過していただけかもしれない自分自身なのか。それこそ、熟考すれば混迷を深めるだろう。


「お化け屋敷なら平気?」

「うん」

「あ、あの、私……」

「あれ? 汐ちゃんダメだっけ?」

「待ってる! 待ってるから、気にせず行ってきてよ」

「それはちょっとな……困ったね」


 眉尻を下げる新田には、寂寞感が漂う。見ていてむず痒くなってしまうのは、こいつが男相手ではこんな顔をしないことを知っているからだろう。

 友人としては微笑ましく思えなくもなく、同時に兄として気に食わなくもある。相反する気持ちを保持しておくのは、気が休まらないものだ。


「俺が汐田さんと待ってるよ。お前ら入ってくれば?」

「そんな! チカさんに悪いですよ」

「いいよ。俺もあんま好きじゃないし」

「じゃあ、二手に分かれようぜ。俺はひかりちゃんと回るし、適当に時間決めて集合ってことで」

「いいんですか?」

「いいって」

「遠慮しなくていいよ、汐ちゃん。こう見えて兄ちゃんいいやつだから」

「悪かったな、ガラが悪くて」


 中学時代は、それで色々と絡まれた経験もある。ルックスはどうしようもないじゃないか。


「そんなことないですよ。じゃあ、私はチカさんと」

「昼?」

「でも、混むだろ? 昼飯とか。ちょい早めで」

「それじゃあ、まぁ……十一時集合でそっから探す方向で」


 現在の時刻は、まだ九時を少し回ったほどだ。ほぼ初対面の知人と別行動するには、存分に時間があるだろう。持て余すかもしれないなとは、根性がないにもほどがあった。

 何に引っかかることもなく決定となった配分に、新田はさらっと手を上げて去っていく。手際が良い――とは、ちょっとやっかみが混じっているかもしれない。


「回りたいとこある?」

「あ、えっと……絶叫マシーン行きましょうか?」

「平気なの?」

「はい」


 にこりと微笑まれて、脱力した。

 やたらに注意が向くのは、ひかりのせいだと思いたい。好みだろうと冷やかされたことが効いている。そして相手はひかりの友人だ。二重にも三重にも気にかかる成分が入り乱れて、脳裏をちらついた。

 とはいえ、きっかけがひとつでもあれば、硬さなんてものはことのほか簡単に溶けるものだ。運良く待つことなく乗ることができたジェットコースターが、俺たちのキーだった。

 吊り橋効果では、使いどころを間違っているかもしれない。けれど打ち解けるという意味合いでは、同じようなものであっただろう。

 一度恐怖と楽しさを共感してしまえば、後はゆったりと和らいでいった。

 その間で溶けたものは、緊張や壁などの不可視なものだけではなく、確実な誤解だったりもする。

 ひかりは俺を兄と紹介したし、それ以上言及などしていない。同級生の兄だという暴露を、わざわざしやしていなかったであろう。俺たちは全く似ていないくせに、変なところで似ているのだ。そんなものは所詮友人と趣味が同じであることと、変わりはないのだけれど。

 ともかくそんな中で、私服で直面すれば学年なんてものはますます分からなくなる。だから汐田さんは漫然と、俺――ひいては新田を年上だと早とちりしていたのだ。

 それについて俺は勝手に白状して、勝手に完結させた。

 義理の兄妹をどう汲み取ったのかを、確かめる気はさらさらなかった。聞いたところでどうにもならないし、今は新しい反応を受け止める受け皿が余っていない。

 それでも妙な緊張を解すことに成功したのだから、願ってもない恩恵があったと言えるだろう。

 共通項であるひかりや学生生活を主軸において、話題はとりとめもなく飛び交った。雑談でさえも妹から離れられないことは、失笑ものだ。それでも、他が見つからないことを理由に宛がって、ここぞとばかりに俎上に載せる。

 アトラクションに乗っている時間のほうがずっと長かったが、汐田さんが陸上部という情報は手に入れることはできた。

 道理で……と思ったことは、口にしなかっただけ許して欲しいところだ。まさか筋肉のつき方から運動をしていると思ったなぞ、音にできない。

 多かれ少なかれ引き上げたであろう好感度が、マイナス値にまで落ち込むであろうことは明白だ。明確な数値なんて測れなくても、変態の烙印を押されることは避けられない。

 自身の消極性がこんなところで役立つとは、短所も存外馬鹿にできないものらしい。

 下手に耐え忍んだ口数のおかげで閑話休題となり、汐田さんのプライベートに迫るような一席は立ち消えた。

 目に映る風景――園内の様子を、取り上げていく。お土産屋にも寄りたいだとか、クレープやポップコーンなどの出店が気になるだとか。後者を口にしたのは俺で、どうにも誰かの姿が見え隠れしているようでいけ好かなかった。

 ひかりの存在が、やたらと炙り出される。一度引っかかった何かが、どこかで主張を続けているかのようだった。どれだけ頑張ってみても、一向に消えてくれやしない。

 乗ったのはジェットコースターとスライダー、タワーものというひかりがいたら顔を青くしていたであろう絶叫のオンパレードだった。汐田さんはぴんぴんしているどころでは飽き足らず、ひどく興奮しているらしい。

 面白かった! と飛び出す感想の迫力は、小さな身体を目いっぱいに使ってもたらされた。落ちるたびに上がる悲鳴も嬌声であって、恐怖ではない。俺なんかよりもずっと、絶叫狂だったようである。

 そんなものがあるかは知らないが。

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