三品目

波紋は止められますか?①

 開演は九時だという。それに合わせた待ち合わせは駅前に八時半、と休みにしては早めの集合になった。

 言い出しっぺが誰だったかは分からなくなってしまっていたが、どうせの積み重ねは遊びきってやるという奇妙な積極性に変換されていた。朝から夜までの一日がかりの予定である。


「晴れたねー」


 中間試験が終わって一息。梅雨の合間の、まさしく五月晴れの日曜日。ギリギリまで天気予報と密に相談を囁き合った甲斐があったというものだ。

 お気楽に空を見上げて呟くひかりの瞳は、快晴の空を映し込んだかのように青く澄み渡っていた。

 毎日のことながら、制服を脱ぐとひかりは高校生に見えなくなる。清楚系で纏めているどこぞのお嬢様然とした姿は、女子大学生に見えるだろう。鞄からぶら下がっているハクマイ君だけが、幼さを醸し出していた。それでも留学生に見まごうルックスだ。

 可愛いと憚らないのは、何も俺が妹の後見役であることがすべてではなかった。こうして隣に並んでいると、それはより顕著である。

 ひかりに留まる視線に気が付かないほど、俺は愚鈍ではない。心中を慮る機微は持ち合わせていないが、動作に対する観察眼はそう悪くはなかった。不躾な視線を鋭くねめつけて反抗するほどには、瞬発力があると自画自賛してもいい。

 いや、こういうのが兄なのかと自問自答する原因になるのか。

 ひかりのあおりを受けて、新田に投げかけられて、まんまと術中に嵌っていた。何気ないところで、自認していなかったものがちくちくと胸を刺して存在を喚き立てる。

 邪魔だ。

 思考も、周囲の視線も、ひかりの服装も。


「お前さぁ」

「なーに?」

「……なんでもない」


 怪訝さは十二分だったが、ひかりが食い下がることはなかった。遊園地への興奮度のほうが、よっぽど高いらしい。

 俺は口元を抑えて、手のひらに息を閉じ込めた。漏れそうになったセリフは、過干渉に過ぎる。セーブが利いたことに、胸を撫で下ろした。

 脚出し過ぎ、胸強調し過ぎ。

 とはいえ、ひかりは含意がなくとも香しさを持ち合わせているので、この忠告は当人に当てこすっても無意味だ。制服であったとしたって、そのボリュームは帳消しになることはない。

 肉体についての熟慮は、完全に余計なことだった。

 錯乱、倒錯。マイナスに強い困惑に、じわじわと浸食されている兆候がある。このままでは、割ってはいけないラインを割りかねない。嫌な感じだ。

 顔を覆って一息。天を仰いで、一息。ああ、ひかりの色だな。なんて、慰みにもなりやしない。


「あ、汐ちゃん!」


 ぴょこんと跳ねたパンプスが、友人を呼び込む。

 汐田未央しおたみおさん。ひかりの友人は、招待券のための四人目だ。いい子だよ、可愛い子だよ。とおススメめいた紹介が事前にあったが、取り合わずにおいた。

 とことこと近付いてきた汐田さんが、ぺこりと俺に頭を下げる。遠目には遠近法を疑ったが、眼前に迫るとよっぽど小さかった。ひかりの隣に立つことで悪目立ちしているが、それでなくても低いほうだろう。

 全体的に、華奢な女の子だ。けれど、ただ細いというわけでもないようで、ショートパンツから伸びる脚には芸術的な筋肉がついている。運動をやっていないと、こうはならないだろう。

 短くて動きやすそうな髪型を見るにつけ、運動をやっているイメージは描きやすい。スポーツ少女が持つ一定の清涼感は、一体どういう原理なのだろう。まだ来ないスポーツ少年にも、同じような働きが備わっている。


「兄の佳親。こちら汐田未央ちゃんね」

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 ぎこちない挨拶は、背筋が擽ったい。

 改まって考えれば、ひかりを除く女子高生と交流を持つ機会はめっきり低空飛行だ。それだけ新田と連れ立っていると見るべきか、俺がコミュニケーションを怠っているかの二択である。

 どちらにしても虚しい限りの二択に、萎れたくなった。


「すまん。待ったかな?」


 息せき切って駆けてきた新田に首を横に振ったのは、ひかりだ。

 男同士――俺と新田であれば、適度に罵りを交えながら出発したことだろう。少なくとも、そんなことないですよ。そうかな? などと良く見るデートの開始風景を目の当たりする羽目にはなっていない。

 思いやりがあれば普遍的な接触なのだろうが、それが友人と妹になるとにわかに心が騒ぐ。

 なんだか甘酸っぱい応酬に、同じく友人の立場として見守っていた汐田さんと奇妙な連帯感で視線を合わせた。




 遊園地から出ているマイクロバスに乗り合わせた乗客は、大繁盛に相応しい。休みにおける人間の活発度は、何事なのだろうか。休みは休めばいいのに、と自分のことは棚に上げて胸中で理不尽に愚痴る。

 満員のバスに塊になって立っていると、汐田さんは潰してしまいそうで怖い。おっかなびっくりで、不自然な合間ができてしまうことがまたぞろ負い目になった。


「てっ⁉」


 ついつい、汐田さんに気を取られていた。

 その視界に慣れ親しんだ足が割り込んできて、靴底が容赦のない攻撃を仕掛ける。いくらヒールじゃないといったって、踏まれれば痛い。

 ましてや、自分とそう変わらない体重の女だ。バスに揺られる不安定さも作用して、力んだ分の力量がすべて片足にかけられるのだから、たまったものではなかった。

 目を眇めるとひかりはふんと顔を背けたが、足はそのままである。


「ひかり」

「何よ」

「足。重いんだよ」

「重くないもん!」

「あのな、別にお前が特別重くなくったって、体重かけられりゃ痛いんだよ」

「……どうせ、でかいもん」

「はぁ⁉」

「……小柄好きが」

「待てや、誰がそんなこと言った?」

「だって、この間の」

「てめぇ、また⁉」


 一度味を占めたら、なし崩しになりがちなことは分かっている。そして俺は、一度許可したものを撥ね退けることに非力だ。大した実害がなければ、それでいいじゃないかと思ってしまいがちである。


「あ、じゃあ、筋肉バカ?」

「ひかりちゃーん」

「意識してんじゃん」


 その目がひらりと、汐田さんへと落ちる。彼女に気付かれないうちにすっと逸らすあたり、自分が馬鹿らしいことを言っているのは認めるらしい。

 限界まで潜められた声は、点在しているざわめきに紛れ込ませることに成功し、汐田さんにも届いていない。いつもは車内のうるささに顔を顰めるほうだが、今日ばかりは感謝をしたくなった。

 人間なんて、結局自分本位である。

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