二品目

兄と妹とはなんですか?①

 退屈な授業の間でも、浮いている空間の中でも、大食いの挑戦中であっても、妹の好みをあてつけられてからの時間経過も、すべてが平等だ。何があっても同じように時は流れて、無作為に時間は消費されていく。

 などと大仰に言ったところで、要はなんの進展も変化もなく試験期間がやってきたということである。

 何を考えていても、気にしていても、学校は容赦なくイベントを用意してくれるのだ。

 つまり、ひかりが新田に一目惚れをしたであろうと推測される日から、二週間は経過している。

 名も知らぬ人間を探して、引き合わせて欲しいというお願いは一両日中だった。そうであったくせに、新田――ひかりは名さえ知らないだろうが、兄と対していた人間を紹介しろとは言ってこない。

 では、これは俺の気のせい。思い上がりかと思いきや、ぼーっとしているひかりの顔があの瞬間とぴったり重なり合うのだ。その度に、気忙しくなってしまう。行動を起こさない沈黙の雲行きが、歯痒くてならなかった。

 そればかりか、ひかりは近頃節制というものを試みている節がある。これは軽微なものだ。ひかりの食生活を知らない人間からしたら、うんざりするほどに食べている。

 けれども、俺から見ればその差異は決定的であった。何しろ、専属シェフ扱いされているのだ。分からないわけがない。

 ご飯のおかわりは、一杯までになった。デザートの催促は、あの日以来聞いていない。ただお膳立てをしていれば、食べない選択肢はないようであったが。


「穂村? どうしたお前、ぼうっとして」

「あ?」


 学校に居ても、ひかりのことが頭から離れることはない。

 ここだけ聞くと、俺はやけに面倒見が良くてお節介な野郎だ。けれど新田とつるんでいる以上、考えずにはいられない強制力が働くのだ。

 能天気なくせに整った顔を傾げられると、複雑怪奇なものが沸騰しそうにもなる。その正体は混沌としているが、ぶつけたらただの八つ当たりだということだけは確定的だった。


「お前最近変だけど、なんかあったの?」

「いや、勉強のし過ぎでショートしてるだけ」

「最終日でよかったな」

「まったくだよ」


 なんともだらしない伸びをする新田は、解放感に満ち溢れていた。俺も無駄なことを蹴っ飛ばして、すかっとしたい。


「飯でもいかね?」

「あー……ファミレス?」

「だな。金ないし」

「だよなぁ」


 学生の溜まり場なんて、相場が決まっている。

 駅前のモールには小洒落た喫茶店やレストランが入っているが、ランチに千円以上を支払う余裕はそうあるもんじゃない。こうなってくると、学生たちはこぞってファミレスやファーストフード店に群がることになる。

 テスト最終日。

 部活動の再開がされるかされないかの瀬戸際。午前中で学校が終わる生徒たちの思考回路は、十中八九同じであるようだった。

 俺の通う雨月南高校と、ひかりの通う雨月北高校は一部学区がかぶっている。どちらの学校にも通うことのできる地域が存在しているのだ。よって、電車通学で北高へ行くひかりと同様に南に来ている新田など、学生の行き来はかなり多い。

 テスト日程のかぶりも相俟って、駅前は黒山の人だかりだ。こういった事情の中で、ひかりは坂神先輩を見つけてきたのだろう。

 坂神先輩とは、あの後一度だけ遭遇した。一度接点ができると今までとんとなかった結びのようなものが発生し、偶然鉢合わせるのは魔訶不思議である。

 単に気が付いていなかっただけだと言われれば、それまでだろう。けれど坂神先輩に関しては、それはないと言い切れた。あの巨漢を排除して生きるのは、鈍感が過ぎる。

 とにもかくにもその一度で「妹さんに何度も謝られたよ。気にしなくていいとお前からも伝えてやってくれ」と頼まれた。

 どうやら駅構内で、声をかけられたらしい。過剰に頭を下げるひかりが想像できて、苦々しかった。これなら下手な手を打たせないほうが、無難だったかもしれない。

 それでも先輩の気にしていないには真実味があり、俺も一安心したのは秘密だ。


「チカ?」


 呆然と歩いていたわけでもない。

 けれど、普段駅側に近付くこともそうないので、やってくるとついつい目が泳ぎがちになる。

 そんな中かけられる声には、なにがしか動揺するところがあるものかもしれない。だが、 声の主は、姿が見える前には割れていた。衝撃的なことなど、ひとつもない。


「おう」


 すぐに発見しては、手を上げて答える。人混みの向こう側。頭一つ飛び抜けるとは言わないまでも、ひょこんと覗いている金髪を見間違うわけもなかった。

 それは紺色のブレザーの間をひょいひょいと縫って、近付いてくる。


「なんでこっち?」

「最終日だから」

「息抜きに遊んでやろうって? ご飯は?」

「……今からだよ」


 そうして新田の存在を仄めかすと、たちどころにひかりの動きがぎこちなくなった。

 間の抜けたような、妙に力んだような、掴みどころのない笑みで小さく頭を下げる。新田のほうも、突然現れた少女の存在に不審が拭えない顔だ。

 お辞儀を返した新田の表情は、予断のない立派な爽やかさではあったが。こういった所作が、人好きされる所以であるのだろう。こやつがモテていることなど、入学当初からお見通しである。


「妹のひかりだよ。こっちはクラスメイトの新田智」


 初対面――ではないのだが、顔合わせを仲立ちするのは俺しかいまい。どちらとも面識があるのに、社交が始まるのを平然と眺めていられるほど気は長くなかった。


「は、初めまして。いつも兄がお世話になってます」


 頬に乗った淡い朱色が判別できてしまうのは、ひかりが色白だからだろうか。それとも、他の誰でもないひかりの表情だからだろうか。

 言えることは、気が付いてしまわなければ良かったということだけだ。


「あ、いえ、こちらこそ、ってか……え?」


 新田はここに至って、妙に挙動不審になった。

 知り合ってから今まで、ここまで狼狽する新田を見たことがない。授業中にうたた寝をこいて先生に指されたとしても笑って丸め込んでしまえるほど、慌ただしいリアクションとは縁遠い存在だと勝手な幻想を抱いていた。

 まぁたとえどんな立ち居振る舞いも、よほどの変質性を帯びていなければ見栄えがいいのはイケメンの特権であろうが。


「なんだよ」


 一通り視線を彷徨わせて、不審を表面化した新田の瞳が最後に射抜いたのは俺だった。若干のジト目に、眉根が寄る。


「……双子だったか?」


 新田はますます瞳を細めて、じっくりと俺を視察した。

 ああ、そういうことか。


「そう見えるか?」

「……いや」


 新田は変なところで直截だ。というか、ここまであけっぴろげに取り乱した以上、つたないまやかしは不要と踏んだのかもしれない。確かに今更取り繕われても、筒抜けである。

 石を呑み込んだようにあやふやな新田をよそに、ひかりは不満げに眉を下げて俺を見据えた。

 知らせていなかったのか、とその目が申し入れている。

 アイコンタクトが負荷なく通じるようになったのは、いつの頃からだっただろうか。


「まぁ、なんだ。血の繋がりないからな。同級生の妹だよ」


 俺たちにしてみれば、もう折り合いのついていることだった。

 深刻性もなく成立しているが、これが世間一般には異色のサンプルだとも自覚している。

 義理の兄妹であれば、それほど稀有ではないだろう。けれども同級生となると、途端に数は減るはずだ。

 新田は案のごとく、覚束ない表情を浮かべてお粗末な相槌を打った。

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