好物はなんですか?⑥
「お前、こういうのやめろよ」
「ダメだった?」
「一人で挑戦しろ」
「一人じゃ無理だって思ったから、坂神さんにお願いしたんだよ」
「……俺の身にもなっていただけませんかね」
「嫌だった?」
満足いくまでラーメンを堪能し、あまつさえ賞金が出ている。有頂天と呼んでも過言でもない華やかな空気が、見る間に萎れた。
ほら、人の機微を悟れない子ではないのだ。ただちょっと、おバカなだけなのである。救いようがないのだけれど。
「分かればいいよ」
ぐしゃりと頭を撫でて、宥めすかす。いくらひかりのほうがでかくても、撫でることに難はない。ついつい手が伸びるのは、癖になりつつあった。
絹のような髪質は、何度指を通しても快感を呼び起こす。故にこの癖は、頻度が増す一方だ。
「……坂神さんを見かけたらちゃんと謝罪しておくね」
「分かってるならいいけどさ、ああいう体格の人探してくるの得意だよな。何? タイプなの?」
「タイプっていうか、たくさん食べる人は好きだけど」
「ふーん?」
「何? 聞いといて適当な」
「いや、妹の好みなんて聞いたところでなぁと思っただけだよ」
「チカの好みは?」
「……俺の話、聞いてた?」
「だって気になるんだもん。胸? お尻? 足?」
どう考えても、からかう意味合いで尋ねているのが分かる。男がフェチとして挙げそうなポイントを狙い撃っているのが小賢しい。
「なんで見た目に限定した?」
「だって従順な子が好きじゃん?」
俺は思わず歩を止めた。
コイバナをひかり相手に繰り広げたことなど、今この瞬間まで存在しない。どこをどう切り取って、まるで見てきたかのように断言するのだ。
「……この前、一階に紙袋置きっぱなしにしてたから」
「おまっ⁉ 見、た……お前なぁ⁉」
セーフかアウトで言えば、アウトな代物だっただろう。しかし、この年頃で隠れて興じない男は物珍しい。
数少ないそういった類のものはロフトへ避難させるのが常だが、時にはうっかりを発動することだってある。
「意図したわけじゃないもん。こうちらっと?」
悪びれる様子もなく、親指と人差し指の間に僅かな隙間を作る。その向こう側に見える堂々とした顔が、無性に腹立たしかった。
趣味が偶然割れるのと、口頭で語るのはまた別ベクトルの感情問題だ。
「……勘弁しろ」
「でも、本当ってことだ。じゃあさ」
これ以上議論していたくなくて、打ち切った。話もひかりも置き去りに歩き出した俺に、ひかりは貪欲に追い縋る。逃がすつもりはないらしい。
ここまで野次馬的なアグレッシブさを持っていたとは、知らなかった。ありていに言えば、知りたくなかった。
「おっぱい好きなの?」
ぎろりと睨み上げると、一点の陰りもない瞳とかち合う。
クイズに正解することが嬉しいという単純明快な思考様式なのだろう。あんまりに泰然としているので、意地を張ってシャットアウトすることがやけにアホらしくなる。
「だったら?」
「……ふーん?」
「張り切って聞いといて、その反応かよ」
つい今しがたと立場を入れ替えてのやり取りに、苦笑が零れる。
落としどころだろうとした俺の横で、ひかりは視線を落としていた。思わずなんだろうと向けた視界の先では、失敗が待っていた。
「好きなんだ?」
「からかうんじゃねぇよ」
膨らんだ胸元を介して絡み合った視線に、ぎゅっと眉根が寄る。ひかりは悪戯が成功した子どものように笑った。
力は入れない。拳を押し当てるように手緩い肩パンを放つと、痛いよ。と愉快な笑い声が上がる。ひかりにとってはただのじゃれつきで、俺の羞恥心なんぞにはちっとも気が付いていないのだろう。
暴かれたこちらは、お前が思っているよりずっと途方に暮れているのだけれど。
「そっか、そっかぁ」
「感心した声出すなよ。あくまでも要素の話だからな」
「従順な巨乳?」
「まとめんな」
ひかりは何が楽しいのか分からないが、くふふと口元を隠して笑いを零している。
どういう感情なんだろうか。そして俺は、どういう感情でいればいいのだろうか。
妹に性癖をゲーム感覚で当てられた惨めな兄貴の対応など、俺の辞書には存在していない。ないページは、どれだけ捲っても見つかるはずもなかった。
しかし、まんまと正解に漕ぎつけたことで、ひかりは極上気分らしい。変わらず意味深に見える笑みを浮かべながらも、無駄口を叩かずに隣を歩いている。
話題が閉じたことはありがたかった。それにしても、今ひかりを観察するのは得策じゃない気がして、釈然としないままに視線を逃す。
休日の駅前は、よく賑わっていた。
「帰るのか?」
「買い出しはいかなくていいの?」
「……お前、夜どれくらい食えるの?」
「まだまだいけるよ!」
悄然としたくもなる。
この身体のどこに、食料が格納されていくのだろうか。胃下垂なのは知っているが、それにしたってブラックホールだ。
胸か。胸の成長に全エネルギーを注いでいるというのだろうか。
俺のしらけた反応にも、ひかりはめげない。
空元気だとか気を利かせているだとか、そういう類の努力ではなかった。マイペースなのである。超然としていられるのが、ひかりの良いところでもあり、困惑を誘う短所でもあった。
「デザートはなくていいよ」
「当たり前だ」
「ちぇー」
「太るぞ」
「ひどい!」
「どうしても食いたきゃ賞金から出せよ」
ひかりは、はーい。と間延びした返事を寄越した。
賞金の一万円は、坂神先輩と山分けにしたらしい。その話し合いに俺は参加していなかったが、公平な会議の末であるようだった。
「穂村?」
漫然とした空気に飛び込んできた呼びかけに、揃って振り返る。
耳馴染みは俺のほうにあって、振り返った先の人物も俺に焦点を当てていた。
「おう」
ひらりと手を上げると、新田は鏡のように同じポーズを取る。
「なんか用か?」
「用がないと話しかけないほど俺は人でなしじゃないつもりなんだけどな」
「そりゃ失礼」
「なんとなく、穂村かなってそんだけ」
「なんだよ、そりゃ。出かけるとこか?」
「おう。だから、声かけただけ。行くわ」
「マジ、ドライ」
「はは、人でなしは勘弁」
本気とも冗談とも取れる飄然とした新田は、手を上げながら通過していく。ここまで楽譜通りの言動があるだろうか。
新田はなんの後腐れもなく、じゃあなと改札口方向へと消えていった。声をかける必要性の是非でいえば、全くなかっただろう。
義理堅いのか、適当なのか。まぁ、流していいのならそれでいいかと、俺も人の流れに身を任せようとした。
不意に隣で揺らめいていた金髪が動いていないことに気が付いて、足を止める。その身体は半身を捻って、たった今去っていった人間の方向へ熱心な眼差しを向けていた。
僅かに開いた唇が、惚けている。
自分の性的嗜好が見破られるくらい、どうってことはない。小さな具合の悪さなど、瞬時に上塗りされた。
妹の好みが友人であると見せつけられたとき、兄はどうすれば良いのだろうか。
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