好物はなんですか?③
「ひかりー」
呼べば、忠犬のように返事がやってくる。
何故だかいつでも吠えられるおかげで、犬は苦手だ。けれども、尻尾を振りながら近寄ってくる生物を微笑ましく思う気持ちは得心した。
「お前、なんかあったんじゃないのか?」
「え?」
手に皿を持ったまま、ひかりはきょとりと瞳を丸くする。
「いや、なんでもない」
当てが外れると、途端に心許なくなるものだ。濁してコンロへ視線を戻すと、ひかりは、あーっ! と調子っぱずれの声を上げた。
「忘れてた! チカの学校って相撲部? あるよね?」
やはり、何か議題があっての絡みだったらしい。
あてずっぽうが無駄にならなかったことに一息吐きつつも、話の展開の読めなさは上々だった。
「レスリングならあったと思ったけどな」
「あれ? でもそっちの制服だったんだけどな」
「何? 格闘系の部活がどうかしたの?」
「探して欲しい人がいるんだよねぇ」
「はぁ?」
埒外のお願いに振り返れば、ひかりは照れくさそうに頬を染めていた。余計な視認であったなと、臍を噛んだところで覆水は盆に返らない。
ひかりは俺が受容する気があることを、気取っているのだろう。頼む気満々だ。確かにこちらから振っておいて、聞かなかったことにはできない。
「
「……それ以外は?」
「分かんない」
「それは俺も分かんないよ」
「えっとね、あのね」
見た目はごつめ。相撲部と予想するに相応しい体格をしていて、身長も高いそうだ。私と同じくらいと言っていたので、俺よりも高い。
刈り上げの短髪で、顎髭が生えていたという。
イメージ映像ではどうにも高校生にならなかったが、我が南校の制服を着ていたというのだから、高校生なのだろう。
どう捏ねくり回しても、おっさんしか思い浮かばない。見つけやすそうな特徴だな、と思った俺はもうダメだった。
「探せるかなぁ?」
気後れしているようで、瞳は希望をちらつかせている。俺が探すと信じてやまない根拠のない信頼感が光っていて、目を剥いた。
こめかみを揉んでやり過ごしても、思考は探す方向へ奔走し始めている。
「……学年は?」
「多分先輩だと思う」
「ふーん?」
勿体ぶったわけではない。
ただ、先輩を探すのは骨が折れるなと思っただけだ。その返事が後ろ向きさを含んだことに、意図はなかった。
「ダメかな? 兄ちゃん」
ことりと傾倒した首に従って、ブロンドがきらりと光った。
「で、請け負ったわけだ」
「いいだろ、別に」
「悪いなんて一言も言ってないだろ?」
人探しに至る道のりを話すと、新田は少しばかりうんざりとした顔で呟いた。降参とばかりに腕を軽く上げて、俺の投げやりな言い草を諫めようとする。それがさまになるルックスのほうが、よっぽどやっかみたい。
「でも、そう簡単に見つかるもんか?」
「放課後に体育館でも行ってみるよ。名前分かってんだし、すぐ見つかるだろ」
「妹ちゃんのために橋渡しまでやるかね」
「他ならぬ妹ですから」
「兄としてお父さん的心境はないわけ?」
「あんまり?」
男を紹介してくれという頼みに、やや怯んだことは認めよう。
だからといって、邪魔立てしようだとか敬遠しようだとかいう気構えはなかった。さりとて、強烈な不快感もない。
ひかりが願うのならば、可能な限り仲介することは吝かでないのだ俺は。
「仲良いわりにドライだよなぁ」
「そんなもんだよ、兄妹なんて」
知らないけれど。
よく分からない間合いは、そんなものという曖昧な定義にぶちこんでおくに限る。他の兄妹の定石なんて知らない。けれど、うちではそうなんだとローカルルールを持ち出せば、周囲はそれ以上深く詮索したりしない。
新田はそういった空気を読める男であるし、一人っ子ということもあってしつこくなく引いてくれる。この間合いが気楽で、よくつるんでいた。
「ま、俺もそれっぽいの見かけたら声かけてみるわ」
「サンキュ」
俺の行動理念を把握できていないだろうに、協力はしてくれる。精力的に動きはしないだろうし、ついでのような言葉はうわべでもなんでもない本心だろう。それでも気を回す絶妙な距離感が、心地良かった。
人探しの本格始動は放課後からでいいだろうと決め込んでいたが、校内を見る目が無意識に敏感になる。
ごつめの生徒を見つけると、視線が留まりがちだ。複数人、それっぽい生徒を見つけることはできた。だが、顎髭がなかったり、上背がなかったりと、全項目に符合する人物は見当たらない。
仮にいたとしても、確証もない状態で集団に突っ込んでいけるほど俺は勇猛果敢ではなかったが。
結局、決め打ちしていたように体育館に出向くことで問題は造作もなく解決した。
「坂神ならレスリングのやつじゃねぇの?」
うちの体育館は二階建てになっていて、一階は道場とリングが入っている。俺が出向いたのは、そちら側だ。
そもそも上ならば、新田に特徴を持ちかけた時点で該当者が浮上しているはずである。あいつはバレー部として、体育館を利用しているのだから。
答えをくれた先輩が指差す方向には、作られていた人物像と大差がない大男がいた。筋骨隆々としていて、逞しい。相撲部というにはふくよかさが物足りず、ひかりの所感は当てにならなかったようだ。
「坂神ー」
声をかけた先輩は、ご丁寧に仲を取り持ってくれるようである。
ありがたい反面、どう切り出したものかと切羽詰まった。見つかれば見つかったとき、なんて行き当たりばったりの考えでいたがために、緊張はなみなみと高まる。
どすどすと近寄って来た坂神先輩の威圧感は、並大抵ではなかった。
「後輩君が用あるってよ」
言うだけ言って、橋渡しをしてくれた先輩は去っていく。いてもらっても何になるわけでもないが、去られたら去られたで心細くはなった。
「なんだ?」
おそらく坂神先輩は、高圧的な態度を取っているわけではない。けれども、容姿の迫力を打ち消すほど、友好的でもなかった。それとも、俺がビビりなだけなのだろうか。
俺はいくつか見繕った接続詞を並べながら、しどろもどろに妹の説明をした。会いたいらしいという旨を伝えると、大柄に似合わず擽ったそうな笑みを浮かべた坂神先輩から愛嬌が見え隠れする。人柄はとてもソフトで、ギャップに釣られる女子がたくさんいそうだなと月並みな感想を抱いた。
好意的な反応に約束を取りつけて、俺は詰めていた息を出し切る。この不安感は、慣れない先輩の相手をしたものだと信じたいものだ。
決して、妹との仲立ちに対する漠然とした感情の発露ではない。
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