好物はなんですか?②
「あ‼」
「なんだよ」
素っ頓狂に上がった声に、心臓が縮む。
つい今しがたまで俺への否認を強固にしていたのに、もう意識が違うところに向かっているらしい。ひかりは成績表に、落ち着きがないと書かれる人間だ。
「ハクマイ……」
学校帰りの通学路で、藪から棒にうっとりと白米を宣言される人生とはどんなものだろうか。
ひかりの蕩けた眼差しを辿れば、そこにはクレーンゲーム機が並んでいた。ゲーム機を眺めながら白米とは、更なる狂気だ。
「ね、寄ってもいい?」
「おい」
お伺いを立てておきながら、そんなものは形式的でしかなかった。俺はさくさくと進んでいくローファーを追いかける。
駅前のモール街は、それなりに賑わっている。飲食店からアパレル関係、書店にゲームセンター。高校生が寄り道するには、事欠かない店舗数だろう。
がちゃがちゃと音で溢れ返るフロアをすり抜けていくブロンドは、迷いなき足取りだった。その足が目的地に到達して、ひかりの謎発言はようやく氷解する。
「お前のとこ、寄り道厳しいって言ってなかったか?」
「ちょっとくらい平気だよ」
「……生ものあんだよ」
「い、一回! ワンプレイ!」
もう他のものなど目に入っていないのだろう。そして、端から俺が快諾するとどこかで信じている顔だ。
ふっと息を吐くと、まだ何も言わないうちからひかりの表情は明るくなった。
「さすがー」
「まだ何も言ってない」
「またまたぁ」
「分かったから早くしろ」
結局、呑まれる俺も俺である。
ひかりから袋を引き取って、様子を見守った。
ハクマイというのは、お米のキャラクターだ。米粒の形をしたキャラで、手と足が生えているだけの簡素なデザインだ。プレーンタイプのハクマイ君と、リボンをしたハクマイちゃんがいるらしい。
何の派生キャラなのかは知らないが、黒目の大きな表情にはそれなりにチャーミングであった。地味に人気はあるらしく、グッズは思った以上に発展している。家には、理解に苦しむハクマイが増えていくばかりだった。
ビーズクッションストラップにおいては、もちもちとした感触が面白くて俺の鞄にもついているが。
ともあれ、そういったキャラの弾力や可愛さなどとは別に、これが白米モチーフだからという理由で収集しているものはそういまい。
目の前で青い宝玉を煌々とさせている女子高生くらいなものだ。
ワンプレイという制限を自ら宣言したひかりは、五百円玉を投入したようである。ワンプレイで六回。
「うわあああ」
まま大きさのあるぬいぐるみ相手では、なかなか難易度の高い制限回数だろう。予測通り、すぽすぽと取り零してばかりいる。
というか、こいつ……。
「下手くそか」
「だって、普段やんないもん!」
ぎゃんと叫んだ拍子に、最後のアームが空振りを決めた。
ああっ! と悲痛な叫びを零したひかりが、さも俺のせいだとばかりの視線を送ってくる。しばしの睨み合いの結果、責任転嫁は無理だと悟ったようだ。
ひかりはおずおずと、指を一本立てた。
「往生際が悪い」
「もう一回だけ! お願いしますチカお兄様」
「気色悪い呼び方すんな」
チカと兄ちゃんの二種類が、日頃の呼び名だ。そして、兄ちゃんと呼ぶ時点で既になんらかのわがままを通そうという甘えたな思惑がある。お兄様などという敬称はあまりにも媚びが過ぎて、鳥肌が立った。
とはいえ、自分の金で遊ぶのに、逐一兄に了承を求める義務はない。それを律儀に報告してくるのは、どうにも憎めなかった。
食料品だって、俺が先に持って帰ってしまえばそれでいい。残留している意味はなく、俺が連れ立っているのは俺の意向である。
実に、甘い。
ひかりは手のひらをぺたりとガラスにひっつけて、ぬいぐるみと見つめ合っていた。高校生にもなって、体裁が悪いったらない。
「ひかり」
「はーい……」
渋々視線を引き剥がしたひかりが、未練がましく振り返る。
「持ってろ」
ぐいっと袋を押し付けると、ひかりは戸惑いながら受け取った。ひかりが重さに気取られている間に、財布を取り出してコインを投入する。
沈みかけていた背中越しの空気が、ぱっと華やいだ。
俺はとことん、甘っちょろい。
白い塊は、むぎゅりと形を変えて胸元に抱き込まれている。実に柔らかくて、抱き心地が良さそうだ。
「チカ、ありがとう」
喜悦に溢れた笑みを見れば寄り道にも簡単に溜飲が下がるのだから、俺はやっぱりシスコンなのかもしれない。つなぎのような相槌で流しても、チカは上機嫌だった。
家に帰っても、ぬいぐるみは抱くべきものであるとばかりに手放さない。
「お前、さっさと着替えろよ。ネクタイ戻しといて」
「チカって本当そういうとこあるよね」
「なんだよ」
「口うるさい?」
「ひかりちゃんが幼いだけじゃないですかね」
「チカがそう呼ぶと気持ち悪い」
「うるせぇ、手伝え」
台所仕事はすべて俺の領分とばかりに、ひかりは手出しをしない。言えば手伝いくらいはしてくれるが、往々にして味見役になりがちだ。
それでも何もしないでいられるよりはずっとマシなので、何かと手助けを乞うている。なんだかんだと言いながら、二人でキッチンに並ぶことも多い。こういった協力体制も、物珍しく思われる原因かもしれない。
1DKのロフト付きの部屋だ。リビングにはひかりのベッドが置かれて、半分一人暮らしの様相を呈している。
俺はロフトを丸ごと使っていた。狭くて仕方がないが、個人的な荷物が少ない俺は困っていない。一応のテリトリーが存在しているのは、ありがたいくらいだ。二人で暮らすには手狭だが、居心地は悪くない。
新田は、少しは歳を気にしろよと苦言らしきものを寄越した。
もちろん、気を遣わないわけじゃない。ひかりの着替えは必ず脱衣所だし、俺もできる限りロフトですましている。いくら兄妹だからといって、慎みを忘れることはなかった。
兄の欲目を抜いても、ひかりは可愛い。外国人の母の血が濃いひかりは、沁み一つない透き通るようなブロンドと青い瞳を持ち合わせている。スタイルだって、文句のつけようがない。
妹だということを差し引いても、優に妖艶な肉体を持っているやつを相手にして、鈍感ではいられなかった。見た目の魅力に限定すれば、兄妹なんてものは枷にならない。
「何すんの?」
「あー……食器準備して、テーブル拭いてきて」
「はーい」
やることなんて毎日ほぼ変わらないが、ひかりは指示を仰ぐのを忘れない。いつからそんな行動パターンが身についたのか分からないが、こんな取り交わしも煩わしいとは思わなかった。
ひかりとの生活は、順風満帆といっていいだろう。
同居が始まったときは、それなりに考えあぐねたものだ。
親元を離れるという不安もあったが、妹と一対一で複数日を過ごしたことなどなかった。俺たちは元来、仲睦まじい兄妹というわけでもない。ほどほどの紆余曲折を経て、安息の日々を手中に収めている。
以前であれば、街中で遭遇したところで軽く挨拶をすればいいほうだった。突然荷物を掠めとるような親しいアクションが追加されたのは、遠い昔のことではない。
そういえば、例外的なモーションだった。いくら良好と言えど、あれほど攻撃的な突撃をかまされることは滅多にない。
ひかりはひょこひょことリビングとキッチンを行き来している。特におかしなところはなかった。あえて言うならハクマイ効果で足元軽く、鼻歌を奏でているくらいのものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます