第40話

 社長の多忙さは、シナリオ班にも影響が出ていた。音声関連の作業が完全にストップしている。

 

「やばい、やばすぎる……。返事来ない、終わる……」


 文見はメール受信画面を見て、思わず片言の独り言が出ていた。

 社長が声優事務所とのやりとりをしていたが、社長が忙しかったので文見が引き継いでいた。けれど社長に予算見積もりと日程に関して何度もメールしているのだが、もう一週間、音沙汰がなかった。


「どうしたんですか?」


 またですか、という感じで門真がつっこんでくれる。


「そろそろ音声撮らない終わる。というより、もう間に合うか分からない……」

「音声収録ですか? 俺、いきたいです!」

「いきたいのは分かるんだけど、やれるのかも分からない……。このままだと音声なしかも」

「えっ! ダメですよ! 音声がないとか今時のゲームじゃないです!」

「そりゃそうなんだけど。社長がスケジュールと予算について何も返答くれないんだよー!」


 リリース予定の7月27日まで、残り二ヶ月。

 音声収録して、整音して、リネームして、ゲームに組み込んで、実機確認して……。文見は未経験なので、先任の井出に聞いたが最低でも二ヶ月はかかると言われた。

 声優事務所からも、一日で収録できる量は決まっていて、完全に新規の収録のため、どんなキャラなのか声優とすりあわせる時間もかかると言われている。

 また、有名声優はスケジュールが取れないので、早めに契約とスケジュールを確定してくれないと、下手すると発売まで収録できないと脅されていた。


「どうするんですか……。これで音声なかったら大変ですよ。戦犯ですよ」

「うっ……」


 門真は声優オタクなので、この件については厳しく追及してくる。

 「戦犯」という言葉はかなりきつい。各パートのリーダーはそれぞれに責任を負っているが、このままでは自分がゲームに対して、多大なマイナスを与えてしまう。


「電話してみる……」

「そうしてください」


 文見は電話を取り、社長の携帯電話の番号を入力する。

 どうせ出ないだろうと思っていたが、今日はすぐ出てくれた。


「はい、天ヶ瀬です」

「小椋です、お疲れ様です! あの、社長。声優事務所の件です。いかがいましょうか?」

「あー……。返事してなかったっけ?」

「してないですよー。どうします? 向こうの提案通りでいいですか?」

「値引き交渉、どうなってる?」

「え? するんですか? 先方はもう明日からでも収録を始めないと七月には間に合わないと言っていますが」

「そりゃビジネスだからね。少しでも値段下げないと。向こうのそれ込みで見積もり上げてきてるんだ。値引き交渉は当然の権利だよ」

「は、はあ……。じゃあ、少し話してみますが、大筋はこれでいいですか? 契約書は後回しにして、もう収録を開始したいのですが」

「後回し? いいわけないだろう。先方とはそこそこ付き合い長いけど、必ず契約書かわしてるよ。そういうところをしっかりしないと、トラブルになるし、会社としてやっていけなくなる」

「はあ……」


 天ヶ瀬はガチャマネーで儲かっている会社の社長ではあるが、元証券マンらしい正論と堅実さである。

 もはやそういうことを言っている場合ではないのだが、天ヶ瀬はまったく分かってくれない。そもそもこの話はメールで何度も送っているのだ。先に指示をくれたら、すでに対応しているはずだった。


「じゃあ、これから打ち合わせだから。あとよろしく」

「はい、承知しました」


 文見はうなだれて受話器を置く。


「どうでした? って聞くまでもないですね……」

「うん……。事務所ともう一回話せって。契約はそれからだと」

「どうするんですか? ほんと間に合わなくなりますよ」

「うーん……。やっぱ口頭で約束して、先に始めちゃうかな……」

「え? いいんですか、そんなことして。業務命令違反ですよ」


 再びパワーワード。

 お前はどっちの味方なんだと聞いてやりたい。


「いや、だってね。今から事務所にオッケー出しても、そこからスケジュールを組み始め、スタジオを押さえて、どんなに早くても二週間だよ? 今日が……6月10日だから24日。そこから撮り始めて……えーと、メインクラスは一日で撮り終わらないから……。そこで撮ればデータ納品は……。んー無理だ」

「それじゃ、契約書スルーしても無理なんですか?」

「本当に最優先のメインキャラの声優だけ先に撮ってしまって、間に合わないキャラはパッチで間に合わせるという手なら……。それが間に合うかは声優の予定が空いてる場合に限るんだけど……」

「じゃあ、やりましょうよ。声がないゲームなんて終わってますよ」

「でも社長が……。業務命令違反だし……」

「社長とゲーム、どっちが大切なんですか?」


 門真の言うことが逆になっている。声優のこととなると、もうめちゃくちゃだ。

 いろんな板に挟まれ、揺さぶられすぎて、文見もおかしくなる。


「げ、ゲーム……」

「間に合わないほうが問題になりますよ。責任取れるんですか? 早く事務所に話をつけちゃいましょう。ほら!」


 文見は悪魔のささやきに負け、できるだけ早く収録できるよう手配した。

 それでもリリース当日である7月27日までに全データを用意できるかは不明と言われてしまった。

 あとはうまく声優のスケジュールを組めるかにかかっている。

 そうとなれば、音声収録用に脚本をまとめなければいけない。収録脚本を作って事務所に送り、事務所から声優それぞれに送られる。そのため、脚本はできるだけ早く送れないと、声優の手元に届かないまま収録が始まってしまうことになる。やれるなら今日の便にでも乗せたいぐらいである。

 未作成のスクリプトは派遣社員に任せて、収録脚本の作成は文見と門真が担当する。収録用の体裁に修正し、誤字脱字を見つけ次第直していくことになる。


「時間ないから、半分こにしよう。間違ってるところは直接直しちゃって」

「相互チェックなしってことですか?」

「……まあ、したほうがいいんだろうけど、間違ってたらもう現場で直そう。まずは脚本提出優先」

「了解です。いつまでですか?」

「きょ……いや、明日の夜、タクシーで事務所に届けにいこう」

「明日……。分かりました。声優のためなら一肌脱ぎますよ」


 今日より門真が頼もしいと思ったことはなかった。

 切羽詰まったシチュエーションとテンションに押し切られ、禁じ手を使うことにしたが、悪いことをしてしてる罪悪感につきまとい、文見の睡眠時間を削ることになる。

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